ゆるいつながり 深いつながり
秋風が少し冷たく感じる朝。
久しぶりに寝坊してしまって、バタバタと洗髪だけ済ませて家を飛び出した。
慌ただしい朝のせいか、毎朝のルーティンが辿れない。
そこから今日は立て直せずずっと心がざわついていた。
何にざわついているのかをたどっていくと、最近ずっと考えていたことに行き着く。

「僕にとっての幸せって、なんだろう?」
たぶん、それは——
他人との、ゆるやかなつながりなんだと思う。
たとえば、ウインドサーフィンを始めた頃。
誰かに挨拶をして、軽く会話を交わして、道具のことを教えてもらったり、BBQや忘年会で笑い合ったり。
そんな空気の中に身を置いていると、特別じゃなくても「僕はここにいていいんだな」と思えた。
それは、個人的な関係には踏み込まない、だけど温かいつながり。
「ゆるい」というのは、決して希薄という意味じゃなくて、優しい形なのかもしれない。
なりたい自分と違う方向へ?
けれど、今の僕の人間関係は、もう少し狭くて、深い。
たとえば、だんじり祭りの先輩。
家で食事を済ませた後に、先輩から電話がかかってきて「居酒屋にいるから来ないか?」と誘われた。はじめはもちろん警戒したけど、何度か続くうちに、今では週1くらいで会っている。
競馬をしたり、僕が投資の話をしたり、あれこれ話すうちに、だんだんと価値観が混ざっていって、いつしか深い関係になった。
ありがたいことだけど、ふとした時に「ゆるい関係の心地よさ」を恋しく思う瞬間がある。
でも、僕がゆるいつながりを深めないようにしているのは、もしかしたら自尊心の低さが理由かもしれない。
誰かと深く関わって、もし拒絶されたら——
それが怖くて、つい心に壁をつくってしまう。
それが僕の「癖」になっている。
思春期の頃の経験
その癖の始まりを思い出す。
中学1年の時、突然女子から告白されて、まだ異性に興味もない年頃だった僕は、どう扱っていいかわからず「むこうへ行け」と突き放してしまった。それが原因か、周囲からいじめを受けるようになり、クラスの空気は一変した。
あの頃からだったと思う。
他人を警戒するようになったのは。
誰かに自分を差し出すことは、危険だと思うようになった。
だけど、それでも、やっぱり思う。
少しだけ繋がりたいな・・・誰かと。
ゆるく繋がるために今できる事
たとえば、もう少しだけ雑談をしてみたり。
イベントのあとに「今日はありがとう」とメッセージを送ってみたり。
そんな、小さな実験から始められたらいい。
誰かと無理に深く繋がる必要はない。
だけど、心のどこかで温かく交わる時間を持てるように、自分の「壁」を少しずつ薄くしていけたらいい。
焦らずに。自分のペースで。
少し違った関わりを意識してみようと思う。
秋の風に背中を押されながら、そんなことを考えた朝の記録です。