「おでん」か「うどん」か?

目次

丁寧に調理した「おでん」

さぁ、丁寧に作っていこう。料理というのは出汁が大切。服でいえば生地の部分だな。出汁を粉末でとるのか?まさか、そんな手抜きは、この後の調理がすべて無駄になってしまう。手抜きの生地で、どれだけ丁寧に縫い合わせようと、出来上がりは見えているだろう。それと同じことだ。

焼きあごが入ったTパックの出汁を、鍋に入れた水につけてゆく。乾いた出汁パックに水が染み込んでゆく。この出汁がたまらなく旨い。仮に味噌汁を作ろうとしたとしても、出汁が旨いので味噌は少なくていい。

今回のおでんは、焼きあごベースの出汁をとり、丁寧に調理してきた。わからなかったのが、たまごだ。ゆでたまごをつけて煮込んでも、茶色のたまごにならない。アニメおでんくんで言えば、ガングロたまごちゃんなんだけど、1日出汁に付け込んだにも関わらず、プリンプリンのゆでたまごは、相変わらず白のままだった。

料理も立派な生産活動だなと思う。すじ肉を入れる事で味に深みが増して、厚揚げが触感を刺激し、たまごで舌をリセットとして、ハイボールをちびちび飲み、350ml缶2本ぐらいでほろ酔い気分で、最高の晩酌が出来ると思っていた。


最高の晩酌の「お時間」

見事なまでに完成されたおでんを、皿に盛り付ける。たまごをとり、すじ肉がプルプルしてマジで旨そうで、からしのアクセントを忘れてはいけない。舌にピリッときて鼻に抜ける感覚があってこその、おでんであって、これを省くと贅沢な一品も台無しになる。

こだわりの和がらしは、普通のからしよりも少し色が濃い。実際に、なにがどう違うのかはわからないけど、和がつくとなにか高級感が増す。

ハイボールを赤い切子グラスにトクトクと注ぐと、炭酸が細かい泡をショワショワと音と立てて、ガラスの淵に小さな水滴をつくる。

PS5の電源を入れて、Amazonプライムビデオを立ち上げ、「僕らのヒーローアカデミア」の続きを流す。シーズン7の途中なので物語は盛り上がりを見せている。トイレに立つと、巻き戻してしまうぐらいに、ひとコマひとコマがハラハラさせられる。

さぁ環境は整った。今日の晩酌といこう。

というところで電話が鳴った。


強引な誘い

LINE電話だ。

携帯電話でLINE電話をする感覚が僕にはわからない。音質が悪すぎるからだ。

息子から連絡だ。

LINE電話が入ってくるのは、いつも緊急の時だ。エアコンがぶっ壊れているみたいなんだけど・・・とか、バイクがエンストしたから迎えにきてくれ・・・とか、いつも緊急性が高い連絡だった。嫌な予感はしたんだ。それは緊急でもなかったけども、悪い予感だけは当たっていた。

電話に出ると息子が明るい声で「メシ行こうぜー」と言って来た。このタイミングで?それはちょっと勘弁してほしかった。今から最高の晩酌のお時間なんだ。

だから僕は「もうメシ食べてるんだよ。すまん。」って言ったんだけど

「マジで。じゃぁ、うどん屋にいこう。」と言うので、僕の話を聞いてたんだろうか?耳を疑いながらも、さらにお断りの理由をいろいろ考えて「今日は夜勤、日勤上がりだからフラフラなんだよ。もう酒も飲んでるしな。」と伝えた。

車も運転出来ないから、これで諦めてくれるだろう。と思った。

すると息子は「ぜんぜんダメじゃん。でも面白い話があるから、近所のうどん屋にいこう。なんかつまみでも食ったらいいじゃん。」とか言って来た。メシが終わったんなら、なにかサイドメニューでも注文して、とにかく俺の話を聞いてくれという誘いで、それを聞いた僕は心底呆れてしまった。

