2023年6月の副長日誌@家族に感謝の半年だった

この日記は6月の出来事を綴っています。1日で1ページ作成してたらページの管理が大変という事に気がつきました。1カ月1ページにして日々書き足しながら更新して簡素化を図ろうと。無駄ばかりのHPのコンテンツで、これ以上無駄ページを増やしてどうするんだという結論に達したのでした。

目次

ひさしぶりの風邪

もう何年ぶりだろう。38℃の発熱があったのは。喉と鼻水があり悪寒がする。独り暮らしで風邪ひきはかなりやばいかもしれんなと思っていたら・・・

ライカー副長
ライカー副長

そうでもなかった。

どうやらボクはひとりで生きていける体質なのかもしれない。心細さとかないし、寂しさもない。「病気になったり歳をとったら寂しくなるもんなんだよ」と良く知人に云われていました。

だから「恋人作らない」とう考えに少し迷いもあったのだけど、実際に病気になってみたら寂しくなかったという実証が得られたわけで安心している。

葛根湯を飲み、養命酒を飲み、おでこにひえぴたを張り、ふとんに入って唸ってた。

「うーん、うーん」

妄想に浸るのが大好き

唸りながら想像して遊んでたりした。小学生の頃なんて授業そっちのけで雲を見上げて妄想で遊んでいたりした。だから妄想遊びが大好きだ。この時だけは自由を感じる。思い描いた世界に浸れる時間がそこにある。そしてウトウトしてきて夢の中だ。

目が覚めた時には21:00。2時間ほどしか眠れていない。最近わかってきたのだけど、体調が悪ければ睡眠が浅くなる。

しばらく布団の中でまどろんでいたが、喉がカラカラだったので起きる事にした。

眠れないのは不安のせい

足元がふらつき関節が痛い。体が火照って熱があるようだ。スマホを持ちファミリーマートまで夜道を歩いて体の火照りを冷ました。

雨上がりの湿った空気だけど、息を吸い込むと喉につかえる。鼻水もたれてきて息がしにくい。風邪の症状があることに少しの安堵を覚えた。

原因不明の熱ではなさそうだったのでひと安心だ。

しかし、やっぱり寂しいのかもしれないな。自宅で籠るより外の世界で独りでいるほうが心地良い。人と関るストレスを抱え人から逃げるくせに、人のいるざわつきを感じたいという矛盾。

翌日の仕事は最悪

一時でも38.0℃を出しているのでコロナを疑わなければならないところなんだけど、仕事を休めない。気合で仕事へ。万が一があるのでなるべく話さないように。といっても話す気力さえないんだけど・・・。

目が少し涙目になっていて、体は少し軋む。病み上がりってのはこんな感じ。自分の体が自分の体じゃないようだ。鼻水が詰まって息がしにくい。頭がぼーっとする。

少しの熱は動けば治る。っていう根拠のない理屈だけど、結構これが当たる。動いているうちに体が動けるようになってくる。午後まで持ちこたえてやっとゴールが見えてきた。

鼻水だけが残っているけど、なんとか風邪を克服したようだ。念の為、葛根湯と養命酒は飲んでおくことにする。

ロトくじを楽しむ日

という今日は何の日をした。どうせレクリエーションのために知識を仕入れるのであれば、宝くじの歴史や起源なんてつまらない。本気で当てにいくぐらいの知識を仕入れようと「ロト6の買い方」で検索をかけた。

そしてレクリエーションを利用して利用者さんにロト6予想をたててもらった。さぁどんなもんだ。この数字をえっこらえっこら買い続けるとするか。

数字の理論は以下のサイトを利用します。

このサイトで出ている数字をピックアップして以下の理屈で数字を割り出します。

  • 直近100回で出やすい数字から3つ
  • 直近100回で出ていない数字から3つ
  • 全回数で出にくい数字を除外

ここから利用者さんに選んでもらった。

デイサービスのブランディング

デイサービス責任者から提案があり主要メンバーでの会議をもつ。そのなかで大枠で決まった事

カフェのようなデイサービスをつくる

ここにきて原点回帰。そもそもカフェ風に建物を作った。そして1Fは洋風カフェを。2Fはモダン和風なカフェを目指したデイサービス作りをしていた。

今までが最悪だった

いくら理想があり先行投資をしたところで、そこでサービスを提供するのは人である。

雇い入れているスタッフに多くの課題があった。だから建物が出来てからというもの次々でてくる課題に追われるのは必然のこと。

古参のスタッフがいきなり機嫌が悪くなったりした。ここで元パートナーに「ありがとうは魔法の言葉」と教えてもらい感謝を示し機嫌を直してもらった。これはこれで良かったのかもしれない。ただ、スキルのない無能なスタッフをのさばらせる元凶にもなる。

問題だらけの運営

組織の成長と共に必要なスタッフのスキルも変わってくる。この切り替えも必要だったのだろうけど、身内にも働かない怠け者がいるので、内にも外にも課題を抱え続けていた。改善の糸口をつかめないまま足掻いていたような気がする。

これが少しづつ改善してきたのは、身内の采配がコケて退場となり、ここから元パートナーのアドバイスを得てボクに采配が集中してからだった。

組織の若返りと挫折

そしてスタッフの入れ替わりが始まる。古参スタッフがひとり抜け、ふたり抜け、数が少なくなり居場所がなくなる。辞めていきスタッフが入れ替わり組織が若返りが図れてくる。

