じゃぁ またね

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約束

イオンで買い物をした帰り道だった。

「ふたりで7000円も使ったよ。」とぼやいていた。

「物価高くなったよね。アメリカで起こってる事が、遅れて日本にきたね。」と息子は言ったが、全くその通りだと思った。

息子は、カツオの藁焼きを買っていた。焼いて色が変わっていたので、黒々としたカツオの身の色が、僕には美味しそうだとは思えなかった。

「明日、いかない?」と息子が言った。あべのハルカスの美術館で開催しているエジプト展の事だとすぐわかった。

「行くのはいいけどさ、明日の朝は用事があるから、午後14時に出発しようか。」と言った。用事とはたわいもない用事で、りんくうのJRAまでUMAKAのチャージをしに行きたかった。残金が1100円しか無かったから、明日の阪神競馬場で行われる大阪杯(クロワデュノールを軸に、セイウンハーデス・エコロディノスの3連単で50万馬券)の投票ができないからだ。

日曜日、3000円ぐらいの投資で、一攫千金の夢だった。

「14時ね。おっけい。」と短い返事で、明日の予定が決定した。未定のような決定のような曖昧な約束だけど、明日になればわかる。僕たちの約束は、いつもそんな曖昧なもので、ガッチガチの窮屈な約束は、互いに嫌った。

意識と夢の重なり

その夜、僕は夢を観た。

イオンのフードコートで、別れた妻と何を食べようかと話していた。

「お金ある?」と僕は聞くと、妻は「大丈夫あるよ。」とピンクの一澤帆布のカバンを持って立ち上がった。

僕はかむくらのラーメンまで行き、おいしいラーメンを注文した。テーブルに戻ってきたら、妻は長崎ちゃんぽんを注文していた。妻は、健康に気を遣っていたから、野菜の入っている長崎ちゃんぽんを好んだ。

僕らは席に着き、箸を割ったところで、妻の携帯が鳴った。

「友達が遊びにきたって。行ってきていい?」と妻は言うので、「行ってきなよ」と僕は答えた。

「じゃぁ行ってくるね。」と、後ろ姿が美しかった。少し行って、妻が振り向いたので、僕は片手をあげて「じゃぁ、またね」と挨拶をした。

後には長崎ちゃんぽんが残されていた。

そんな夢を観て、目が覚めて、しばらく考えていた。なるほどなぁと頷き、時計を見ると7:30だった。いつもの時間だ。体内時計が正確だった。そして、今日は日曜日だ。

生まれ変わったSV650

外は曇りだった。

バイクを走らせていた。車検終わりの、購入した時の姿に戻ったSV650(バイク)のシートは硬く、ブレーキバッドも交換し、新しいチェーンの調整もして、タイヤも新品に変わっていたので、挙動がまるで違っていた。反応を取り戻したSV650は、身体と一体になった。



ギアをシフトチェンジして、アクセルを回し、加速の重力を感じ、僕は風になった。右へ左へ、リズム良くアスファルトに食いつきながら、湾岸線を軽やかに、飛ぶように、舞うように走った。

気持ちの良い風と共に、V型2気筒のエンジン音が、僕の鼓動と重なった。りんくうに到着して、JRAでUMAKAにチャージして、それから家に帰った時には14:00だった。

息子に「そろそろ行こうか」とLINEを入れた。

わかる時がくるまで余白にしておく

息子は完成したばかりのパンツを履いて「どう、これ、かっこいいと思わない?」と自慢げに僕を見た。瞳には自信が満ち溢れていた。

「いいね。足が細く見えて・・・とうかお前、それパンツ見えてるじゃん。」と、みっともないと正直に伝えたが、まだ完成していないとの事で、息子もわかっていたようだった。

まぁ上着で隠れてはいるが、未完成なら、ここは改善されてゆくんだろう。

息子の言いたい事は、細かいところよりも、シンプルに構造を見て欲しかったようだ。腰履きに見せた空間を演出していて、重心が低くて、しかも細くて、上着と靴と一体感があった。

「そこは、ちゃんと伝わっているよ。」

細く立ち上がるが、重心が安定しているシルエット。これがカッコいいという事だろう。たぶん・・・

実は息子の感性を僕も良くわかっていない。

だからいつも「良いじゃん!」と言葉は投げて、後はそっとしておく。これが僕なりの精一杯。

エジプト展

息子はいつものように、そこに存在していた。

エジプト展は、人でごったがえしていたけど、作品群は静かに主張していた。

身体は正面を向いているが、顔は横顔という特徴的なシルエットが終始一貫した、エジプト芸術だ。よく見ると、目元、鼻先、が細かく表現してあって、象形文字?だろうかが刻まれていた。



