スマホを落とした日、思い出した「備え」の意味
朝晩の風が少しだけ冷たくなってきた。
空も高くなって、季節が移ろう気配。
そんな昨日、Galaxy S22 Ultraを落としました。
画面が割れて、液晶が暴れて、まともに操作できなくなってしまいました。
いわゆる“ゴーストタッチ”という現象で、触ってもいないのに画面が勝手に動く。
電源を切るのがやっとで、PCとつないでも認識しない状態。
唯一の救いは、携帯保証サービスに入っていたこと。
毎月780円払っていたのが、ここにきて大きな意味を持ちました。
自己負担7000円で本体交換。ありがたい。
ただ、同じ機種の在庫がなく、届くのはGalaxy S22 SC-51C。
Ultraではないけれど、僕は望遠レンズもSペンも使っていなかったので、むしろちょうどいいかもしれません。
今度は落としても液晶画面をやられないように、スマホケースにこだわりました。
バイクの全面の装着する出来るものでスマホケースを選ぶとしたら一択。
これで今回のような事はないでしょう。
当たり前がなくなる時
問題はデータ移行です。
画面が見えない、タッチも効かない、PCにもつながらない。
まったく操作できない中で、バックアップの有無だけが頼みの綱でした。
GoogleやSamsungのアカウントが自動で同期してくれていれば…。
LINEや仮想通貨アプリの情報はiPadに残してあったので、最悪でも資産は守られている。
それでも、やっぱり時間も気力も削られてしまいます。
スマホを一台失うだけで、生活がストップしてしまう。
当たり前にそこにあったものがなくなると、人は無力になる。
- 仮想通貨の取引ができない
- 株の取引きが出来ない
- D払いが使えない
- 記録がとれない
- 複写もとれない
- ニュースも見れない
今回あらためて思ったのは、「備え」とは日々の積み重ねなんだということ。
面倒くさいと感じるバックアップが、実は一番の安心だったりします。
新しいスマホは明日届きます。
うまく復元できたら、それもまた記録に残そうと思います。
人との関係に「備え」はできないけれど
「備えあれば憂いなし」とは言いますが、憂いを経てはじめて備えの意味を知るのかもしれません。
ただ、人との関係はモノやデータのように備えることはできません。
むしろ、少しずつ育てていくものなんでしょうね。
離婚から6年が経ちました。
その間にいろんなことがありましたが、息子とは少しずつ関係を築き直せてきました。
その存在は、今の僕にとって大きな支えになっています。
「当たり前」に思わずに、誰かの存在をありがたいと思えること。
それこそが、きっと人との関係でできる唯一の備えなんだろうと思います。

元妻にありがとう
娘にありがとう
息子にありがとう
日常の小さなすれ違い
そろそろグアム旅行の動画編集も始めたいのに、まったく時間がありません。
やっと日曜日が来ても、スマホの受け取りで午前中がつぶれ、午後からは復旧作業。
「いつ僕は僕の趣味に没頭できる時間がくるのだろうか」と思いながら、
もういっそ復旧を放置してウインドサーフィンに行ってしまおうかと迷いました。
だけど、それをしたら月曜からの仕事に支障が出る。
あー、なんだか今日はついていない。
それでも、こうして書きながら思います。
「ついていない」と思う日も、きっと未来のどこかで意味を持つんじゃないかと。
ポジティブに考えれば
スマホひとつで右往左往する自分に苦笑しながらも、
備えの大切さ、人とのつながりの大切さを、また一つ学んだ日でした。