いよいよ最後の古参スタッフが辞めていき、完全に若返りが出来たところで、さぁこれからという時だった。今まで支えてくれていた元パートナーもボクの元を去ってしまった。

ここからはあまり覚えていない。組織運営よりもボクの命が枯れそうだった。その間に若いスタッフがそれぞれ働きやすい環境に変えてしまいサボる者がいたり、他のスタッフのケツをかいて喧嘩させるスタッフが現れたり、ボクもすっかり舐められてしまって指示しても働かないスタッフがのさばりはじめる。希望のない混沌がやってくる。

組織に軸が出来る

そんな折に社会福祉法人でリーダーとして活躍していた人が定年退職を迎えて、ボクの組織で雇い入れることになった。

いろいろ怒られた。ボクの甘さだったり、スタッフの教育だったりと。ただこの人はダメ出しだけではなく、改善へと自ら動いてくれる人だった。経営についても経費節減、人件費節約と、必要最低限の人員配置を行い、スタッフへの教育も熱心だった。

この新しリーダーについていけないスタッフは次々と音を上げて辞めてゆくことになる。ボクは彼女に経営者としての立場を尊重され、他のスタッフも彼女を見習いボクに皿洗いや現場の介護などをさせないようにすすんで動くようになった。

このデイにボク以外の軸が出来た。つまりボクには有能な右腕が出来た。彼女はボクにも厳しい。身内に甘えていた運営からの脱却だった。元パートナーからの仕事上での卒業になりボクは自立することになる。

原点回帰

誰一人サボらないという環境のなかで、次の責任者候補が入社してきた。これは今の責任者の紹介で入社してきている。今の責任者が責任者として教育して次の責任者になる。たぶんあと2か月ぐらいで交代になるだろう。

そして、この体制が整ったところで「カフェのようなデイサービスを作る」という原点回帰を行い、具体的な打ち手を次々と実行に移す。

お花のあるデイ空間

始めに手をつけたところがお庭。苗を買ってきて鉢に植えて癒しのお庭を作った。そしてデイルームにも観葉植物を置き、切り花を置き始めた。

利用者さんはすぐに変化に気が付き反応が見て取れた。今の変化のすべてはココから始まっている。

デイルームの環境整備

お花が飾られると、次はデイの環境を整え始める。テレビコードはまとめられ、不用な物品は片づけられた。玄関ホールにお花が飾りつけられて、ボロボロだったソファーにソファーカバーが被せられて、赤いクッションが添えられた。そしてBGMでジャズがゆるやかに流れ始める。

発信力の強化

サービスが向上するにつれ、サービスをエンドユーザーに届けるという業務が生まれた。営業だ。パンフレットを一から作り直した。これはみな意見を取り入れたパンフレットだ。そして営業リストをつくり時間がある時は責任者と共にパンフレットを配り歩いた。

SNSで発信をし始める。Instagram・Facebookと毎日投稿で発信。ペルソナはケアマネージャー・家族・そして求職者。若い人ほどSNSで見ている。Instagramは10代~40代、Facebookは50代~70代といったところ。またFacebookは地域性が強い。このターゲットに向けて発信をして、たまに広告を打ったりする。

看板の設置を行った。デイサービスをしているという事を地域の人さえ知らない。だからデイサービスをここでしていますよと発信するために看板が設置された。

サービスに付加価値をつける

ここから介護サービスだけでなく付加価値がつき始める。ハンドマッサージの資格を持っているいるスタッフがいて、このスタッフを中心にすべてのスタッフがハンドマッサージのスキルを身に着けた。そして利用者さんに声を掛けてハンドマッサージを無料で行い始めた。

ネイルが好きなスタッフがいて、ネイルをしたいという意見が出てきた。高齢者にネイルを施すと思っている以上に喜んでくれた。なかなかの反応だった。

かわいいをコンセプトに小物にこだわる

お茶碗・コップ・コースター・テッシュカバー・御盆などデイで取り扱う小物類を「かわいい」ものに買い替える。かわいさを徹底的に追及するそうだ。

こんな感じでどんどんサービスは変化していっている。変化にスタッフは好奇心を持ち楽しんでいる。これがここ1カ月ほどの変化だ。

ネコを飼おうか迷っている

今日、うちの敷地で子ネコがいた。親猫とはぐれたのだろうか?物陰にじっと隠れていたので捕まえた。だいぶ迷ったのだけど飼おうと決めた。

ベランダで離してやると怯えて隠れてしまう。まぁこれは仕方のない。親とはぐれて心細いところに人間にとっつかまって見知らぬところまで拉致されたんだからビビるのが当たり前。

ハムスターと同じ要領で少し放置して慣らすしかないなと思ってほっておいた。

ベランダで尿をそこらじゅうされたら困るなと思ってネコのトイレやエサを買いに行く。トイレの砂もいろいろあるがスタンダードのものを。エサなんて1歳用とか10歳用とかアダルト・シニアで別れていたりする。ペットブームなんだな。この豊富な種類を見てればなんとなく流行を感じる。

家に帰るとまだ物陰に隠れている。かまうと逆効果だろうし関心のないふりをしてトイレとエサだけを置いて様子を見た。

ライカー副長
ライカー副長

トイレとエサは用意したけど、どうやって飼えばいいんだろう?