強引だなぁ・・・

結局、息子の勢いに押されて、贅沢な晩酌は、すべて潰されてしまった。


苦いビール

うどん屋に入ると厨房に2名の職人さんがいた。職人さんと表現するのは、ここのうどん屋は昔かたぎの調理人で、昔からがんこ親父が集まってうどんを追求してきた店だったからだ。今ではがんこ親父の風貌のある職人はやめてしまって、息子世代が店をまわしている。

それでも当時からの味を守り続けているので、リピーター客が多い。

店は閉店間際に入ったのもあり、2組ぐらいしかいなかったが、僕たちはテーブル席につかずに、カウンター席へ座った。なかば習慣のようにカウンターに座るのは、職人たちの動きを見るのが面白かったという理由があったが、だけど今回は見る余裕がないほど、息子との会話に集中することになる。

僕はいつものエビカレーうどんと中瓶を頼んだ。アサヒビールと印字された、小さな使い込まれたコップに、トクトクトクっとビールを注ぎ、なんとも安っぽい泡が立った。

それをぐいっと半分ぐらい飲んで、更に継ぎ足してコップ一杯までビールを注ぐ。

「聞いてよ。」と息子がテンション高く話し始めた。「バイト先を探しにアパレルショップに言ったらさ、店員に説教を受ける羽目になったんだよ。店員がさ、服の歴史とかを話し始めたからさ、そんなものどうだってよくて、服ってシルエットとかですよねって話したら、なんだか真顔で説教してきてさ」

苦いだけのビールを飲み干して、再びコップにビールを注ぐ。

「そんなことある?説教食らうって。ブランドとかさ、歴史とかさ、知ってるけどさ、それよりもさ」と息子は話し続ける。

意気揚々と話すリズムを刻んで、服はシルエットなんだ・・・とか、アバレル店員は服を解説するものでしょ・・・とか、服に歴史があるのは知ってるんだ・・・とか、服の難しいところは骨格にテンションがかかっているから・・・とか、熱く語っていた。

息子の熱とは対照的に、ビールを注ぎ続ける僕は、おでんに未練を残していた。

今頃、最高の晩酌のハズだったわけなのに、気がつけば、安いコップに注がれたビールで誤魔化しているわけだ。

ビールが苦いわ・・・



時を刻む服

19世紀のフランスに、デニム生地があったときく。同時代のイタリアでは船員が丈夫なズボンを履いていたらしい。

そして、アメリカでゴールドラッシュが起こり、アメリカンドリームを求めて人々は自由の国に渡ってきた。そこで丈夫で破れないズボンが求められ、デニム生地の丈夫なズボンが出来上がり、汚れの目立たない葵染めされたジーンズが出来上がった。

テントの帆布などを売っていたリーバイ・ストラウスが、破けやすいポケットを金具で補強して、出来上がったのがリーバイスだ。当時から型番で呼ばれて、金鉱で働く人に飛ぶように売れたという。

当時のジーンズの役割は「労働者のズボン」なのだ。

20世紀になると、本格的に経済成長を遂げたアメリカで、西部劇のカウボーイがジーンズを履き、ジェームスディーンが反抗的な若者としてジーンズを履いた。それを見た若者が真似をして、ヒッピーたちが自由を求めて、反戦活動をしてジーンズを履くようになる。

ジーンズは役割は「体制に従わない人の服」に変化する。

そして今やデザイナーズジーンズとか、ダメージ加工とか、ハイブランドとの融合とか。

ジーンズは「ファッション」と役割を変える。

この流れを消費者目線で見るのか?
生産者目線で見るのか?

で違いが生まれてくる。

息子の話の本質はココにある。

「おでん」か「うどん」か?

