見知らぬ女性
19時に予約の予定だということで、僕は三徳に向かっていた。実はランニングに行こうと思って、二色の浜へバイクで向かっていた途中に、佐藤さんから LINE が入り「金曜どうでしょう?」と来たわけだ。
これは水曜どうでしょうのオマージュで、僕が LINE で使い始めた。木曜日に飲みに誘う時に「木曜どうでしょう?」とLINE に入れて、飲みに行くという流れだった。それがもう定着してしまって、今度は佐藤さんが使い出した。そして佐藤さんの妻のえりさんも使い出して、流行りの仕掛け人は僕になったということだ。
少し早く着きすぎて、マスターに挨拶して、若い女性の店員ににっこりと笑いかけられる。
「あれ。髪きった?」と僕が言うと、「はい切りました」と満面の笑みでニコニコしている。隣にいる別の店員さんに、「今日もお邪魔するね」と少しだけ微笑むと、彼女は目をキラキラと輝かせ僕を見て笑顔を絶やさなかった。僕は少し驚いて、いつの間にか人間関係が育っていたことに実感した。もう常連さんになったんだな。
「いつものですか?」というので、最初の2杯は余市のハイボールと決めていたので、「よろしくお願い」と伝えたのだった。
僕は青いリュックから、iPad を取り出して、スマホからテザリングをして、このホームページにログインをする。そして小説も続きを書き出した。余市と唐揚げで、小説の続きを書いていて、周りの客の声だったり雰囲気が、僕の集中力を高めてくれて、すぐに独りの世界に入り浸った。
このまま佐藤さんが来なくても、僕は余市のハイボールを嗜みながら、小説を書いて独り居酒屋ができそうな勢いだったが、そこに佐藤さん夫婦はやってきて「小説書いてるの?」とえりさんが言い、「エロ小説か?」と佐藤さんが突っ込んだ。もうそのくだりもお決まりのパターンだ。
ふと見ると見知らぬ女性が横にいて「初めまして。」と言ったが、彼女は僕のことをもうすでに知っているようだった。佐藤夫妻が話しているんだろう。
だから彼女は僕を見るなり「イメージ通りだわ」といった。
「イメージ通りですか。それは良かった。」と僕は、座布団を差し出し、彼女は僕の横に座った。彼女の名前はゆきさんと言って、看護師をしているらしい。話を聞いていると、彼女は日頃の疑問に思ったことを、多分それは誰もが疑問に思わないようなことだったとしても、丁寧に言葉にする人だった。だから正直な人なんだろうなと僕は感じたし、マイペースな人でもあるんだろうと察することができた。
彼女の言葉にはリズムがあって、抑揚をつけずに、同じリズムで話をする。語尾は「こんなんでな。やっぱりこうやしな。だからこうなんよ」といった感じで、言葉に丸みを帯びていた。
彼女のそんなところは攻撃的ではなくて、心地よかったし、初対面にも関わらず、話題が尽きなかった。人から認められたいと思っていたり、職場では同僚の顔色を伺って働いていたり、真面目に働くという自分の正義は持ってはいたが、サボる同僚に理不尽を感じていたりと、日々のストレスがお肌にダイレクトに出ているようで荒れていた。
1時間ほど経った頃合いに佐藤さんの電話がなった。祭り関係者から呼ばれたようで、そろそろお開きにしようかということになったが、ゆきさんが「もっと二人で飲もうよ」と言ったので、「じゃあ飲むか」と僕たちは2人で飲み直すことにした。
僕はハイボールを頼み、彼女はピーチ味のリキュールを頼んでいた。ゆきさんの話すのを、黙って聞いていた。彼女の目をまっすぐに見ていると、彼女の瞳が小刻みに泳ぐ。なにに彼女が反応した事は感じたけれど、何をどのように感じたのかはわからなかった。ゆきさんとは初対面で、何が好きか嫌いかなんてわからないから、そのままわからないままに感じておいた。
夜は更けて日付が変わり、そろそろ帰ろうかと2人で席を立った。三徳を出てすぐの交差点で、僕とゆきさんは別れて「じゃぁね」と手を振った。
そのまま帰って次の日起きたら、ゆきさんからLINE が来ていて「昨日は楽しかったありがとう。」とあった。いつ LINE の交換をしたんだか記憶がないんだけども、まあ新しい飲み友達ができたんだと思えば、楽しみの一つにでもなる。
初対面の女性と、意気投合して、日付が変わるまで飲み明かして、連絡先を交換する。こんなことが、僕の人生に一度でもあっただろうか。なんだか変わったなぁと我ながら少し驚いていた。
美容室
「今日はどうしますか?」と明るく赤井さんは言った。彼女は僕の担当のスタイリストだ。息子はスタイリストになりたいと言った時、僕は彼女に相談をした。結局息子は留学を選んだわけだけど、そんな相談をする間柄になっていたから、今日もにこやかに挨拶をしてくれた。