そういえば何もわかんない。とりえず「ネコの飼い方」でネットで検索していると、ネコにダニとか寄生虫といろいろ書かれていた。

そういや野良猫だよな。いろいろとダニとかもってそうだ。こりゃ様子見の前にとりあえず風呂に入れて洗身しなくちゃいけねぇわと思った。放置するのはその後だ。水は冷たいし可哀そうだし、やっぱ風呂場でお湯で洗うほうが良いかなと思って、てんやわんやで捕まえる。

やっぱ毛を洗うわけなんだから、ボディーソープよりもシャンプーとリンスーだろうな。しかし浴槽内でかなり暴れまくる。そりゃそうか。人生(ネコ生)初めてのお風呂体験だからな。

シャワーを出して子ネコにかけてやると逃げる。まてまてとお湯をかけてゆくと、毛が皮膚にペタッとひっつくんだこれが。まるでハムスターみたいだ。ハムスターもペッタリ張り付く感じなんだ。プチパニックになってるのはハムスターもネコも変わらんな。

そこにシャンプーを掛けてやさしく手洗い。シャワーをかけて流してから、さらに2度目のシャンプー。動かなくなったので気持ちが良いのかな?とか思ったのだけど、足が震えている。そうか恐怖で硬直しとるわけか。

そういやテレビで女性がレイプされた事件の事をしていて、女性の体が動かなくなるとカウンセラーが言ってたっけか。人間も恐怖を感じると体が硬直して動けなくなるんだそうな。動物的な反応は人もネコも一緒なんだろうか?なんてことを思い出したりしたけど、なんでネコの入浴中にこんな事を思い出すんだか、たぶんボクの手の中の子ネコの硬直した姿を見て心が痛んだからだろう。たぶんそうだろう。

危害を加えるつもりはなくて、単に体をキレイにしてダニを落としてやりたりだけなんだけど、ネコに理解できずはずもなく、お湯を掛けられて、シャンプーの泡でサワサワと洗われて、恐怖のなか首を反り硬直している。

あぁ・・・マジですまん。早く終わらすよとリンスーをぬりぬりした。で、シャワーで流してタオルで拭き拭きしてから、ドライヤーで乾かした。

子ネコの初のお風呂体験が終わったところで浴室から出ると、親猫が探してニャーニャーと鳴いていた。たぶん親ネコだろう。逃げては何度も戻ってくるのだから。そうかお前が親ネコなのか・・・と思い、子ネコをそっと地面に置くと、テッテケテーと逃げていった。

親から子を引き離すというのは、かなり心が痛む。心の痛みをずっと抱えたまま、この子ネコを飼うのは無理だなと思ったんだ。だから親元に返してやった。

ネットを観てると「子ネコを保護した」という表現で、親猫から子ネコを引き離している人をちらほらみかける。野良猫で生きるより、人間の保護下で安全に生きるほうが子ネコのためだという考え方だ。人間の価値観をネコに押し付けている。これはこれでいろんな意見があってもいいと思う。野良で2年ほどの寿命で終わるケースだってあるわけだ。なにが幸せかわからない。

ちょっと話はズレるけど、「自分の意見を他人に押し付ける」という行為は、対人関係では完全にNGだ。100%人間関係にトラブルが起きる。というか人権侵害と今の時代だったら非難されるケースだろう。

「自分の意見を他人に押し付ける」という行動は慎んだほうが人間関係は育つと思う。

まぁ、そんな事はおいておいて、この一連の体験に少し感動を覚えていて、真剣にネコを飼おうかと迷っていたりします。

Ipadproがぶっ壊れた話

競馬に興味を持ち、パソコンの前でAIで競馬予想をしている最中に、息子からLINEが入った。

ipadproぶち壊れたからパパのIpadproと交換してwww

使い道はわかってます。ゲームですよね。車のゲームに夢中だとか聞いていたので、充電出来なくなるという故障は致命的。しかも課金しているようなので「やーめた」とはならないよね。世界ランク15位まで上り詰めているというので、さらに辞められないわけだ。気持ちはわかるよ。

何度かのLINEのやり取りの中で、例えゲームが目的であってもiPadって情報を取る板だから、息子の環境整備としても必要なものだろう。だから必要な投資だと思い始めてきた。

であると、ストレージは多いほうがいいだろう。128Gだと言ってたが、512Gまで増やしてiPadproを発注。受取可能日が「明日」と記載されていたので、正規店での受け取りを選択してポチリ。

方向性が決まれば行動も早い。悩んでいる時間がもったいない。

そんなわけで、息子のiPadproを購入したのであった。

翌日、報告があった。報告があるのはエライ。こういった細かい発信がパパの心をつかんでゆく。

AIで競馬は勝てるのか?

友達に競馬に誘われたので阪神競馬場に行ってきた。最近はウイン5という掛け方があり、5レースの1位を当てる。これが高配当になり一攫千金を狙えるのだそうだ。

少し調べてみると3番人気までの勝率は61%だということ。だから人気馬の組み合わせを買えば、まぁ当たる確率が見えてくる。それでも3頭×5レースで各100円を掛けたとして24,300円かかり、配当が少ないので夢がない。5レースあるなかの1レースを穴場予想をして配当を上げる買い方がお勧めされている。(アドレナリン競馬予想HPにて)

過去データーの分析をして穴場を予想する時に、ボクはAIで分析されたものを資料に使っている。その資料というのは以下のサイト。

まだ試行錯誤しているけども、ふたつのサイトを見比べていると1着・2着が同じ予想になっているところを押さえておく。固いレースが予想されるので、ここは2点買いぐらい。

これだけでも自分で予想を考えなくてもよいレースとして除外出来る。他のレースを負けの許す範囲で点数を多めに購入すればいい。

それともうひとつAIだけではなくて人の分析も加えて。いろんな情報を入れすぎてもダメだけど、AIで一致したものを固いと信じ、それでも迷う時は人を信じるって事でソフトさんの競馬予想も参考にする。

