失敗したり悩んだり回り道したり
それがあるからこそ人は成長する
いつもの時間
太陽がゆっくり沈んでいくころ、息子と向かい合って座る時間が増えてきました。何かを説明しようとしなくても、少しの気配だけで今日という日の温度が伝わるようになってきた気がします。
今夜はジムに行くつもりでいたのですが、息子が「飯に行こう」と声をかけてきました。予定はずれましたが、その揺れもまた流れの一部だと思いながら、代わりに岩盤浴へ向かうことにしました。静けさに身を置ける場所で、少し呼吸を整えたかったのです。
和歌山の道を30分ほど走りながら、車内にゆるやかに会話が流れていきました。食事をして、またその続きを話し、最後に岩盤浴で一人の時間を少しだけ味わう──そんな穏やかな段取りを思い描きながら、空の色が変わっていくのを眺めていました。
経験から学ぶ事が成長
最近の息子は、自分の内側を深く掘り下げる時間が長くなっています。集中の熱がほのかに揺れながら、その奥で静かな探究が続いているようでした。人はこうして、自分の輪郭を少しずつ確かめていくのだと思います。
ある日、彼は「思考には層がある」と話しました。主観の揺れ、構造の視点、広がる理解、俯瞰、再構築、そして世界観の創造。その重なりは、僕自身が長い時間をかけて歩いてきた流れとどこか響き合うものでした。
揺れる心の中で、自尊心が薄れていった時期があり、世界がぼやけて見えた日々もありました。それでも、風のような小さなきっかけに支えられながら、人は再び立ち上がっていくのだと、今になって思います。
息子の中には、音の余白を聞き取るような感性や、孤独の温度に触れられるような情緒がふと立ち上がる瞬間があります。それらは、どこかで受け継がれてきたもののように、静かに息づいているようでした。
息子の余白を意識する
今日の会話の中で、僕の経験が息子の考えに触れる場面がありました。正解を与えるつもりはなくても、言葉が強く響いてしまうことがあります。そのたびに、彼の成長に必要な“余白”を守れているだろうかと、そっと自問するのです。
人は、ときに完成しているように見える誰かに、自分を預けてしまうことがあります。だからこそ、僕は未完であることを選びたい。迷いながら、立ち止まりながら、その足跡のまま歩いていく姿を、そのまま見せていたいのです。
息子はこれから、布や形や音のなかに自分の世界を映していくでしょう。その過程に、僕の答えを重ねる必要はありません。ただ隣を歩き、ときどき風を感じる。それだけで充分だと思います。
親子は、完成を目指す関係ではなく、静かに響き合う関係でいいのだと思います。流れの中で離れたり近づいたりしながら、お互いの輪郭が少しずつ変わっていく。
今日という一日が暮れていくなかで、小さな気づきが胸の奥にそっと落ちていきました。
