素晴らしい出逢い
デイサービスの運営がだいぶ変わりそうだ。今回、相談役の東側(仮名)さんが退職することになり、彼女を中心としたデイサービスの運営は、責任者の中山(仮名)さん中心で作り替えていかなきゃならなくなった。
東側さんの入社がもたらしたものは、彼女の強烈なリーダーシップのもとに、多くのものが改革されていった変化だった。まず一番大きかったのは、ダメなものはダメだとルールや規律が整ったことだった。そして、話し方や態度も正されていき、経営者の僕をトップとした、規律のあるピラミッドができたのだ。
東側さんは、会社にも多くの要求を突き付け、能力のあるスタッフに時給差をつけていった。それによってキャリアアップの意識が芽生えて、初任者研修から、実務者研修、介護福祉士へと、今や介護支援専門の資格を取ろうというスタッフまで現れてきた。
全ては、東側さんと僕との話し合いの中での変化だった。変わってゆく組織についてこれなかったスタッフは退職していった。強烈なリーダーシップゆえに、摩擦も多くあって、その調整に僕は走り回ったのだったが、それもあと少しで終わる。
思い起こせば、彼女との出会いは最高に素晴らしいものになったのだと、今のデイサービスの現状が物語っている。
変化し続ける現場
「これから中山さんと僕とになるわけだけど、大丈夫かな?」と尋ねる。デイルームには、もう16時半終わっていたので、事務所周りだけ蛍光灯がついていた。他のスタッフはもう退社している。
中山さんは少し考えて「自分なりのデイサービスを作る楽しみもありながら、本当にできるかなといった不安もあったりして。でも幸運なのは、私のパートナーが主任で話しやすいことだから、頑張れると思います。」と少し微笑んで言った。
「中山さんは、自分らしさを前面に出してくれればいいよ。東側さんの真似をしようと思っても、うまくいかないのは目に見えてるからね。視野を広く、他のスタッフの意見を聞いて、みんなで考えようとするチーム作りが、中山さんらしさじゃないかな?」
「そういう主任はどうなんです?」と中山さんが、小さな目をぱちくりして僕を覗き込んだ。いつもの顔だ。彼女は、僕を試すように問いかける。そして僕の反応を見る。
僕はこれが苦手だった。変なこと言うと、後々突っ込まれるから、彼女の求める言葉を選ぼうとする。だけど彼女の希望に沿うような言葉は見つからないのだ。ここで言葉を濁したり、ごまかしたりすると、すぐに見透かされる。だから僕は彼女のこういった意地悪な質問が苦手なのだ。
「東側さんと、中山さんに、甘えているようなところがあったから、僕もこれからしっかりしないとね。」と答えた。
中山さんとの会話には、ときどき心理的安全性が全くない。
気が乗らないのよね
今日の午前中に、さっくんから LINE が入った。
「明日の土曜日、てっちゃんに飯食いに行くんですが、一緒にどうですか?」という誘いだった。
すぐには返信しなかった。仕事終わりにでも対応しようと考えたからだ。返答を遅らせた理由は他にもある。まずは場所だ。てっちゃんっていうのは焼き鳥屋さんで、僕の味覚で言えば美味しくない店になる。鳥肝の色が悪いんだ。三徳で注文すると、赤みがあり色艶とプルンプルンの張りがある。食べた時に濃厚な甘みが広がってくる。それに比べると、食べれた代物じゃないんだ。もう一つの理由は、お金が飛んでいく。割り勘じゃないんだ。僕は一番年上だというのもあり、祭礼団体特有の年上が一番奢るという謎のルールがある。
「明日飲み会に誘われてるんだよね。」と僕は中山さんと、いつもの雑談タイムだった。16時半からの業務の報告という時間に、互いのプライベートの話を交えての雑談もする。
「そうなんですか。いいですね。」
「実は、あまり気乗りがしないんだよね。」と言うと、中山さんは理由を聞かずに、自分の意見を添えた。
