2人の決意
中山さんが真剣な顔をして「仕事をお話ししてるんですから、ちょっと2階に行きませんか?」と訴えてきた。1回は息子が来ていて、そして僕の弟も来ていて、仕事とは全く関係のない話して僕を含めて盛り上がっていた。
「ちょっと仕事の話をしましょう。」と中山さんは僕に言った。
今日の朝からバタバタだった。その中に大きな重要事項案件が含まれていて、それは僕たちの行く末に大きく影響するような案件も入っていたから、中山さんはとりあえず自分の気持ちを整理するために、僕と話したいみたいだった。
「わかった2階に行こうか。」といい、僕たちは静かに2階に行き、机を向かい合わせに座った。中山さんの身体から少しの緊張を感じ取り、呼吸を整えた。僕の身体が中山さんに壁をつくらないよう、両肩を中山さんのほうへ向けて、腕を組まないようにした。中山さんが話し始めたが、もう腹の内を知っているような気がして、出来上がった漫才のような感じで、突っ込みとボケを繰り返すような会話をしていた。実際に突っ込むとボケをしたわけではなくて、それだけ作られた会話をなぞっていたように感じたという意味だ。
中山さんも僕も、もうすでに腹を括っていて、大げさでもないようなことを、大げさに言うような儀式のように、えらいこった、大変なことが起こったぞ、みたいな演劇のような会話になったのだが、次第に影をひそめて、整理のつかない気持ちを何かにぶつけるような、そんな感じだった。
もう中山さんも、僕もとうに気がついていて、相談役が辞めようとやめまいと、やるしかないといった心境だったから、だからこの会話は、形式的なものだったし、だけども形式的なものが必要だったし、お互いの気持ちを確認しただけの会話だったのだ。
会話して感じること
息子と僕はたから寿司にいた。新館の丸山で、早めの予約を入れて、6時半には食事ができるように段取りをしていた。
「パパの言うことは分かってきたよ。チームをつくるってさ、譜面を書いて、演奏できるやつを集めて、指揮棒を振るようなもんだよね。」と言った。
チームマネジメントの話なのだろう。実際に僕の経験では、指揮をとるだけでは皆は動かない。実際に自分もピアノを弾いたり、バイオリンを弾けたりしないと、奏者は認めてくれない。指揮者が指揮をとるだけでは成り立たないのだ。そんな僕の思いをよそに、息子は続ける。
「〇〇さんこれしてくれる、僕はこれをするから。って言って、現場を仕切ってる。ただ何かを言いたげな奴はいるけど、僕の方が仕事ができるから、黙って僕の指示に従ってるというか」
どうやら息子は、リーダーという肩書きがない立場で、現場の人間を仕切る荒業をやってのけて見せていた。役割や肩書きがない中で、実力で同僚を認めさせて、指示を飛ばしてその通りに動かせている。息子は何でもないように話すが、これがどんだけすごいことなのか分かっていないようだった。
「年功序列っていう枠組みが残る組織で、20歳そこらのクソガキに指示を飛ばされて、現場が回っていくんだから、なかなか不思議なことになってるよね。」と息子は自分ごとではないような話し方で言う。
あーなるほど。息子はと現場で結果を出していて、誰もがその実績を認めていて、だから皆がついてくる。ちゃんと現場で動きながら、指揮棒を振っているのだ。指揮だけしているような指揮者じゃなかったとわかり、僕は安心した。
そして、息子は相変わらず分かりにくい言葉回しだったけども、身振り手振りを加えて話すものだから、チームマネジメントに面白さを見出しているようだった。今までは、外人と話すこと、つまり異文化コミュニケーションを面白いと思って働いていたが、どうやら次のステップに進んだようだ。
