電車の走行音
いつものようにハンドルを握って信号待ちをしていた。神社から公園に続く横断歩道を歩く数人の人。何か話をしているようだが、ガラスを隔てていては何も聞こえない。
感じるままに彼らの輪郭を感じてみる。
同僚とかだったら、仲が良い者同士が近くにいて、はぐれ者は一番後ろを歩くだろう。そこで話される会話って、仕事の話だったりするのかな?
恋人同士だったら、歩くスピードや歩幅は合ってくるだろうし、もしかしたら女性が少し後ろを歩いて、男性の服を持っているのかもしれない。そこで話される内容って、もししたら話さなくても安心な距離感ってあるから、会話はないのかもしれない。
友達同士なら、並んで歩いているだろう。会話はいろんな話になってると思う。あそこのケーキ屋が美味しいとか、あのラーメン屋の店主がへんくつだとか、今日は寒いからマフラーをしてきたけど、だれだれにもらったマフラーなんだとか。
信号が青に変わったので、アクセルを踏みゆっくり走らせて、そして最後の利用者さんを送り届けた。今日は特段なにも起きなかった日だったし、流れに身を任せて無事に仕事が終えられた日だった。僕はそのまま事業所に帰るのではなく、湾岸のほうのスーパーに寄り道をしてミスタートーナツでエンゼルフレンチを指さして「これ4つ下さい」と言った。あのふわふわの食べ応えのない生地に生クリームが入って、そとにチョコがかかっているものを、今日のスタッフ分を買って帰った。
スタッフは、僕の買って来たドーナツを仕事終わりのおやつにして、記録を書き終わり、帰っていった。そして僕はひとりのデイルームでひとりの時間を満喫する。
無音でも寂しいので音楽でもかけようと思ったが、感情に入ってくるような音楽は、思考のノイズになるので、やっぱり環境音だろうなと思って、スピーカーからは【立体音響の夜行列車走行音(キハ58系気動車車内)作業用BGM/環境音/ASMR】を流した。
心地よい電車の音が流れ始めた。なかなかスピードを出している感じ?陸橋を渡り、遮断機を通り過ぎて、トンネルを通り、めまぐるしく走行環境が変わるなかで、僕はブログを書き始めた。
いくらやっても満足しない
昨日のブログのタイトルは、「成人式」。登場人物は息子と僕なわけだけど、息子の登場は「おーい」から始まってのいつもの感じ。声のトーンや質感、彼のまとう雰囲気がとても良く書けたなぁと思っていて、僕は目を閉じて想像して、そう、この感じが気持ちがいいと思った。
そこに息子の思考の特徴である、感性から始まり、構造理解からの俯瞰で捉えてからの、息子の選択といった流れを書いたが、どうしても説明臭が強くでてしまっていて、これをもっと息子の癖や話し方、考える間なんかで描けないないものだろうかと、読み返しながら、眉をひそめてしまう。
そして、一度公開したものなのに、編集ボタンを押して、その文章の流れを壊してしまわない程度に、リライトを試みて、結局大幅な手入れをしてしまう。未完成なものを出したくないという想いが強く出てくるわけだ。
これは息子も同じようで、というか息子のほうがこだわりが強いのかもしれない。アイデアが浮かんできて、部屋が寒くなってきたのも気がつかないぐらい集中していて、僕はニトリで「着る毛布」を買って彼に渡したんだけど、ちゃんと着てるのかな?
また機会があれば聞いてみようと思うけど、それぐらい集中している作っているのに、また違うアイデアが浮かんできては、手直しをし始めるらしく、結局、当初カッコいいと思っていたものは、カッコよくなくなっていて、やる気を失い、折角作ってきたものを破壊するという結末を迎えるらしかった。
それを聞いた時に、僕はココで小説のようなブログを書いているけども、日付を変えて読み返すと、ため息がでてしまう事と重ねてしまった。
わかる。創作していると、わかるんだよな。その気持ち。
完璧主義の罠
息子の完璧を目指す姿勢は、僕にもわかる話なんだけど、でもそれを追い求めちゃうと、自分を否定し続ける事になりはしないかと思ったりする。
誰でも失敗もすれば、後悔もする。その失敗を認めたくないのは誰もが思うけど、失敗を認めちゃわないとスタートラインにすら立てないと、最近の僕はそう思っている。
僕は離婚を突きつけられた時に、とりあえず別れないと、次に進めないと印鑑を押した。紙きれ一枚にオレンジ色のインクが滲んだそれは、確かに終わりだったし、だけど、始まりでもあった。
だから、息子に僕は言った。あの時のベストで、あの時はこれしか出来なかった自分を、受け入れてやらないと、いつまで経っても作品は出来上がってこないんだと思うよっと。
息子は、未完の作品を破壊しまくっている・・・とか、イメージは出来てるのに上書きされていくんだよな・・・とか、わかってるんだけど納得できないんだよな・・・とか、自分の想いを話し続けるので、全く聞いていない感じだった。
今の息子には言ったとしても、胸にストンと落ちていかないようだけど、僕の想いとしては、カタチにならないと作品にならないし、作品は他者の目に触れて初めて空間に存在感を置くわけだから、とにかく一着作れとアドバイスし続けている。