「いや何もイメージを持っていません。どうしようか?」と僕は言うと、赤井さんは丸椅子を出してきて僕の隣に座り、一緒に鏡の中の僕を見ながら、「やっぱりメッシュを入れた方がいいかもしれませんね。」と言って、3ヶ月後のしらが混じりの髪の毛を想像して提案してくれた。
「だけど髪はバッサリ切りましょう。上のほうだけ残しておいてもいいかもしれませんね。」と、カットの方針が決まったところで「じゃあよろしく。」と僕は赤井さんに全てお任せをした。
本当に何のイメージも持っていなかったし、髪型よりも今は僕は自分の体格を改善する方が、興味を持っていたのもあって、じゃあ赤井さんお願いしますだ。
「最近はウィンドサーフィン行ってるんですか?」と聞くので、「日曜日は風がないんだよ。なぜだか日曜日だけ風がないんだ。結構意地悪されてるよね。」と笑うと、赤井さんは肩をすくめて「私も雨女なんですよ。旅行に行くと必ず雨が降るし、ひどい時は台風が来るんですよ。」と笑っていた。
赤井さんはとてもよく笑う。言葉もリズムも口調も、跳ねるように話していて、頭の切り替えが素早くできるので、多分サービス業向きなんだろうなと感心する。僕を含めて、3人の同時カットだったから、あっち行ってカットしてる間に、こっちは毛染めの時間、あっちはドライヤーを指示して、洗髪を指示するという具合だった。
テキパキと動く彼女を見ていると、スカートの裾がヒラヒラと動き、ぽっちゃりしたほっぺがコラーゲンたっぷりに揺れている。僕は無理に話をせず、スマホで競馬を買って「幸運が訪れますように」と声を出してスマホを置くと、赤井さんは横で手を合わしてお辞儀をして「訪れますように」と言って笑った。
人を感じることができるようになり、僕はあまり話すことをしなくても、会話ができるようになった。その時の間であり、視線の動かし方であり、表情でのアイコンタクトであり、感じるままに相手に合わせながら反応すればいい。
次第に、会話はなくてもしているという不思議な体験が、四六時中、四方八方で感じれるようになった。感じることが、これだけ世界の見方を変えるとは、なかなかに面白い。
今では男女いや、女性の方が多いんではないかな。出会いも、お付き合いも、相変わらずゆるい関係性ではあるが、女性との何かしらの関係を育てている機会が多い。
普通に楽しいからね。
肉ばかりの店
また別の日に、別の女性と飲みの約束をしていた。泉佐野の駅前で待っていると、青いズボンを着た茶色のもじゃもじゃ頭が、こちらに近づいてくる。手を上げて合図をして、そのまま「店ってどこにあるの?」と聞くと、前行った居酒屋の隣ですよと教えてくれた。
以前、行った居酒屋と言っても、どの居酒屋なのかわからない。佐藤さんと飲む時のような、行きつけのお店ではなかったので、新しい店を開拓するように、違う店、新しい店に入っていた。今日も彼女のおすすめの居酒屋だったので、僕は何も知らない。
角地にあった灰色の壁に、木枠のドアがついていた。「ここですよ。」と言うので、僕をドアを開けて彼女を先に入らせた。店内は白熱灯のような黄金色の豆電球がぶら下がっており、あちらこちらと眩しい光が放っている。その強すぎる白熱灯の光は、店のいたるところに影を作り、店内を立体に演出していた。
カウンターの中には、若いパーマをかけた背の高い青年がいて、多分彼がここのオーナーだ。爽やかな青年は、予約席に案内してくれた。2人だけのテーブルに、彼女を奥に座らせた。「私は年下なのにいいんですか?」というので、「レディーファーストだから。」と僕は笑った。
「なんか紳士ですね。」と言うから「昔から紳士だったわけじゃないよ。これは別れた妻が僕に仕込んだものが、未だに体に染み付いているってわけさ。」と返答した。
僕はハイボールを注文し、彼女は抹茶のリキュールを注文した。お肉料理の店だったので、何を注文してもお肉が出てきた。それもボリュームのある量だったから、あまり注文しすぎても食べきれないだろう。
「彼女は作らないんですか?」というので、「今は興味がない。」と答えた。これは本心だった。痩せ我慢でも、かっこつけた返答でもなく、息子の成長を見ているのは楽しいし、それに自分がやりたいこともやっと見つかったところだったから、自分の時間を大切にしたい。
「奥さんを待っているんでしょ?」というから、「そうだね」と答えたが、実際のところ、今を真剣に生きたい想いが強い。待っていたところで帰ってくるかどうかわからないし、今それを考える問題でもなかったから、考えない。過去を振り返ると、僕は彼女に対して失礼なことをしたし、反省しても僕のしたことは消えることはないから、一生背負っていくつもりでいる。