息子としばらく会っていなかった。だからこそ何を考えているのか見えなくなってきていた。ここら辺で飯でも食いに行ってゆっくり話をしておこうと思っていたが、やっぱり顔を突き合わせて話すことで、わかるものは大きいなと感じた。
僕たちの息子は、この瞬間も今を生きている。
僕たちの娘はどうなんだろうか?便りがないのは元気な証拠と言うが、親としては気になる。それも娘からすれば、いらぬお世話なんだろうが・・・
正しい間違いで計れないもの
スマホの LINE 通知を眺めていた。水野君から「車を止めさせて」と入り、「風邪を引いてるから勝手に停めていって」と返信したのちに、再び「終わったら会おうと思ってたんだけど。」と通知が入っていた。
その時の僕は、風邪をひいた真っ最中で、スマホを触る余裕さえなかったから、その通知を既読にするには、翌日まで時間をかけないといけなかった。
「終わったら会おうと思ってたんだけど。」という返信がひっかかった。なにか話でもあったんだろうか?LINEで飛ばせる話ではないのだろうか?とか、いろいろ。
そして再び水野君からLINE が入り「今日も車を止めさせて。」と入り、「どうぞ」と返信すると「悪いな。足が不自由なものだから。」と返信が来た。水野君は、5月にあった入魂式で大きな事故をして大怪我を負っていた。緊急手術となり、そこから誰もが心配をしてLINE を送ったのだったが、水野君とは誰とも連絡が取れなくなったらしい。
ただ僕はみんなと状況が違っていて、そんな孤立した状況だとは知らずに事故だけを知っていたから、LINEで「入院したと聞いたけれども、大丈夫ですか?もしよかったらTENGAでも差し入れしましょうか?」と送信していて、「大丈夫だ。TENGAはいらん(笑)」と返信が帰ってきていた。つまり僕だけが彼と連絡を取っていて、孤立のなか僕との少しのLINE 会話があったのだった。
「悪いな。足が不自由なものだから。」と返信があったとき、「リハビリ中か。お大事に。」と送信すると「本気でそう思ってないやろ」と返信がきた。この水野君の返信に意識が持っていかれ、どう送信しようか迷った。いったいこの言葉一つに、どんな意味合いが込められているのだろう?試しているのか、甘えているのか、腹が立っているのか、かまってもらいたいのか。結局わからなかったので、「ん?なんかささくれてるなぁ。」と送信する。
なにか送信すりゃ反応が返ってくる。そこから考えれば良い話だと思った。
すると「詰所こいや」と返信があった。僕が祭りから離れて、誰が呼びかけたとしても祭りには戻らなかったし、誰が招いたとしても詰所には行かなかった。からこそ水野君の呼びかけに、ここは応えておくか・・・、という気になった。僕が誰に反応するかという事が。意外にも重みを増してきていたから。
祝儀封筒に1万円を入れて、名前も書かず金額も書かず、そのままズボンを履いてドアを開けると雨が降っていたから、ビニール傘を持ち夜風に当たりながらフラフラと詰所に向かった。
詰所が見えてきて、世話人の提灯が灯り、御花の受付をしている。信号は赤で道を隔てて立ち止まり、最初に僕を見つけたのが山口だった。彼とは5年ほど前に喧嘩をして、祭りを抜けるキッカケになった。そこから数年の絶縁が続き、偶然にもラーメン屋で出くわし握手をして和解をしたのが今年の8月だった。
「あれ、〇〇やん」と僕の名前を言った山口の声に、皆が反応し一斉に僕を見る。「俺が呼んだんや」と笑顔の水野君が座っている。この状況を作る事で、「本気でそう思ってないやろ」の返答になったのだろう、と僕はそう思っている。
信号が青になり受付にまっすぐと歩き、祝儀封筒を受付に渡すと、皆が「ここに座れよ」とパイプ椅子を差し出し、「なに飲む?ビール?ハイボール?」と聞き、ビールが運ばれてきたら、チャーシューやらのつまみも出てきた。緊張していたから感性は働かなかったが、歓迎してくれているのはわかった。