石板に刻まれた絵であったり、文字であったり、古代エジプトでは貴重だと思われる木材を使った、木彫りの木像だったりが、展示してあった。

僕と息子は、相変わらず互いの感性のノイズにならないように、自由行動だった。

僕は、人の行列に並ぶのが苦手なので、人が空いた作品から眺めてゆく。顔をガラスケースに近づけると、自分の息がかかって少し曇る。警備員に警戒されないように後ろで手を組む。

何かを感じれるハズなんだけど、警備員の気配が気になってくる。という相変わらずの僕だった。

反対に、息子はひょうひょうとしていた。気がつけばソコにいた。アソコにいた。何度か隣に息子はいたけど、僕はとうとう話しかけずにいた。息子が芸術に向き合う時の、独特な雰囲気に、気おくれしてしまう。

僕は感性というよりも、その空間にいる関係性を見てしまう。息子は、作品にまとう雰囲気を感性で感じている。まったく土俵が違うわけで、僕は相変わらずノイズの中にいたし、息子は、本物を求めて自分の世界に浸っていた。

感性の違い

いろいろ見ていくと、現在から4500年前の古代エジプト時代に、お洒落さが見えてきた。石像や、石板に書かれた姿は、髪の毛が整えられている。

女性は髪の毛は長く、前髪はキッチリ揃っている。現代の女性がお化粧をして、香水を振りかけるように、古代エジプト人もお洒落を楽しんでいたわけだ。



ただ気になる事は、古代エジプトの表情は、どれを見ても全く一緒だった。無表情すぎて、感情が読み取れなかった。感情を排除した表現になっていて、僕には違和感を覚え、なんだかつまらなかった。人の感情が表現されていない芸術なんて、どう感じればいいんだと思った。

ただ、息子は違ったようで「エジプトおもしれぇなぁ」と言っていた。

まったく共感できなかった。


限られたなかでの余白

ミイラの展示があり、僕が想像したミイラは包帯でぐるぐる巻きにされて、埃っぽい乾燥した臭いを放っているものだと思っていた。

ただ、展示されていたのは、木棺だった。規則正しい左右対称の絵が描かれたもので、もしかしたら中身はミイラなのかもしれないが、ガラスケースに収められているそれは、ただの木に見えた。

模様が独特で、左右対称かと思えば、若干違いがある。

「なんだか小さい木棺だな」と僕はつぶやくと、「この時代に生きた人って小柄だったんだね。」と息子も感じた事は、僕と一緒だったようだ。

「ミイラにするのにさ、内臓を取り出して、脳を取り出して、ツボに入れるらしいよ。これってさ、かなりの思考のイノベーションだよね。古代の時代に、身体にメスを入れるんだから。」と息子は、僕の目を見て言った。

ひととおり見て回って、自分の感性で感じたものを話してきた。

今から、約4500年前にミイラの防腐処理が確立されて、古代エジプト人で裕福な人はミイラになった。死者の世界で快適に暮らし、さらにミイラに再びカー(生命力)を宿して復活を夢を見ていたようだ。

「平均年齢が30歳だろ。あっという間に死んでしまうな。」と、僕はもう古代ならばあの世の住人だと思い、木棺を眺めていた。

「石板しか伝える術がないから、30年そこらの寿命じゃ、次の世代に伝えるものも少なかったんだろうね。」と息子は冷静に分析した。

「そうだな。今ならネットがあるから、いろんな資料を残せて、誰もが検索できるからな。知の蓄積は、この頃に比べて、はるかに膨大だろうな。」

30年の寿命か・・・

未練や執着で、時間を無為に使えないな・・・と、僕は感じ、しばらく木棺を見ていた・・・。


ハルカスの喫茶店

エジプト展は意外に混んでいた。ゴッホ展よりはマシだったけど、僕は足はすでに棒のようになっていた。

「ちょっと喫茶店でも入ろうか。」と、とにかく僕は座って休みたかった。

あべのハルカスの美術館を出て、エスカレーターを上がったところに、眺めの良いスタバ風の店があり、息子はフルーツタルトとカフェオレを、僕はいちごタルトと抹茶オレを注文した。

運よく窓側の席を押さえる事ができて、高層階からの大阪の眺めは圧巻だった。




眼下に広がるビル群を眺めて「古代エジプトの人が、現代にやってきたら、燃えている世界だろうね。」と息子が想像力を働かせて言った。「そうだな。夜は夜景でキラキラと光っているし、道は血管みたいに、車のヘッドライトで輝いているだろうしな。」と、息子の想像している光景を思い浮かべた。