「私の旦那さんが言うには、気乗りのしない飲み会は、行かない方がいいというサインらしいですよ。」
中山さんの旦那さんは、車の修理工場をほぼ自営業みたいな形でやっていて、自分のペースで出社して退社する。もう乗ってはいないが昔はハーレーに乗っていて、ランプ作りが得意で、登山を趣味にしている。自然の趣きを楽しむ登山ではなく、タイムや自分の体力の限界ギリギリを攻めるような登山をしている。だから一緒に登山を行こうと誘われているけれども、登山の趣旨が違うので断っている。僕は一人でゆっくりと鳥のさえずりを聞いたり、木漏れ日を楽しんだり、土の香りや、山すそを撫でるように吹く風を感じる登山だから、他人にペースを乱されると、登山は楽しめない。
そんな旦那さんが、「気乗りのしない飲み会は、行かない方がいいというサイン」だと言っているのを聞いて、それもそうかと妙に納得して、断りの LINE を入れた。
悩み終わったので気持ちがすっきりする。
ごちそうする気持ち
ゆきちゃんと三徳で飲んでいた。ハイボールを何杯飲んだんだろうか、もう覚えていない。
「そろそろ帰ろうか」
そう言って席を立ち、財布を取り出すと、ゆきちゃんが「もう払ったからいいよ」と笑って言った。
「え。もう払っちゃったの?」と少し驚き、「いやそういうわけには」と財布を出して言う僕を制止して、「また今度奢ってちょうだい。次もあるでしょ。」と笑って言う。
僕にはその言葉が嬉しかった。彼女との飲み会は楽しかった。そして、彼女も同じく楽しかったと思っているらしい。互いの共有した時間が、自分だけが楽しかっただけなら少し悲しい。だけど僕が大切に思っている時間を、相手も大切に思ってくれていたんだと思えると、すごく心が温まる。
「わかった。次また誘うよ。その時はごちそうさせてよ。」と言い、僕たちは三徳を出たすぐの分かれ道で、手を振って別れた。
女性との付き合いは多くなったが、恋愛と結びつける気はない。この人はどういう人なんだろうと、好奇心でその人と接する。それが飲み友達。今までは男性ばっかりだったが、そこに女性が加わったということで、それだけのことだ。
以前の僕の価値観は、女性と飲みに行くことは、異性関係の延長だった。そしてその関係性の線上に、性交があった。自分の中に固有の女性があり、その女性と性交を結ぶ。だから不特定多数との性交は好まない。心が伴わない性交はない。
この価値観に、線引きすることができた。飲みの友達と恋人という関係は、必ずしも同じ線上にはない。
この価値観を持って、とても楽に異性と付き合えるようになった。この女性はどういった女性なのか。何が好きで何が嫌いなのか。僕の考えがあり、彼女の考えがある。自分と他者を分けて考えれるようになったことが、これだけ自由な発想を生むのかと世界が広がった気分だ。
価値観が変われば、行動も変わる。
行動が変れば、生き方が変わるのだ。
もう一つの誘い
「気乗りのしない飲み会は、行かない方がいいというサイン」という考えで飲みの誘いを断り、気分がスッキリしたところで、今日の晩飯は何にしようか考えていた。外食が少なくなっていたので、久しぶりに外食でもしようかと考える。
エッグバーグデッシュを食べたくなって、びっくりドンキーのハンバーグが目に浮かぶ。だけど一人で行くのもな・・・と思って、誰かいないかとLINE を開き、ゆきちゃんや、ともちゃんや、のんべちゃんとか、LINE を送信したが全く既読になるような気配がなかった。
まあこういうこともあるかと、持ち帰りにしようと思った。息子の分も買って行ってやるかと、息子にも LINE を送信したが、こちらも全く既読になる気配がない。
今日はうまく人と繋がらないなと、諦めた。
最近は諦めが早くなった。思い通りにならない事が多いと学んだ。他人との線引きも学んだ。他人の選択にズケズケと干渉しなくなった。他人の選択は他人のもの。自分の選択は自分のもの。こういった棲み分けができてから、諦めが早くなった。