これでやってみようかなと思う。

女がいないと生活できそうにない男なんだけど

相変わらず部屋が汚い。整理整頓が追い付かず、常に物を探していたりする。洗濯も出来なければ、料理も出来ない。自分の事も自分で出来ない無精者なのがボクという生き物です。

高校の友達に結婚できない男がおるのですが、そもそも彼の生活には女が必要ないぐらい完璧に家事をこなせるわけです。

「女=家事」みたいな事を今ここで書いちゃいましたが、これはジェンダー観になり今の時代はこの考えはバッテンです。ですが今の論点はジェンダー云々ではなく、「自立した生活が出来ない男ほど女の助けが必要ですよね」ということを言いたいので話を続けます。

部屋が散らかりすぎて足の踏み場もないというのはボクの部屋の事です。
トイレに行くのに立ち上がれば、何かを踏みます。
踏みながらトイレに行きます。
外出しようと玄関まで移動する間に何かを踏みます。
とりあえず移動出来ないぐらい部屋が散らかっているのです。

今のままネコを飼えば、間違いなく誤飲させて死ぬでしょう。だからこそネコでも飼えば、部屋を片付ける気にでもなるかなと思ったりしているのですが、まぁそれくらいボクはダメ人間です。

ダメ人間ほど隙だらけで、女でもひっついてそうなのですが、女には潔癖なのですよ。これホントに。ゆきずりの女とか無理な人です。ちゃんとお付き合いしないと無理な人なんです。そしてちゃんとお付き合いしたら責任を感じる人です。遊びでダラダラといった事が出来ないんですよね。

だからこそ

まだボクの中には元パートナーが居座っています。そしてこれはボク自身の選択だったりします。そろそろ自由になってもいいんじゃなかろうか?と自問するわけですが、なにかしら心の奥底で元パートナーさんへの責任を感じていたりします。

ライカー副長
ライカー副長

相手が離婚を選んだのだから、そこまで責任を感じなくてもいいじゃん。向こうは好きにやってるさ。お前も自分の思うまま好きに生きろ。

そう思う反面、そう出来ない自分もいるわけです。この葛藤はまだまだしばらく続きそう。いつ解放されるのだろう・・・

ライカー副長
ライカー副長

さぁわからん。当面は成り行きに任せるさ。

野良ネコには彼らの幸せがある

ちょっと前に子ネコを捕獲して、シャンプー・リンスーをしたげてダニや感染症などの予防を施したと書きました。親ネコが探しにきてたのでリリースして親と子は引き離してはダメだなと。そこで話が終わったのだけど、今日また続きの物語があった。

野良猫の撃退をしようとアニマルバリアという商品を庭に設置した。

ネコの嫌いな超音波を出して追い払うというもの。この設置で2週間ほど様子を見ようとおもっていたのだけど、効果があったのか少し離れたところにあるエアコンの陰に例の子ネコがいた。

今後も何度か書きそうなのでいっそ親ネコと子ネコに名前をつけようと思う。
親猫はマーガレット。 子ネコはケチャップ。

エアコンの陰にひとりぽつんとケチャップがいる。周囲にはマーガレットがいない。

ライカー副長
ライカー副長

ん?なぜだ?いつも傍らにいるのに今日はいないじゃないか。

ふと思い出した事がある。ボクはケチャップにシャンプー・リンスーで洗ってやったが、実はアレはしちゃいけない事だったらしい。人間の匂いがケチャップにつくので仲間内の野良ネコから仲間外れにされるとか。最悪いじめ殺されるかもしれないということだった。

エライ事をしてしまったなぁと後悔してもおそい。シャンプーしたあの夜、ケチャップはママのマーガレットに受け入れられてもらえなかったのかもしれない。だからマーガレットだけがひとり屋根でいた。ケチャップを連れていなかった。そう考えれば育児放棄にあったのだろうなと想像がつく。

そして今朝もケチャップを敷地内でひとりいたのを目撃した。そのまま逃げて見失ってしまったが、マーガレットが近くにいないのをみると、どう考えても育児放棄された可能性が高かった。

再度エアコンの陰に小さくまるまっているケチャップを見た。

こいつこのままだと食べ物もなくて死んでしまうな。元々はボクが人間匂をつけたのが原因なんだから、こいつを育てようかと思い、ケチャップを捕まえた。

で、捕まえたまま、しばらくそのまま置いておくことにした。もしかしたらマーガレットが発見して育児を再開する可能性も押さえておきたかったからだ。マーガレットがどう動くのか?夜をまってから飼うかどうかを決めても遅くはない。

かごで捕まえたので、そのままの状態に置いておいて、しばらく様子をみた。マーガレットが子どもを探す鳴き声に呼応してケチャップも鳴くだろう。育児放棄をしたとしても母性が残っていれば、きっと現れるはずだ。

イオンで晩飯を食い、ユニクロで服を買い、戻ってきたのが3時間後。再びケチャップを確認し回収しようとしたところで「いた!」

マーガレットがいたんだよ。暗闇の中からこちらを見ている。

回収の手をとめてかごを取りケチャップを逃がした。するとテケテケとマーガレットの方向へ走ってゆき、暗闇に消えてゆく。マーガレットはケチャップを確認して再びボクの方向を見たが、ケチャップが消えていった方向へマーガレットも消えていった。

