怒濤の月曜日が終わった。
中山(仮名)さんは、電話対応や来客対応に追われて、僕はターミナルケアの準備に帆走した。互いに目標値を達成して、興奮が冷めていなかった。
「今日はつかれました。」と言う表情に少しの笑顔が混じっている。
僕も同じで、細かく脳が騒ぐ感覚があり、自然と呼吸もゆっくり深くあり、腹の内側から達成感が込み上げている。
疲れていたが、良い疲れでもあった。
「虐待防止のアプローチって結構強引ですね。」と中山さんは言った。
「そうだね。本人を説得するように避難場所に連れていこうとするからね。その後の事とか考えているのか不安になるよ。」と僕は同意した。暴力を確認したときに、まずは対話による介入をすべきだと僕は考えているから、いきなり離すというのはアプローチには首をかしげてしまう。
「強引に介入した後の事とか、いろいろ考えるているんでしょうかね。」と渋い表情をして中山さんは言った。
「たぶん、法律だけを見て動いているんだと思うよ。担当者も保身に走るから、その人の状況とか生活とかを見ずに、マニュアルどおりの事を提案するだけじゃないかな。」
所詮は他人なのだ。本心ではなく、この場合はこう、このケースはこうっとパターン化された対応になっているのだろう。だから後の事を考えて動かないのだろう。
「こういう対応を見せられると、困難事例でも安易に相談出来ないなと思わされるよ。」
ケアマネージャーでもあった僕は、困難事例に直面した時に、自力で解決しようと改めて思う。ただでさえ難しいのに、相談した担当者の不確定要素が増えて、横からぶち壊されでもしたら悲しくなる。
「中山さん。担当者に連絡して、その後どうなったのか聞いといてくれる。彼らの持っていき方で、こちらの対応も変わってくるからさ。」
そう言って、中山さんに対応をお願いして、僕は別件の対応をすることにした。ターミナルケアの下準備だった。主治医に会いに行ったり、訪問看護に連絡したり、ある程度は目途が着いたら、後は家族へ報告してといろいろやる事があった。
本当に怒濤の月曜日だった。
余裕のない日
ハラハラの火曜日が始まった。
この酷暑で利用者さんの体調が崩れてきている。エアコンのいる部屋でいたとしても、出たり入ったりしていると体調が崩れるようだ。特に90歳を超えている人の体力低下は顕著で、なかなにヒヤヒヤとする。
「強引につれてきたよ。まだ朝のクスリも飲んでいないし、朝ごはんも食べれていなから。」
食欲が一気に低下してここ最近は何も食べていない。このまま寝たきりになる可能性だって十分にあった。ここが支えどころだ。サービス量を増やして支えてゆく。
「今からお風呂でも大丈夫ですけど、どうします?」と中山さんが言った。
「一番、最後の入浴でお願い出来る?」と言うと、江戸っ子の看護師が「そうですわね。それまで水分補給でもしてもらいましょうか。」と艶っぽい声で言った。
看護師の中原(スタッフ)さんは、関東の出身だったので、みんなから江戸っ子の看護師として慕われている。話し方も艶っぽく色っぽい。それにどんなに暴れる利用者さんでも、偏屈な利用者さんでも、頑固な利用者さんでも、分け隔てなく優しい。
「中原さん優しいよね。」と僕が言うと、「そうでしょ。優しいです。それに癒されます。」と中山さんが頷いた。
午前中は食欲のない的場さんに付きっ切りで、バイタルを図り、入浴を嫌がる的場さんに優しい言葉を掛けて、入浴させてしまって、肌の確認から処置を手際よくしてから、入浴後はベットで寝かせて入浴の負担を減らしてお昼ご飯に繋げた。それは見事な段取りで、お昼ご飯には的場さんは体力は回復して、お昼ご飯を美味しそうに食べる。
「おいしいわぁ。ぜんぜん食べてなかったから。こんなお粥さん初めて食べた。」と表情が明かるかった。その後も、椅子で座る体力があったし、おやつの時間はカルピスをがぶ飲みしていた。水分も食事もほぼ全くしなかった人とは別人で、復活の兆しが見えてきた。
ハラハラしたが、このぶんだと乗り切れそうだ。明日に繋がる今日だった。
感性が働くトリガー
朝のルーチンは、直射日光が庭に当たらないうちに水を撒く。たっぶりと10秒を心の中で数えて、庭のお花に水を吸わす。そしてメダカの水槽が3つあり、その中には赤ちゃんメダカがわんさかと泳いでいる。すべて2匹のメダカから産まれた新しい命に、餌を撒く。
それからIpadを操作して、15分マインドフルネスをYoutubeで流して、静かに瞑想をする。心を落ち着かせて一日の始まりを迎える。そうこうしているうちに、中山さん、立川さん、押井さんが出勤してきた。
事務所の机のほうから、僕に向かって中山さんが「今日の送迎を少し組み替えましたから確認しといてくださいね。」と言った。「わかった」と返答をしようと中山さんを見ると、なんだか顔だけが蝋人形のようだった。
