誰かの正解じゃなくて、
彼が選んだ道を信じてみる。
心穏やかな時間に割り込む息子の登場
仕事終わり、誰もいなくなったデイルーム。
パチパチとタイピングの音が響く。丁寧に君に言葉を添えてゆく。
最近はChatGPTが優秀になってきて、出来事の要約を入力して「以上をブログにして」と言えば、書いてくれる。でも残念ながら、GPTが書いてくれたものは僕の言葉じゃない。
僕の感性で言葉として編んでいないから、僕の物語にならない。だから僕は時代遅れと言われようと、自分の言葉は自分で編んで作品として編み込んでゆく。まだまだ文章が拙いが、それでも自分の作品は自分で生み出してこそ伝わる温度が漂うのではないかと思う。
君と会話しているように言葉を紡いでゆくと、ホッと僕の心が整ってくる。
ノイズだらけの頭の中が少しずつ晴れてくるように・・・
そして、いい感じになってきた時に、ガタガタとドアが開いた。
息子が目を輝かせて入ってきたと思ったら、おもむろに袋からジーンズ生地を出した。
息子「やっと見つけた」
静寂なデイルームは、とたんに空気の流れが変わった。
素材の由来と努力の痕跡
息子はどさっとジーンズ生地を僕の前に置いた。質感はとても堅そうで、インクの香りがしていた。シワひとつ無く、見事なほどに薄いアルミ板のようだった。
そして僕を見下ろしながら、少し興奮気味に説明してくれる。言葉の勢いは衰える気配がないので、僕は君との会話を諦めて、息子の話を黙って聞くことにした。
2日ほど難波を歩き回って生地を探していたんだそうだ。ジーンズ生地というものがあるにはあるんだけど、どれもお目当てのモノじゃなかったと。



「見てよこれ!この最高な手触り!」
息子は続ける。君も知ってのとおり、デイの仕事着はデニムエプロンだけど、このデニムは柔らかすぎるらしい。そういえば僕の通う歯医者が言ってたよ。いらないジーンズを切って小物にしようとしたら、針も心も折れましたって。
まるで帆布みたいなしっかりした生地に、家庭用のミシンは太刀打ちできないのだろう。
船場でのエピソードと息子の志
確かに目の前のアルミ板のようなジーンズ生地には、工業用ミシンでしか縫えない質感があった。この生地を見つけるまで、難波を歩き回り船場でようやく見つけたそうだ。船場は昔ながらの問屋街で阪神高速環状線の高架下に店が並んでいる。
船場センター街を歩く客はまばらな感じなのに、営業を続けられているのは、お店への販売ルートがあるからだろう。そもそも小売店じゃないので、個人の客を相手にしていないのだ。街のコロッケ屋さんと同じ。コロッケひとつ売って儲けはないけど、お肉を飲食店に卸している。だからコロッケ屋がつぶれない。そういう店が船場に数多く入っている。そもそもそこに客が入ってくること自体が珍しいのだ。
そこへ息子がふらっと来店して、ジーンズ生地がありますかと尋ねると、店員は目を丸くして「何に使うんですか?」と物珍しさの好奇心で聞いてきたらしい。
「服を作るんだ」と言ったら、「頑張って下さい」と激励されたという。それぐらい個人で買い付けにくる息子が珍しく、そして工業用ミシンでしか縫えない生地で服を作る息子が珍しいわけだ。
卸店の店員が息子に興味津々とは・・・
これを聞いて僕は、息子がしようとしている服作りが、どれほど異質な事であるのかを感じ取った。しかも服飾専門学校にも通わず独学で成そうとしている。
僕は目の前に置かれたジーンズ生地に手を伸ばした。
想像通りの質感だった。
とても堅くて冷たかった・・・
好きなことへの没頭と集中力
対照的に、息子の心のうちは熱く熱く燃えていた。
そして僕に放つ言葉の温度はどんどん増していた。
たぶんもう君はわかっていると思うけど・・・
好きを軸に置いて走り出したら彼は止まらない。娘はコツコツ型に天才的な集中力で飛び抜けた才能を持っていたように、息子もまた自分の軸を持てば、あとは寝食を忘れるぐらいに突っ走ってゆく。
