暴力について常の考察を重ねている。
暴力の定義は「自由と平等」を阻害するあらゆる行為を暴力といいます。
つまり身体的な暴力のみが暴力という事ではなく
相手と不平等な関係を結び、その上下関係のうえに相手の自由を奪う行為。
- 束縛する(相手の自由を奪う)
- 怒鳴る(威嚇して相手を支配しようとする)
- 無視する(相手に怒っている意思を示しコントロールしようとする)
単純な行為自体ではなく、文脈上に支配しようとする行為を暴力と定義づける。
これが令和の時代の暴力である。
事例検討①「Tと喧嘩」
今日、友達と飲みに行こうと誘う。
いつもの地鶏の店ではなく、新しく店を開拓しようという事になった。
何が食べたいのか聞くと、なんでも良いという。
スマホで検索「創作料理」
ワインと良く合う店がヒット。イタリヤ料理だったがTは嫌だと言う。
「和食が良い」というので創作料理で和食屋を探す。
スマホのルート検索で6分だというので徒歩移動。
しかしこれは車の時間で、実は徒歩20分はかかる道のりだった。
これに文句を言い始めるTを「トラブルも楽しんでいこう」となだめ
そのまま徒歩移動で店に到着。
しかし、その店の店員の態度が悪すぎて不平不満に思うボク。
お勘定に20分待たされて時間だけが過ぎてゆく。
店の最悪加減をTに愚痴るところ帰り道に喧嘩となる。
店の評価
お店の評価は、料理は普通。スマホ検索で★4だったのに対し、味はそれほどでもなかった。期待外れ。
スタッフの対応は、料理出されるのが遅い。ドリンクは忘れられる。会計で20分待たされる。
総評として、絶対に来ない。
帰り道での言い合い
Tの言い分はこうだ
- この店を選んだのはお前だ。
- 不平不満を聞かされるこっちの身にもなれ。
- お前が選んだのだからお前が文句を言うのは間違っている。
ボクの言い分はこうだ
- 不平不満は友達だから聞いてくれてもいいじゃないか。
- Tの意見も聞いたのだからお店の選定はTにも責任がある。
暴力プロセス
この時点で、意見の相違点のすり合わせであれば問題がなかった。しかしこれが暴力へと発展する過程をみてゆこうと思う。
ふたりの意見の中で共通する事は、「正しい間違っている思考」である。
俺は正しいと思えば、相手が間違っているという事になり、必ず論破しなければならないとう思考に陥る。
その結果、お互いに譲らないという状況が生まれる。
話が平行線。次第にストレスがたまり、相手を言い負かそうとして声が大きくなる。
Tに至っては、歩きながらの議論を静止する。止まれと静止してくる。
大声でヒートアップしたうえに、止まれと静止する。この行動をした方は何も感じないが、されがほうは恐怖を感じる。
恐怖を感じた時点で暴力確定になる。つまり加害者と被害者が生まれる瞬間である。
暴力の本質を探る
暴力に発展する過程。暴力への入り口はどこにあるかというと。
俺は間違っていない。相手が間違っている。
この思考パターンからくる自分執着である。
- 相手が悪い
- 絶対に言い負かす。
- 勝負化する人間関係
- 度がすぎる意思表示
- 相手に恐怖を与える
- 支配につながる
- 暴力
自分は間違っていないと思うと、絶対に相手の非を認めさせようという勝負事に発展して勝とうとする。そして話が平行線になると、相手の態度の理不尽さから声が大きくなり、次第に暴力へと発展してゆく。
暴力を選ばない行動
イライラの原因を探り、課題の分離を行っておく。
自分の意見は主観に基づいてあるが、決して自分が世界の中心ではない。
自分の意見があり、他者の意見がある。
自分の意見は多くの意見のひとつにすぎない。
当然、自分の意見が拒否されることがある。
拒否された場合は、反対意見がある事を受け入れる。
感情は手段である。
この場合の目的は「相手に間違いを認めさせる」
この1点の目的に向かって、感情を自分の中で作り出し、相手を支配しようとしている。
互いに主張が違う場合があるという考えを持っていれば、相手を支配しようという考えは浮かんでこない。つまり相手を自分の思い通りにしようと突き動かされている時は、おのずと感情を使って相手を威嚇している時であり、それは相手を支配しようとしている点について立派な暴力行為である。
感情が沸き立ち、また相手も感情をあからさまに向けてきている時は、そのまま話を続けても相手との人間関係は育たない。
つまり怒りを使ったコミュニケーションは、人間関係の破綻という結末を迎える。
相手が大切な人であれば、人間関係を育てるという意味において、感情のぶつかり合いを言ったん中断することが賢明であるため、今回の場合はタイムアウトをとることが有効な解決手段である。