「今日、化粧濃くない?」
そう言うと、「すごーーーい。なんでわかったの!?そう、今日はちょっと塗りすぎたんだけど、すぐにそれをわかるって、主任わたしのこと、好きでしょーーー!」と、いつぞや聞いた事のあるセリフを叫んだ。それを聞いていた立川さんも「そんな事わかるの。私わかんなかったのに、主任どうなってるの!」と大げさに驚く。
「私の事だけ細かく見ちゃって、でも私は既婚者。決めた男性がいるのです。ごめんなさい。」と言い、押井さんが「主任、残念ですね。こればっかりは・・・」とセリフ染みた言葉を吐いた。
まるでコントだ。
「いや、中山さんだけじゃなくて、他の人の方もわかるよ。例えば、立川さんが髪を切ってきたとき、後ろ髪だけを刈り上げたでしょ。髪、切ってきたの?って言ったら旦那もわからなかったのに!?って驚いていたじゃん。覚えてないの?」と僕は尋ねると、「ああ、そうだったかな、そうだったよね」と、立川さんは記憶を探しながら思い出した。
「最近は感性が開いているからね、ちょっとの変化もだいたいわかってくるんだよ。ただ言葉にするか、しないかだけので。そうだな、例えば堺さんの髪型でも、生え際の前髪だけが茶色いじゃん。」と言うと、「え、そうだっけ?」と、女性の方がその変化に鈍感なのであった。
「結婚してた時、ちゃんと気づいてあげてたの?」と立川さんが言うので、「いや、その時は感性が閉じてたかな。」と言うと、立川さんは、「ダメじゃん、それ。全然意味ないじゃん。」と正直な感想を言った。その通りなんだが、当時は感性が働かなかったし、あの時と今の違いは、単に余裕だった。
「結婚してたときってさ、いろんなものに追い回されてたからさ、例えば祭礼団体とか、育成会とか、選挙とか。役割を演じるのにあっぷあっぷだから、感性どころじゃなかったんだよね。今は余裕があるから、いろんなことが感じれるようになったかな。」
僕は当時、一緒の育成会でいた立川さんに言ったら、あまり通じなかったらしく「ふーん」と反応が薄かった。構わず僕は続けた。
「ただ、ここはさ、難しいところで、忙しいときとか、緊張してるときとかは、全く感性が働かないんだよね。」と、僕は言いながら、祭りが近づく時の他団体から好き勝手言われる無茶ブリが、僕を精神的に追い詰めた事を思い出していた。飲みに行っても、周りの圧力や雰囲気とかに気後れしていたりすると、自分を守るのに必死で、感性なんか全く働かない。感じることができないのだ。
忙しい月曜日だったり、ヒヤヒヤする火曜日だったり、感性は2の次になってしまう。なかなかに扱いが難しいのだ。
感性が眠っていた過去
ある日、大きな荷物が一つ届いた。そこにはミシンと書かれていたので、「息子の荷物なのか」と思った。直射日光にさらされて外に置かれていたので、息子にLINEを入れて、「高価なものだから、部屋の中に入れとくぞ」と送信すると、息子からすぐに「ありがとう」と返事が来た。
またしばらくして大きな荷物が届き、これもまたミシンだった。息子の部屋には三台のミシンが並んでいる。僕にはわからないが、縫う用途が違うらしい。
「もう今、爆速でアイデアが湧き上がってさ、ミシンも揃ったから、どんどん作ってるよ。」っと息子は得意満面に話をする。話をするリズムや、間であったり、声の抑揚であったりと、僕は感性を使って息子を感じとる。
「レザーもいい感じなんだよね。ここの裏地に使ってるからさ」と言い、ズボンに斜めに走るチャックを開ける。「ほら、レザーが出るんだよ。見てこれ、最高じゃね?」と開けたり閉めたりしている。
僕は息子の話を聞きながら、感性でただ感じる。息子の存在を感じている。感性が、結婚しているときに使えていたならば、僕はもっと妻を感じることができたのだと思う。
青い扉から妻が買い物袋を抱えて帰宅した。息子はすぐにママのとこへ行き、買い物袋を持ち、「大丈夫?」と声をかけた。息子はママをちゃんと見ていた。妻が言う、「ただいま、今からすぐご飯作るからね」と。
こんな時、僕は多分、ゲームをしていたんだと思う。妻の変化に一番先に気がつくのは、やはり息子だった。「あれ?ママ、髪の毛切ったの? 」と言い、毛先がきれいに揃い、いつもより短いセミロングになっている。そのやりとりが狭いリビングで否応でも聞こえてくる。「うん?」と僕は床に座ったまま妻を見上げると、パチっと視線が交差し「そうだよね、気づかないよね、あなたは。」と嫌みを言った。
そんな時の僕は、必要以上に目を見開いて、「うん?ちゃんと気づいてたよ」なんて誤魔化したりする。それがかえって場を悪くすることもわからずに。
感性が眠っている事すら気がついていない、そんな僕がそこにいた。