これに消費者目線で見ると、物語化が始まる。

映画の中で誰かが履いていたとか、反抗的な若者の象徴だったとか、物語が後から作られてゆく。「あれ、かっこいいじゃん」と誰かが言う。

さらに誰かが「あの時代に履かれていた歴史を感じたい」と言う。そして「古いもの」が価値を持ち始める。偶然できた色落ちだったり、もう作られていない型だったり、その時代にしか出来なかった生地や、縫製だったり、その希少性が語られはじめ、価格が跳ね上がり、ヴィンテージという物語が始まる。

必要だから欲しいじゃなくて、合理的だから欲しいでもない。高騰していると知れば、なおさら時代に価値を置き、手に入らないかもしれない、という事実が、さらに価値を積み上げてゆく。

こうして、かつては当たり前に使われていた服が、語られる対象になり、息子に説教をくらわしたアパレル店員は、得意になって歴史を語り、背景を語り、意味を厳かに語り始める。

そして、ふらりと店に入ってきた息子に、自分の語りを被せて自尊心を満たそうとするが、息子は消費者ではなく生産者目線で服を見ている。息子は悪びれるでもなく「そんなものに意味はない」と言い放つ。

アパレル店員も気の毒に・・・と僕は思った。

そもそも、歴史も意味も、ただそこにあるだけで、形や空間やシルエット、骨格にテンションを持たせて形を整える作業だけが、息子の熱を形にする。

そもそも見ているものが違うのだ。


今は伝わらなくても

目の前の天ぷら盛り合わせの皿から、エビをとって口に入れた。こんな旨いものを息子は食べる事が出来ないなんて、っと思いながら、息子を見て言った。

「あのさ、アパレル店員は消費者目線なんだろ。で、そこは消費者目線でしか物事を語らない場所だったりするから、たぶんお前の求めているものは、そこには無いんだろうな。だったら、お前の求めている場所はどこなのか?」

と息子に問い、やっぱり天ぷらはエビだな・・・と少しの幸せを感じた。

「だから、ここらへんじゃぁないんだよ」と息子は、自分の結論を言った。「工場ってさ、千葉とか、あとは中国とかに行ってるからさ、生産者目線での現場ってないわけ」と続けた。

「それに、今はネットでのやり取りになってるから、在宅ワークで作って送信という事になってたりする。なんか個人のやり取りで、趣味の世界になってきてるんだよな。」

もう詰んだと言わんばかりに、息子の話は続く。

「生きているエネルギーを吐き出して、カタチになるものが、たまたま服だっただけで、なんでもいいんだけど、自分が生きた証を、俺はカタチにしたいわけ。」と言うので、僕は息子の言葉を鏡のように息子に返してみた。

「じゃぁ、服に限らず、生産者目線でいれる現場で仕事をすればいいわけか。つまり服から一旦離れてもいいという選択もアリなのかな?」と云いながら、僕は自分の仕事の事を思い出した。

「あのさ、どの仕事だってそうだけど、コンビニ店員でもさ、アパレル店員でもさ、介護のスタッフでも、なんでもそうなんだけど、つまらない仕事の中にも面白いって思える瞬間ってあるわけ。今、パパが八木(仮名)さんの介護をしているけど、一旦寝たきりになった八木さんは、今や復活の兆しがあってさ、やっとパパがやってきたことが報われたと、今すごい楽しいわけよ。」

「みんなが、もう無理でしょ。八木さんがかわいそう。もう施設に入れてあげてっていう波があってさ、それにもめげずに粘り強い介護をしたら、八木さんが復活してきて、今や風向きが変わって、場が変わるわけ。もう誰も施設って言わないよ。この面白さがわかる。」

と息子に言い、そして僕は伝わるかどうかわからないけども、ここだけは伝えておこうと思って言った。

「嫌な事も、つまらない事も、あるけど、その先にキラリと光る面白さがある。それを見つけるまで面白くないと思う事をやり続ける事って、時には必要だと思うよ。」

たぶん、これは息子には響かない。彼のもつ性質が、今は白か黒の二択しかないからだ。もう少しグレーな部分もあればと、別れた妻の事を思い出し、どこか似てるよなぁと思ってしまう。

相変わらずここのカレーうどんは汗が噴き出す辛さ。あまりの美味しさに舌鼓を打ってしまう。ビールで喉を潤し、僕は残してきているおでんの事をすっかり忘れていた。

One more time,One more chance

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

目次