ギャツビーを観ながら思ったこと
映画『華麗なるギャツビー』を観ました。
豪華な映像と、華やかなパーティーの世界。だけどそのきらびやかさの奥にあるのは、一人の女性を想い続けた男の切ない生き様でした。
ギャツビーはただひたすらに、過去の恋を取り戻そうとした。
一途に想い続けた情熱に、一時はデイジーも夢心地になった。
だけど最後、彼女は彼の元には戻らず、愛よりも安定を選びます。
なぜ彼女は愛を選ばなかったのか。僕はそこに、人の弱さと同時に現実を感じました。
ギャツビーと自分を重ねて
この映画を観ながら、僕は自分のことを重ねずにはいられませんでした。
離婚を経験して6年。終わったことだと思っていたけど、状況は今も変化し続けています。
思いがけず息子が僕のマンションで一人暮らしを始める事になる。
状況は僕が思っていたよりも悪い方向へ向いていて
たった一枚の手紙だけで
一方的に僕はその状況を受け入れるしかなかった。
独身といえど、家族の状況や元妻の状況が先行きに影を落とし、未来がどうなるのか見えてこない。
だからこそ、いつ何があっても動ける体制を整えて、ただ待っている。
ここから解放されるめどもなく、自由でもなく、過去に縛られながらも今を生きている自分がいます。
「待つ」ということの重さ
待つって、ただの時間の経過じゃないんですよね。
心を削りながら、不安に飲み込まれていく。
「いつまで待てばいいのか」
「このふんばりは実を結ぶことがあるのか」
答えが出ない問いが、頭の中でぐるぐると回り続けるんです。
それでも、僕は待っている。
待つことしかできないからじゃなく、大切だと思えるものがそこにあるからです。
不安とどう向き合うか
正直なところ、このふんばりがいつ報われるのかは分かりません。
でも、無駄ではないと思いたい。
ギャツビーもまた、夢に縛られたまま生き抜いた。結末は切なかったけれど、その想いは彼の人生を輝かせた。
僕の選択も、きっと同じように僕自身の生き様を形作っているはずです。
待つことだけを目的にせず、小さな喜びを見つけながら今を生きてゆく。
それが、不安と付き合うための僕なりの答えかもしれません。
ギャツビーを観て思ったのは、
「自由じゃなくても、不安を抱えていても、それでも今を生きるしかない」ということ。
だから今日もまた、心を整えながら待っています。