生き物を飼うのを覚悟したが、その責任がするっと抜け落ちラクになる。人間のもとで10年生きる事が出来る幸せ。3年ぐらいしか生きる事が出来ないが母親の愛情を受けて育つ幸せ。ケチャップにとっての幸せはどっちなんだろう。

ボクが思うに親と引き離される不幸はあまり見たくないな。何がケチャップにとっての幸せなのかはわからないにしても、ボクはボクの最善の選択をしたい。

反射的にかごから出してマーガレットの元に再び帰した。

メタ認知しながら暴力をつかう

人格がクソ悪いなという話です。

この動画で高野山に登っています。日が暮れて急いだんです。翌朝、下腹が痛くなりそこから腸の調子がどんどん悪くなっていきました。入院をして検査したら胃液が出過ぎているという事でした。あれから2年経ち、まだ調子が悪いわけです。なので定期通院が入っています。

6月2週目が定期通院だったわけですが、お試し利用があるので通院を見送りました。仕事に繋がる大切な日だったので、自分の事は後回しです。ただこの時も調子が悪く主治医に相談しないとけないなぁと感じていました。

今週やっと時間が出来たので通院です。保険証を失っていたので社会保険事務所にいって証明を書いてもらって、通院に行きます。今回もそのルート。出社して午前中の仕事をして、そこから社会保険事務所にいって証明もらって、診察の受付をする。これを1時間30分で行う必要があります。なぜなら最終受付が11:30だから。逆算すると効率的に動かないと達成できないわです。

そして問題が起こるのが社会保険事務所です。証明を書いてくれないわけです。いつもなら事情を説明して証明を書いてもらえるわけですが、受付に座っていた女性がとても頭がカチカチでして、再発行の手続きをしてからじゃないと証明書けないというのです。

いつも書いてくれているんだから、書いてくれなきゃ病院に行けないじゃないか。保険料払っているのに使えないというわけか?腹が立ってきて結構受付でまくしたてました。(←これが暴力です。)

時間がない。診察受付時間まで時間がない。しかも通院に行ける日に限りがある。会社を休めないわけです。この日を逃せばいつ通院にいけるかどうかわからない。しかも体調が悪い。そしてこの受付に座っている頭がカチコチ女がボクの邪魔をしている。上司に聞かなきゃわからないというので、じゃぁその上司を連れてこい!とまくしたてました。(←これが暴力です)

上司が来て説明しだすので、口はいいから手を動かせ!なんちゅう仕事しとんねん。こっちは時間がない。いつも証明書いてくれているんだから黙って書けよ!とまくしたてました。(←これが暴力です)

会社に電話して再発行をお願いしますというので、俺が会社に電話して言うからとスマホを出して電話した。それでも証明書いてくれる気配がなく、今日が通院日で今必要なんだ。とまくしたてると(←暴力です)、上司に聞いてきますと。

お前が上司じゃねぇのかよ!

連れられてきた上司らしき女が、そのうえの上司に聞きに消えていったので、付き合いきれず。ここで頭をスパッと切り替えました。このままやり取りしていたら更に暴力を積み重ねると判断したわけです。

市民病院に連絡を入れて、保険証を失っているんだけど償還払いの対応は出来るか?と聞くと出来るという話だったので、ここで時間を浪費し続けるよりは次の行動に移ろうと思って病院へ向かった。というお話です。

この一連の行動で暴力がいくつか出てきました。暴力の定義をおさえておくと

暴力とは

相手を自分の思うようにコントロール(支配)しようとする行為。

この場合の暴力は「まくしたてる」です。相手に証明を書かせるために誹謗中傷する行為が暴力です。

自分の思うようにコントロールする行為が暴力だとすれば、親は子に暴力を使っているケースもあるし、弱者特権でおもちゃ買ってと泣きわめく子どもも暴力を行使しています。相手をコントロールしようという意図が介在すればすべて暴力という事です。

暴力の定義を理解し、このままこの状況を続けるなら暴力を積み重ねると判断すれば、この状況から逃げるという選択をします。これがエスケープといいます。暴力から離れる選択をするわけです。

これで暴力を行使するという選択しかなかったものに、暴力から離れるという選択肢がひとつ増える事になります。暴力を使わないという事は選択肢を増やすということなのですね。

そのためにメタ認知が必要になってきます。暴力とはなにか?そして自分が暴力を選ぶ価値観が備わっているか。どんな価値観が暴力に繋がりやすいか?客観的に知る(メタ認知)という事が選択肢を増やすことにつながるわけです。

DVと暴力と犯罪のプロセスについて

自分の態度・行動は暴力だった、犯罪であったことを認識できているか?

という問いがあり、暴力は認められるが「犯罪」?ってなるんですよね。「暴力をふるったけどもボクは犯罪を犯してはいない」と思うわけです。「真面目に生きているボクが犯罪者だって?」と思うわけです。DVの知識が無い人は自分の価値観が犯罪に繋がるとは認識出来ていません。

ボクがやったDVは威圧して相手の選択の自由を奪ったこと。言葉としては暴力を行使することにより相手の行動をコントロールしようとすると簡単に説明できますが、やっている事は犯罪者と同じ思考プロセスを辿っています。

法を犯したのかどうかの違いだけであって、基本的な思考プロセスは同じなので、犯罪行為だと認知しておかなければならない。

無意識に根付く価値観のなかに犯罪プロセスが組み込まれているので、認知しようがないわけですが、DVの知識を深めてゆく事で言語化する事に成功し、形のない価値観を捉える事ができたりします。