あべのハルカスの高層階は、本当に眺めがよく、空は青く澄み切っていたし、ビルの合間をまっすぐに近接電車が伸びていた。まるでミニチュア模型のようだ。

ひと際高い透明度の高いタワーマンションが建ち、その下は比較的小さなビル群が立ち並んでいた。近代的なタワーマンションとは対照的に、雑居ビル群は見るからにごみごみしていた。




「これを見てるとさ、本当に世界は二極化していくんだろうなって思わない?金持ちとそうでない人との差がどんどん離れていく。」と息子は言った。

「天王寺だからさ、ここら辺に住んでる人たちっていうのは、比較的裕福な人なんじゃない?」と、僕はスマホを検索し、天王寺周辺のワンルームの家賃を調べた。

「6.8万って書いてるな。ベッドを置くと、もう動けないような狭い部屋で6.8万か・・・」

「本当に狭いよね。間取りを見ていても、ドアからバルコニーまで一瞬だよ。 やっぱり、ああいった高層マンションを購入する人と、6.8万を出して狭苦しいところで住む人と、世界は二極化するよ。」と、息子の考えは確信に変わったようだった。

「歴史は繰り返しているよね。いろいろ行き詰って戦争がはじまったから—–」

とか

「ホルムズ海峡封鎖で原油価格の高騰。このまま続けば株価は暴落するよ—–」

とか

「これからAIへの投資が熱い—–」

とか、僕と息子は、構造力を駆使して、世界の将来を互いに予想しては面白がった。 まるで自分たちごとではないように、いろいろ分析をしては、互いに投げかけて反応を楽しんだ。

「確かに」

とか

「なるほど」

とか、互いの違いを受け入れ、自分の言葉で伝えるのが楽しかった。自分の考えが否定されない関係が、気持ち良かった。

互いの時間の使い方

「さて、もう5時だな。ここから通天閣まで散歩しながら行って、串カツで一杯ひっかけるか」と僕は息子に言ったら、「 今、ケーキを食べたからさ、お腹が空いてないんだよね。」と空になった皿を指さした。

「店長と仲良くなった服屋があるんだけど、今日、服が入荷という知らせが来たから、ちょっと寄りたいんだよ。」

息子は、服作りの参考にハイブランドの店によく出入りしていた。大体一着ぐらいが30万ほどするような店だ。そんな店で、気軽に服を試着させてくれるまで、店長と仲良くなっていた。

息子はちゃっかりしていた。服の構造を試着して調べるんだそうだ。どういうふうにパターンを書けば、この形になるのかとか、かっこいい服の作り方、構造、こういったものを徹底的に調べるのだそうだ。そして、自分のアイデアに繋げていくのだそうだ。

「それじゃあここで別れようか」と息子に提案した。

自分のやりたいことがあるようだから、ここで別れることにした。僕は、散歩しながら、ぶらぶらと写活でもしようと思う。

僕たちは、一緒に来た道を天王寺駅まで歩いた。 息子は難波の方に行くので、改札を通り、片手を挙げて「じゃぁ、またね」と挨拶して別れた。

息子の方をふっと振り返ると、後ろ姿がかっこいいシルエットだった。誰よりもカッコよく見えた。振り向きそうにもなかったので、僕も僕の道へ向き直った。

写活

さてどうしようか。

僕は天王寺駅を出て、どちらの方向へ向かって歩いているのかわからなかった。なんとなくビルの合間を抜けて、空の広い方へ足を向けていると、「てんしば」へ向かう橋に辿り着いた。

橋の下には、天王寺駅へ続くJRの線路があり、ビルの間から夕日が差し込んできて、レールが反射して光の筋になっていた。 少し見とれて、コントラストがキレイだなと思って、カメラを取り出した。

橋に金網が張られていて、電車があり、線路があり、電柱があり、ビルあり、いろんなものにピントを当てたくなったので、F値を上げたら、ピントのあったそれらは、みるみるうちに重なって、フレームの中に収まった。

「てんしば」という公園に入ると、多くの人が心をほぐして楽しんでいるように見えた。 薪BBQを楽しんでいる人がいたり、芝生に寝転がっていたり、桜も咲いていたので、その公園は暖かい空気が流れていた。

駅構内の足早に歩く人々とは違い、てんしば空間は、人の歩みはゆっくり、ゆらゆらと流れていた。

奥へ進むにつれて、動物の匂いがしてきて、目の前に天王寺動物園という看板が現れ、入口にはシャッターが降ろされていた。 ナイトZOOは8月からだ。家族でナイトZOOを訪れた記憶が蘇ってきて、胸が少し温かくなった。

天王寺動物園の前には、天王寺美術館があった。大きな建物の美術館の前を通り過ぎると、ちょっとした池があって、その池に赤い橋が架けられていた。そこを人が往来していくので、一体この道はどこに繋がっているんだろうと興味を惹いた。赤い橋の向こう側は、いきなり自然になっていて、橋の向こう側はどこに繋がっているんだろうと好奇心が湧き立った。