ただ、過去に縛られるつもりもない。今を一生懸命いけるということは、過去にこだわらず、未来に執着せず、今にスポットを当てることだと思う。うすらぼんやりと人生全体に明かりを当てていたとしても、なんだか逃げているような気がして、自分の生き方を先延ばしにしているような気がしてならない。
今に集中したいから、今僕の目の前にいる人を、体全部で目いっぱい感じる。どういう考えを持っているのかとかではなくて、話すリズムであり、口調であり、表情であり、瞳の動きであり、口元であり。心の動きや、感情だったり、湿度や温度であったり、その時に口にするリキュールの味だったり。
ハイボールが運ばれてきて、グラスに水滴がついていて、手にとると指先からヒヤリと冷たい感覚が伝わってくる。「今日もお疲れ」と言ってグラスを傾けて、乾杯をする。
白熱灯の強烈な光が、彼女の顔を照らし、口元が生き生きと動き出せば、声が固まりとなって空気を震わす。ハキハキと話してはいたが、口調に硬さがあり、なんだか雰囲気が振動しているような抵抗を感じた。
「どうした?なんか怒ってるの?」と僕は尋ねるが、「怒ってませんよ。」と不思議な顔をする。「なんかオーラがパンパンと破裂してるような感じだよ。」と言うと、「そんなことありませんよ」と口元のホクロが動いた。
「まあいいけどさ。せっかく飲みに来たんだ楽しもうよ。」と言って夜が更けていった。
晩御飯を作りたくない夜
昨夜は4時間半ぐらい飲んでいたんではないかな。肉料理だったから途中でワインに切り替えた。肉料理には赤ワインが合うだろう。色々話したんだけども、話の内容なんか覚えていない。
それよりも2日酔いで、体がだるかった。今日は布団の中でだらだらとする感じだろうな。ただ小説も書かなきゃいけなかったし、部屋も片付けたかったし、その前に風呂だな。風呂も入らず寝てしまったからな。
そう思い出した時に、水漏れを直さなくてはならないことを思い出した。我が家の風呂は、3日ほどぐらい前から漏れ出して、ポタポタと水道が出続けている。チャット GPT に聞いて、直し方を教えてもらったので、部品を取り寄せた。
それを四苦八苦して、直した。見事に直った。水漏れがピタリと止まった時には、湧き上がる達成感で漏らしそうになった。この僕が工具を使って見事水漏れを止めたのだ。成せばなるもんだ。
結婚してた頃、風呂の水を自動で貯めるカランの電池が切れて、電池交換をしなければ風呂は貯めれなかったけど、僕は到底無理だと思ったから業者を呼ぼうとしたが、妻が直してしまった。その時は本当に驚いた。
「男のあなたがやらないって、どういうことなの?」と、妻は怒っていたが、直せないものは直せないんだよと僕は開き直って言った。
だけど今回自分で直せてしまったから、結局やる気の問題だったと自分自身で証明してしまった。「あなたは何もしない。」と妻は言った。妻の失望する雰囲気を感じ取っていたのは、子ども達だったろうけど、僕にはさっぱり何も感じられなかった。多分その当時、感性が働いていたのであれば、妻の表情は、怒りに震えていて、針で刺すようなトゲトゲしい空気が、僕の肌をこわばらせた。ぐらいは感じれていただろう。
今を生きれていなければ何もかもが中途半端だ。
それから泉南イオンに行き、そこで小説を書こうと思ったのだが、本屋巡りで終わってしまった。というのも、フードコートがいっぱいすぎて書く環境ではなかったんだ。それからフラフラと本屋に行ったら、芥川賞受賞のゾンビ回収婦を見つけて、少し立ち読みしてそのまま買ってしまった。
そのまま家に帰ってきて、晩飯を作る気力もなかったから、お好み焼きを注文することにした。いろは満月で。
そう思った時に、息子のことを思い出して、いろは満月でお好み焼きを買いに行こうと思うが、何がいい?と LINE を送った。たまごで巻いたやきそば、と返信が来たのでオムそばのことだなあと。
そして、すぐに冷蔵庫に入れといてくれと、次の LINE が入った。なるほど仕事なのか、すると日付が変わったから帰ってくるから、冷蔵庫に入れといてくれたらチンして食べるというわけだな。息子の部屋に勝手に入るのは気が引けたが、息子は冷蔵庫の中に入れとけと言うのだからドアを開けて入ると、見事なアトリエだった。
コンビニで買ってきた食べ物の容器が散乱して、服は積み重なって洗濯してるのかしてないのかさっぱり分からず、アイロンがけが床にあったり、掃除機が床に寝そべっていたり、全く床が見えないような状態だった。そこにミシン台があり、大きな作業台があって、デニム生地が積み上げられている。
ここには今があった。過去も未来もなく、ただ単に今を積み上げた現状が、この有様なのだろう。これほど今に集中して生きている若者はいないだろう。この散らかった部屋を見て、青春してるなあと僕は感じた。