暴力につながる価値観が育つプロセス

幼少期

男らしさ・女らしさを求められてありのままの自分を認めてくれない環境で育つ。社会や親の期待に応えようと真面に頑張るが、男らしさや女らしさは理想像であり頑張って成れるものでもない。ゆえに未完成な自分を恥じるようになり、ありのままの自分を愛せなくなる。つまり自尊心が育たない。自尊心が無いので誰かに「褒められる」という事で「ここにいてもいいのだ」と安心する。次第に承認欲求を得る事で安心感を感じるようになり、他人の期待に応じて生きるという主体性のない生き方を選ぶ。

対人関係

ありのままの自分を愛せていない自尊心の低さがベースにあると、他者から意見されただけで全人格を否定されたように感じる。なぜかと云うと他人の評価(承認欲求)で自分のプライドを作っているので、根底から自分というものが崩れてしまう。

崩れてしまう自分を守るように、意見や非難をしてきた相手を攻撃するという選択を行う。ここで暴力を選択してしまう。

反応

反応をするということは選択肢がひとつしかないという事だったりします。反応とは組み込まれた価値観に沿って行動を起こす事なので、無意識化で自分の行動が決定されます。自分の意志など介入を許しません。自分を守るために暴力(威圧して相手を自由な選択を奪いコントロールしようとする行為)を行使するしか道がないのです。

反応的な選択以外の選択を探す

DVの知識が無い頃は、反応する事しか出来ません。反応すれば暴力一択です。選択肢を増やす最も簡単な行動はエスケープです。暴力を認知したらその場から離れる。暴力から距離をとる。何も考えず反応を辞め暴力から離れる。これで選択肢が「暴力」と「逃げる」の2つに増えました。

娘を見かける

朝の送迎を運転していると自転車に乗っている女性。遠くからでもすぐわかる。ボクの娘だった。

何年ぶりだろうか?2年ぶりぐらいだ。たぶん彼女は気がついてはいないが、一度すれ違っている。その時はボクはバイクで娘は自転車。

すぐわかるというのが嬉しい。ボクは娘を忘れてはいない。遠くからでも瞬時に娘だとわかる繋がりをもっている。これはたぶん元妻を見てもわかるのだと思う。

声はかけなかった。非暴力コミュニケーションを学んでからというもの、相手の嫌がる事はしないという選択をもつようになった。今、声は掛けれない。そう瞬時に判断した。選択肢が増えてくると反応せずに、今の最善だと思う違う選択が頭に浮かぶ。浮かんだと同時に暴力ではないほうの選択が出来ていたりする。

元気でいてくれているようだ。少しニキビが出来ていたけど疲れているのだろうか?少し太ったようにも感じた。良い。それで良い。今までが細すぎたんだ。太ったぶん健康的になれる。健康でいてほしい。

パパは少し離れて見守ることにするよ。

一緒に幸せになろう

幸せになるという事は、自分の考えで生きるという事だと思う。他人の期待に応えようともがく事ではない。他人の期待に応えようとすることは、自分で自分の人生を生きる事を放棄することに繋がる。他人の意見をなぞって歩くという事なので他人の人生を生きているということになる。それがあなたにとって幸せに感じる事なんだろうか?今一度自分に問うてみてほしい。

本当の自分は何が好きで、何が嫌いで、何を信じたくて、何を夢見ているのか?言語化できているか?言語化出来れば客観的に捉える事が出来る。そして自分なりの自分のためのゴールが設定できる。そこへ向けての自分なりの地図を書ける。

そんな自分を愛する事が出来る。ありのままの自分を愛する事ができる。

他人のためではなく自分自身のために生きよ。

自分が何をしたいのか知ってる?

ボクは団塊Jr世代だ。団塊Jr世代の生き方は画一的。同調圧力が強くひとり違う事をすれば容赦なくいじめの対象になる。実際にボクは中1の時にイジメられた経験がある。

団塊Jr世代には成功者としてのひな形がある。良い大学にいき良い会社に入社する。そしたら一生安泰。あなたは成功者となれる。というものだ。

しかし昨今、会社が一生面倒みてくれる時代は終わった。終身雇用は終わった。世の中もインターネットの普及で個人で稼ぐ事が出来る環境が整った。世間はがらりと変わる。会社に依存しないで下さいね。会社はあなたに十分な給与は支払いません。足らずは副業でもして稼いでください。副業解禁します。

あなたは自由です。

ちょ・・ちょっとまて。今更あなたは自由ですと言われても、どうしたらいいんだ?今までひな形どおりに生きてきた。同調圧力があり自由気ままに生きる事なんて許されてこなかった時代で生きてきて、いきなり今から自由だから勝手にやってくださいね・・・だと?

ボクは・・・他人に頭を預けてやってきたのに、今更考えろ?自由に考えてやっていいんですよ。と言われてもどうしたらいいんだ?

というのが団塊Jrの今の心の叫びというところじゃないでしょうか。

何をしていいやらわからない。自分が何をしたいかさえわからない。誰か教えて欲しい。自由なんてなくてもいいから誰か教えてよ。って感じじゃぁないでしょうか?