エッグバーグデッシュMサイズを買ってきて、Amazon プライムビデオでスタートレックディスカバリーの続きを見ようとしたときに、水野君から電話がかかってきた、が出なかった。
彼は自分の正解がある。その正解は僕にとっての正解だとも彼は思っている。これが僕には苦手だった。他人との境界線を引けるようになった僕は、引けていない人に敏感になる。そしてそういう人からは距離をとる。
するとすぐに LINE の通知が入り
津久野の同級生が別所に行くので、今日詰所に来ないか?というものだった。
津久野の同級生というのは、25年ほど前の祭礼団体の仲間だ。懐かしい面々で、久しぶりに会うから来いということだろう。
まその誘いは嬉しいのだが、詰所に僕の居場所は無くて、もう行くつもりはないので、丁寧にお断りした。丁寧かどうかは相手に委ねるが、僕は丁寧に断ったつもりだ。
相手の期待に応じる生き方はやめた。
歓迎される場所でくつろげない
少し前に、水野君に呼ばれ詰所に行った。
榎谷くんが「おぉ。山本久しぶりやないか。ここに座れよ。」という。田中くんが「山本、この前誘ったけど、また飲みにいこうな。」とか言う。えっちゃんが握手を求めてきて「山本、お前、鼻声やないか。風邪ひいてるんか」と言う。「これ食べろ」とちんねんさんがチャーシューを持ってきてきてくれたりする。佐藤さんが「やまちゃん。ハイボールか?」と言う。その場にいる全員が、一斉に話しかけるので、誰が何を言ってるのかさっぱりわからず、用意された椅子にちょこんと座り、水野君と話をしたかったが、ゆっくり話せず何がなんだかわからなかった。
居心地の悪さがあって、ハイボール一杯ですぐに退散した。これが僕の詰所の訪問だった。そんな場所にまた呼ばれている。
以前は幹事長としての役割があった。詰所に行くことは、仕事があったからで、やることがあった。だからそこに居場所があったわけで、居心地の悪さは少なくとも感じはしなかった。
今もみんなは歓迎してくれるが、やることも何もない。そして、周りが一斉にしゃべるので、そこに平等に関わりを持つこともできず、自分のペースを崩される。その上に、これが一番負担になるのだが、「祭りに戻ってこいよ」といった声かけが、四方八方から掛けられる。
詰所にいると、なんだか呼吸ができなくなるんだ。
その先は自分で決める
えっちゃんと和解をしたことによって、住んでいる町で会いたくない人はいなくなった。会いたくない人がいるということは、多分人生に窮屈をもたらす。
偶然にでも街で会ってしまえば、決まりが悪いんじゃないか、何か言われるんじゃないか、嫌味の一つでも言われるんじゃないか、などと考えてしまう。それが自分の自由を阻害して、気持ちの上で閉塞感を増していく。
今回それを取り除けたので、詰所にも行けたわけだけど、それと祭りに戻るというのは僕の中では別問題であって、周りから「祭りに戻ってこいよ」と言われて、祭礼団体に戻るというのは僕の中では無い。
役割にがんじがらめにされるような生き方は、もう辞めた。そして他人の期待に応えるような生き方も辞めた。それから、自分に余裕を失わせるような環境には距離を取る。
組織、役割、他人の期待から自分を切り離す。
自分は何が好きで何が嫌いなのか。どう生きていきたいのか。しっかりと自分らしさの軸を持ち、自分に正直に生きる。これが自分を大切にする生き方で、他人ときっちり線を引くことが、他人の幸せにも通じるのだと、今の僕は思っている。
和解といえば、別れた妻とどう和解出来るだろうか、娘との和解の日は来るのだろうか、妻と息子の和解は?とか考える事がある。この3つのすべてに相手の意志が存在する。
妻、娘、息子を大切にするのであれば、彼女らの意志を汲み取らないと大切に出来ない。
もう自分の想いだけでは動けないのだ。