でも伝わらないんだろうな・・・。
とことん悩んでみて、やっと辿りつく場所ってあるから。
未完成な魅力
今日という日が終わらないと、どんな一日だったかわからないのと同じく、今書いているこのブログが、書き終わってみないと、どんな物語になっているのかわからない。そんなもんだ未来って、だから未来なんてわかるわけがない。
だけど、わからないからこそ魅力は放つもので、たとえば僕が良く飲みに行く佐藤社長は、今や人気者になっていて、2年ほど前と比べれば、ホントに別人だったりして、あの孤立した人が、人の輪の中に佐藤社長がいたりする。
深く彼と関わりだしたのがここ2年ほどだけど、ベロベロに呑んだ翌日にlineが入ってくる。昨日、ああは言ったけど、あまり気にせんといてな・・・とか、こんなこと言ってしまったけど、変に思わんといてな・・・とか、後で後悔して、自分でフォローを入れてきたりしてた。
自分の意見は誰に恥じるものでもないし、他人が感じることなんか、そもそもコントロール出来ないんだから、気にしたところで時間の無駄なんだけど、それでも気に病むのが佐藤社長だったりする。
こんな自信のない、酒に流されやすい、ギャンブルで金を使いすぎる、借金して買い物をする、お金の管理ができてなくて、その日暮らしで危なっかしい事業をしている佐藤社長なんだけど、未完過ぎるほど弱点がありまくりなんだけど、それがかえって見ているほうは不思議と安心させれる。
弱点をさらけ出せる魅力を持つ佐藤社長は、今や人の輪の中にいる。
これは僕にとって、目を見開くほどの発見だった。弱点をさらけ出す、自分の失敗もさらけ出す、後悔してしょげたりもする、そんなのが僕ですと、ありのままの自分を見せる佐藤社長さんは、情けなさMAXの、そして魅力MAXの男に変わってゆくんだと感心してしまった。
完璧な人との距離感
反対に、自分に自信がありすぎる人ってのが困った感じで、今までの成功体験を持っているからこそ、これが正解というのものが彼女にはある。身近にいる部下なんだけど・・・。
正解は正解なんだろうけど、時代と共に正解は変わってゆくもので、多様性といわれた今では、人の数だけ正解があるという価値観に色が変わってきているから、彼女の正解を押し付けたところで、古い人間と揶揄されてしまう。
そして、彼女から人が離れてゆく。
人が離れてゆくから、意固地になってしまって、反発を食らって、更に感情的になって、声を大きくしたら暴力と言われてしまって、時代の中で社会的に殺されてしまうリスクを負う。
僕は、そんな彼女をほっとけないのでフォローするんだけど、周りは理解しない。時代は変わったと改めて思う。めちゃ良い人なんだけど誤解されてゆくのが歯がゆい。僕は彼女に助けられきたから、僕は彼女を助けたいんだけど、なかなかうまくいかない。
うまくいかない理由はわかっていて、構造的にこうなっている。
自分は間違っていないと思っている。だから、自分の正しさを証明しようとして、相手を否定する。相手の感情に刺さって、場が歪み、伝わるものも伝わらない。
経験も知識も豊富なのに、勿体ないと思う。
余白を許容できれば違った結末もあるのにと思う。
色で云えば、白と黒しかない。少し混じってもいいじゃないか、灰色になってもいいよね。色は混ざって表現が多様になるから、濃淡のある絵を描けるという話で、混じるのを嫌がっていては、絵の具は使いどころが無くなってしまう。これが、良い人でも人が離れてしまう本質じゃないかなと思ったりする。
大切なのは「余白」。
描き終わった絵を、説明しだしては台無し。描いた絵は、観た人が勝手に物語を紡いでゆく。だから説明しすぎない。余白を残す。
余白を残さないで、相手の領域まで踏み込んで色を塗りだしたら、相手は逃げる。
公開への一歩
僕のブログの管理画面にも、書きかけのブログがあって、物語になり切れずに、静かに沈んでしまったものがある。
時間を費やし、言葉を置いたけれど、公開までもっていけなかった。それは水が透明になるまで米を洗おうとして、すりつぶしてしまったようなもので、ここで良しと手を止めればおいしい米が炊き上がるのに、視点が若干違うだけで、食えなくなってしまった感じの、下書きのブログ。
読まれないまま時間だけ過ぎていき、旬の時期を逃してしまった。もう僕の意識や言葉のスキルは、当時とは違うので、その続きを書ききる事ができなくなってしまった。
完璧じゃなくても、たとえ良い表現がみつからなくても、その時のベスト。今の限界で、出来る限りの表現を使って書いて、それでもここまでしか書けなかった。まぁ仕方がないかと諦めて公開ボタンを押す。
この割り切りが、積み重ねる経験になり、書くことを重ねてゆく姿勢になる。
あの印鑑を押した瞬間に、時計の針が動き出したように、秒針がカチカチと音を響かせ刻むように、僕は確実にゆっくりと確かに変わってきた。
なんのために変わって来たのかは、何処かに辿り着いてからでしか、わからないものなんだろうね。
.
だから未完でも前へ進むわけだ。
.