これってどこぞのアニメを思い出しません?エヴァンゲリオンのシンジ君なんですよね。

エヴァンゲリオンは世の中をしっかり映し出しているんです。団塊Jrが高校生の時ぐらいに放映していたアニメですから、先の世を見据えて世相を映し出していたんですね。

自分で自分の人生を切り開いていく。言い換えれば自分で自分の価値観を作ってゆく。自分で自分の人生を創っていい。もう常識とか縛るものはないから自分の常識を創って生きて。という世の中の変化は団塊Jrを苦しめます。

何がしたいのか?より、何が好きなのか?好きな事で小さな成功体験を持てば、次の成功体験を欲する。そして夢中になれている。というところが見つかれば幸せの一歩なんだと思うんですよね。

自分が何をしたいのか?という視点より、好きな事の先に夢中になれる事があり、結果的に夢中になれる事が自分のしたい事。という視点でいたほうが理解しやすいと思ってます。

考える必要はない。Youtubeなんかを観て「あ、これやってみたいな。これ出来そうだな。」と感じたものをかたっぱしからやってみる。そして体で感じて続けられそうなら続けてみる。そこに何かを感じる事が出来るかもしれない。

やってみるという行動が今後一番の価値をもつと思います。だから考える前にやってみろ。

今日は非暴力コミュニケーションのカウンセリングの日だけど

パソコンがなかなか立ち上がらなくて、立ち上がっても動きが遅すぎて何分待つんだ?って感じで20:00からZoomに入らなきゃいけないのにもう20分も過ぎてしまった。

これで3000円払って途中参加とかないなと思い今日は欠席します。

反応させられる人生

非暴力とか人権の向こう側が見えてきたんです。人間の本質です。こういう風に人間は出来ているのか。なんてわかってきたんですよ。

だからもうボクには非暴力コミュニケーションに通ったところで得るものは少ないと思うんです。だから今日はすんなり諦めたわけですが、本質ってなんだというと、表題のとおり人間は反応の連続で生きていますって事です。

ボクには正義感という価値観がインストールされていて、不条理に出会うと拒否の反応を示します。これって間違っている。だから相手を正さないといけない。こんな不条理を受け入れてなるものか!って反応を示します。

これをパートナーに向けて反応を返すとパートナーとの人間関係を壊してしまう。だけど壊してまでもこの反応に固執しちゃうんです。

これは無意識で反応しちゃいます。意識出来ない。客観的に捉えられないんです。正義感をインストールされたのは、結構昔の事なので、昔すぎて体に馴染んでしまって正義感をインストールされている事すらわからないんです。

ボクも自分の怒りがどこから来ているのか最近ふと理解できました。「あ・・・ボクって正義感が強すぎるな・・・」と感じた瞬間があって、客観的に自分を捉えた一瞬でした。

この正義感にボクは反応させられていたんだと理解したんです。プログラムがインストールされたら後は全自動なんですよね。全自動で反応し判断し行動します。

そして相手もそうです。元妻であるパートナーも「正義感」という価値観がインストールされていたりします。だから細かなボクの両親の関係であったり弟の怠け癖が許せなかったのだと思うのです。

反応させられているのであれば、どのような価値観に基づいて反応させられているのか?を知れば相手を理解できたりします。理解出来れば相手の云ってる背景も理解する事ができたりするので、承認する余裕も生まれたりします。

パートナーとの関係を成長させる価値観

反応を繰り返してパートナーと対立関係になる事が多くあったのですが、対立関係になってもボクは価値観に基づいて反応を繰り返していました。

だけどボクの価値観って、パートナーとの関係を壊す以上に大切な事なんですか?

いつインストールされたかわからない価値観。そして誰にインストールされたかわからない価値観。ボクが好んでインストールしたわけでもない価値観に反応させられて、大切なパートナーとの関係を傷つけてゆく事ってバカらしくありませんか?

なんてことを考えていると、反応させられる元凶の価値観がとても馬鹿らしくなってきまして、こんな誰にいつインストールされたかわかんねぇ価値観なんてアンインストールしてしまおうという気になってきました。

完全にアンインストールする事はなかなか難しいのですが、いらないプログラムだよなと認知するだけでも、そいつが反応させようと動き始める事を察知して、無視する事が出来るようになります。つまり反応しないんですよ。自分の意志力を使って反応しないという選択が出来るようになってきます。

ここが大切なところで反応させられない人生を選ぶ事だって出来るわけなんです。

どういった価値観がインストールされているのか知る事が大切

反応せず無視するためには、元凶の価値観を知る事。自分の中にどいういった価値観があるのか?これは自分が好んでインストールされたわけではない。だからアンインストールしよう。無理だとしても無視しようという選択が出来ます。

だから自分の中にインストールされた価値観を知る事が大切なんです。今までの自分と決別する事が出来るからです。

元妻のパートナーが正しかろうが間違っていようかボクにとってはどうだっていい。ボクが大切なのはつぶれてしまった彼女との関係の再構築と成長です。

もう昔どおりにはいきません。壊れてしまったのを元に戻す事は出来ない。時間を逆回転は出来ないんです。でも違うカタチに作り直す事は出来る。全く違う関係からスタートして成長に向かって積み上げる事も出来る。

ボクにとって重要で大切な新しい価値観です。ボクがボクのためにインストールした価値観です。これに反応したい。ボクの正しさなんてどうだっていい。彼女が自分が正しいと反応しているのであれば、その反応に合わせて関係を成長に向かわせる事に反応を使うという事です。

時間はかかるが「さぁ、はじめよう」

お得意の妄想

「一緒に解決する」の一緒にが温かい。ってわかる?一緒にっていうワードが今のボクには刺さる。

ウジウジ悩んだっていいじゃん。ふたりでダラダラ話してもいいじゃん。目的のない話を一緒にしてもいいじゃん。誰けて気楽にやってもいいじゃん。

だけど互いに背負わなければならないものがあったりするんだろうな。ボクはボクで背負うのは会社がある。これは下ろす事が出来ない。今はね。将来的には下ろそうと思っているんだけど、今じゃない。