山口は再び僕と握手を求めて、僕はその握手に応える。水野君は、杖歩行で思うように歩けないらしい。中島君のトラックの事故で再起不能だと思われたが、今では祭りに戻ってきて補装具を付けて歩行できるまで回復したらしい。バイクのツーリングも、僕がいないと面白くないようで、今は活動が下火だとか。思い起こせば20年か、いや30年になるか。捨伍人組から若頭と祭礼活動を通じて、この人たちと関係を育ててきたのだなと改めて思い、さらにまだこの関係は死んではいないのだと思った。
過去も含めて自分を認めてやる
目を覚ますと、ベランダの物干しがカタカタと風で揺れていて、網戸がカタカタと震えている。曇り空の中で低空の濃い雲が流れてゆくのが見えた。笛の音と太鼓が風に運ばれて聞こえてきた。そして威勢の良い青年団の掛け声も。
今日が試験曳きなのを思い出し、時計を見ると8時だった。過去の記憶を思い返すと8時頃に小屋を出し、ふじ原までだんじりを持ってきて、11時ごろに記念撮影だ。13時頃から町内曳きで14時には高架下からスタートといった流れだろう。もう祭りを離れて5年が経つというのに、だいたいの流れが目に浮かぶ。
それほど執行部にいた年が長かったし、役割と責任に疲弊した年月でもあった。それでも懐かしく思うのは、そこで育った人間関係があるからだろう。
喉はカラカラで、体が糖分を欲していたから、マクドナルドに行こうとズボンを履いた。ドアを開けようとすると、ドアに強い抵抗を感じて、それはすぐに軽くなり風が一気に吹き込んできた。草木が大きく揺れていて、T シャツがはためいた。階段を小走りで降りると、庭に咲くピンクの日々草が時折強く揺れている。エンジン始動スイッチを押し、心地よい振動を感じて車を前へと、青信号に押し出されると、ふじ原に停めているだんじりが目に入ってきて、道を隔てた世話人のテントに、ひとり大仏のように鎮座している茶褐色のおにぎり顔が入ってきた。今年の責任者の石屋さんだとすぐわかる。
表情は硬く焼けた肌に、白い眼光が動いている。いよいよ祭りが始まるのだ。この1年、いやその前から責任者としての準備は始まっていただろうし、重責から精神もお金もすり減らしてきただろう。やっと今日という日を迎え、さらに9月18日(金)までの詰所や他所で、極限まで摩擦に身をすり減らしてゆくのだ。
今日は1回目の試験曳き。去年のトラウマが何度も石屋さんの頭の中で繰り返し流れているのだろうと思う。小門で流れる景色がスローで何度も何度も脳内再生されて、右足にかかるブレーキの油圧がリピートされているのだろう。だから、あのような険しい表情になっているのだと思ったら、少し可笑しく思えた。
僕はフロントガラス越しに「葛藤のお時間をお楽しみください」と、石屋さんに手を振り、ゆっくりと交差点を曲がった。茶褐色に焼けたおにぎり顔は、こちらに気がついたようで手を振り返す。「あぁ、大仏さんが手を振っている。こちらを見て手を振っている。今日のご無事をお祈りしております。」とガラス越しの石屋さんは後方へと流れていった。
規制前の道路を海の方へ下りマクドナルドへ向かう。沼町の林眼科あたりで、ダンボールが吹き飛ばされて、進路を塞がれたり、武部仏壇店の前でテントを運ぶ祭礼団体を待っていたり、祭りあるあるの雰囲気が祭り前の雰囲気を醸し出していた。マクドナルドに入ろうと右折のウインカーを出し停まっていると、後ろから白い軽トラを運転する僕が、荷台にバッカンを積んで追い抜かしてゆく。春木漁港に氷をとりに行くのだろう。「頑張って。いってらっしゃい。」と僕は過去の僕を見送った。
ソーセージエッグマフィンを買い、来た道を戻る。風が涼しかったので窓を開けて走る。流れる空気が気持ちが良い。呼吸は静かにゆっくりになっていった。