茶臼山

案内板には茶臼山と書かれてあって、その小高い山はこの大都会の中に、違う空気を作っていた。 鳥の声がチュンチュンと響き、水の香り、木の香り、土の香りが濃厚に充満していて、ぐるっと遊歩道を回ったら、すぐに山頂にたどり着き、そこには真田幸村と書かれた看板が設置されていた。

ここは大阪夏の陣で、真田幸村が徳川家康を迎え撃った場所だった。

思いがけない歴史との接点だった。 大河ドラマで、あの堺雅人が主演だった真田丸。 最後に突撃していくシーンがあったが、 あのシーンに繋がるこの場所だった。

そうか、あれがこの場所か。

通天閣

この後、通天閣を目指した。ここら辺は、昔は浮浪者が多かったところで、あちこちにダンボールで作られた住処があったけど、今や観光客がごった返している。





どちらを見ても外国人だらけで、観光客を法被を来た店員が、呼び込みをしている。 古びた店から、油の匂いが漂ってきて、串カツのおいしそうな香りが、腹を鳴らす。じゃりんこチエの舞台となった町は、さながらダウンタウンだ。


日本橋

観光客にまみれながら、商店街を通り過ぎて、日本橋に出た。

マニアの電気街と言われたところだが、シャッターが目立ち、ここら辺も家電量販店に淘汰されているような気配を感じた。

以前のような、ごちゃごちゃっとした、怪しい雰囲気や、活気が薄れているように感じて、少し寂しさを感じていると、後ろからガッシャ、ガッシャと、威圧されているような気配が迫ってきた。

その音はどんどん大きくなり、後ろからドーンと追い抜いていったと思ったら、急に立ち止まったりして、挙動予想不能な動きで目の前を歩き出した。

牛乳のビン底みたいなメガネをかけていて、 しかも、何やらリュックは、クマさんだったりして、とても怪しさのあるオーラーをまとっていた。

信長書店付近に差し掛かると、また急に立ち止まるもんだから、あわやぶつかりそうになり、ぬいぐるみの売り場を見つけて、あさり始めた。

なるほど、町はシャッター街で元気を失っているが、まだまだ、ここを歩く人は、エネルギッシュだなと少し安心した。


晩御飯

息子と串カツを食べに行くつもりだったので、晩飯のアテがなくなった。難波まで歩いてきたんだったら、ラーメン丈六を目指した。

あの黒いスープがたまらなく、大きめに切ったネギに、黒胡椒も最高だ。 そしてクラフトビールで乾杯と行こうと思いながら、僕は裏路地の方へ足を向けたのだけど、 看板の光は消えて、残念ながら定休日だった。

さて困った。

完全に晩飯難民になってしまった。

別に一人で店に入るのは、僕は抵抗がないほうなんだけど、知らない店に入って、外国人プライスだったらと思うと、なかなかに敷居が高い。

行列を見ると外国人、店から出てくるのを見ると外国人、ここは日本なのかと疑うほどのアウェイ感があった。

さぁ、どうするかな・・・と明かりを眺めながら、ネオンで明るいなかに、赤ちょうちんを見つけて、店の中を覗き込むと、カウンターが空いてそうだし、あのカウンターで一人おでんとするか、っとのれんをくぐった。

えらく若い女性スタッフが出迎えてくれて、「ひとりだけど空いてます?」と言うと、元気にハツラツとした声で、「大丈夫です。1名様入りましたー。」と彼女は厨房に向かって言った。

「お好きなカウンター席、どうぞ。」というので、僕はいつものように、一番奥の一番隅のカウンターに腰掛けた。おでんと茄子の田楽を注文し、あとは日本酒のメニューを眺めて、辛口のものを片っ端からいただくとするか、酔っぱらう気満々で注文した。


互いの自由

ふと息子のことを思い出して、あれからだいぶ時間も経っているし、息子の服のチェックも終わった頃だろうと、スマホを取り出した。

今からなら、場所を教えて合流できるかもしれないなと、そう思った僕は息子にLINEを入れた。

すると息子はもう家に帰っていて、新しいアイデアが思い浮かんだということで、すでに服の制作に取り掛かっていたところだった。

「もう帰って、服作りか・・・」

僕は息子のエネルギーに感心して、そして呆れた。

どこまでも、どこまでも、まっすぐで、好きなことに熱中して、彼は鼓動していた。

僕はおでん屋でひとりの時間を楽しみ、息子は息子でひとり制作の時間を楽しんでいる。

僕たちの夜は更けていった。

Slow Burn

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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