彼女は子どもたちなのかな。わかんないけど。彼女も彼女なりに戦って背負い込み過ぎているところもあるんだろう。

だから今は支え合う事が出来ていない。

だけどねボクたちは協力することで無敵になれたりする。今まではそうだった。ひとつの目的があり達成までブレる事なく邪魔は撥ね退けて突き進む無敵さをもっていた。

支え合う事でふたりで補い合う事で無敵だったような気がする。

いつの間にか補う事で最高の二人になれていていたのが、一緒じゃないとダメという手段が目的化しちゃって、互いに縛りあう関係に変わってきた。

人は変わるし、状況も変わるので、これからもどうなるのかはわからない。未来がどうなるのかもわからない。ただ予想は出来ると思う。

ライカー副長
ライカー副長

ここから妄想

お互いに恋愛感情はあっても恋愛には発展しないだろう。やらないといけない事が多すぎて生活の愚痴があったりして、愚痴を言い合える関係になるんだろう。次第に和解になったりして、心から話し合える時期が来るんだろう。

それがいつかはわからない。来月かもしれないし、来年からもしれないし、もっともっと先かもしれない。そうなればいいな。

過敏性大腸炎

というストレスからくる大腸炎を患っている。もうかれこれ2年になるかな。

非暴力コミュニケーションのカウンセリングでDVに繋がる価値観を捨てるという試みをずっとしてきた。これは今までの自分を否定することに繋がり、結構心的負担が大きかったりする。

ずっと悩み後悔し懺悔して、なんとか自分を変えようともがいてきたら体にきた。ボクの弱いところは気管と消化器だ。今回は過敏性大腸炎になり腹痛と便秘に悩まされ、あらゆる症状が出てきた。

下腹部の痛み・なんでもないところでの躓き・異臭・左足のしびれなど。

やっと病名がつきクスリの処方になった。

クスリが効けばいいな。

執着を捨てる

自分の想いが全面に出ていると、パートナーの気持ちなんか考える余裕がなかったりする。この傾向は短期間で関係改善を図ろうとする時に陥るハマりパターン。

関係改善を目指すのであればパートナーの気持ちを優先する事が大切。ゆえにボクのようなパートナーが嫌がって逃げてしまっているのであれば、短期的には「嫌だ」というパートナーの気持ちに着目して、離れるという選択をしないといけない。

物理的に距離を置いて離れるだけではなく、パートナーへの執着を捨て去る事で、パートナーの想いを優先する事ができたりする。

なるようにしかならないと腹を括って、諦める事が相手を大切にすることにもなったりする。

この選択はなかなか出来るものではなくて、この発想に結びつく事もないわけだが、非暴力コミュニケーションというグループカウンセリングに出席していれば、この発想が養われてきたりする。

一見、後ろ向きかもしれないけども、執着を捨てる。諦めるという選択は前進的後退であったりするんですよね。

また、諦めるから見える視点もあって、新しい考え方も湧き出てきます。

▼無条件で母親よりもパートナーさんの味方をする。
▼ありがとうと感謝を言う。
▼話に結論を求めず(情報の共有)ではなく、体験・感情の共有(一緒に笑う・一緒にする)事を優先して、会話自体を楽しむ。
▼パートナーさんの意見(反応)から里美さんの価値観を理解する。反応に反応で返さない。
 (話の論破が主軸になったので、話にならないと良く言われた。ここはパートナーの云いたい事を理解する。なぜそのような考えになったのかに興味をもつ。そして彼女のものの考え方をひとつの考えだと認める)

とまぁ、こんな感じ。

離婚してから関係が終わりを告げてしまったけども、この発想や着眼点が生まれてきたのは、大きな成長だと思う。痛い目を見て、人生の底辺を経験して、改善を模索して、方向性を修正して、そして自分の血肉にしてゆける。

転んでも転んでも立ち上がった時には、いろんなものを捨てて身軽になったぶん、新しい世界を受け入れる環境が整っていたりする。

もう強さは求めない。ありのままを受け入れる力を身に着ける。

Instagramとカメラと限界

会社のブランディングのためにInstagramを始めたのが先月だったと思う。

Instagramを始めるにあたって本を読んで勉強をした。

そしてライバル会社のInstagramを調べた。高齢者ばかりが映っていたので、差別化を図るために、こちらは働くスタッフを主役にしてInstagramを始めることにした。スマホ撮影ばかりだったので、こちらはミラーレス一眼で撮影してlightroomで現像した写真を使うことにした。

地域ハッシュタグ検索では群を抜いてトップクラスになり、常にうちの動画が人気の動画に表示されている。それが全国検索になると様変わりして、まったく表示されない。これは情報を入れ込んでいないからだと分析出来る。

全国トップレベルを目指す必要もないので、これはこれで時間と手間は使わない。つもりでいたのですが、Instagramの人気リール動画を眺めていると、音楽のリズムに写真のカット編集をしているので、ここの編集に手をつけたのがいけなかった。

使える画像なんて10枚とって1枚ぐらい。人気リール動画で使われる画像なんて30枚以上。つまり300枚は撮影しなくちゃ、人気リール動画の素材はそろわない。

結局、撮影するのに時間をとられ、その画像を現像するのに時間をとられ、それを編集するのに時間をとられるという始末。

なんでもかんでもひとりでするには限界を感じるという話でした。

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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