何度も試行錯誤を重ねて、わからない所は調べて、信じられないぐらいの行動力で足らないピースをかき集めてゆく。
ヘラヘラ笑っていて、鼻歌をいつも口ずさんで、なにを考えているのがつかみ切れない。糸の切れた風船のように、ふわふわ浮いているような輪郭だけど、内部は太陽のコアのようにエネルギーが絶えず循環している。
だから、今の服作りへの軸が揺らぐ事が無ければ、この冷たい生地に息子の宇宙で、命を吹き込めるのかもしれないと思わされるんだ。
未来への不安と、それでも見守る姿勢
今までの話が、1週間ほど前の話。
それから息子とは会っていない。仕事場に「メシいこうぜ」と入ってくることもピタっとやんだ。気持ち悪いぐらいに沈黙が続いているよ。
ゴォォォォォォっという地鳴りを上げて、彼は自分の宇宙で生地を縫い合わせているんだろう。息子のいう空間美学として命を吹き込んでいるんだと思うよ。
以前、息子は僕の不安を感じ取ったのか、「2年くれ。2年やり切ってダメなら諦める。」と言ったんだ。2年という根拠はわからないけどね。僕は常々これでいいんだろうかと自問しながら息子を見ている。時にその不安を吐露したりもするけど、まぁやるだけやってみろよと最終的には背中を押すんだ。
君は今の僕たちをどう思うだろう?
息子の今をどう評価するんだろうか。
そんな不安が込み上げるんだよ。
ただ、息子は服作りだけをしているわけじゃなくて、TikTokで服作りの過程も発信しているみたいだよ。アカウントは知らないから僕も確認していないけど、息子の考えている事はつまりこうだ。
つまり服という完成形を売るのではなくて、服作りそのものにストーリー性を持たせて応援シロを作る。これは僕がウインドサーフィンをしている動画をアップするのと似ているね。僕が下手くそだから、それを見てみんなコメントくれる。そして応援シロになってフォローしてくれるという現象だね。有名なところではAKB48かな。マニアが推しの子を応援するためにCDを何枚も買うってやつと似ているね。
息子は、服だけを見ているのではなく、そこにストーリー性を持たせて、息子に共感してくれるコミュニティーを作って、そこに販路を作るという考えなんだよ。
それを2年あれば出来るという目算もあるみたいだ。
世代間の感覚の違いと、時代の変化
それにこれは僕の勝手な憶測だけど、息子の同級生が大学卒業の時期とかぶってくる。なんだかんだで周囲の事も気になるんじゃないかなぁ?わかんないけど。
友達はどんどん先に進んでいる。環境も変わってゆく。変わってゆく周囲は、否応なく焦りとなる。たぶんそんなとこかな。わかんないけど。
僕たち親は、親の型を子どもにかぶせがちだよね。「良い大学に行き、良い会社に就職しろ。」これは高度成長時代とバブル期の価値観。
そう僕らの時代だよ。
君も親や先生に一度は言われた事があるんじゃないのかい?
価値観ってのは、その時代を反映したものだけど、今はもう高度成長期ではないしバブルじゃない。人材派遣が出てきて雇用の形態は変わったし、終身雇用もなくなり、良い会社に入って安泰というわけでもない。時代は変わってきている。
そしてZ世代という息子の世代はやる気がないらしいよ。息子が言うには・・・
努力すれば報われるわけではないし、頑張った先に何があるのか見えてこない。SNSで成功している人を見て、自分の立ち位置や限界が、何かを始める前から見えてしまう。親のいうとおり大学に入ったところで何があるんだろうと感じるらしいよ。
つまり世代間での「正解」にギャップがあるんだよ。
時代の変化に疎い親は、相変わらず自分の価値観を息子世代に押し付けるみたいだ。だけど、僕のような変人からすれば、なんとなく世の中の混沌が見えてしまう。世の中は変わったから何が正解か僕もわからない。だからまずは視野を広げる事が大切だろうと僕は留学を勧めたんだ。
日本はもう村社会ではいられないと思うんだよ。和を重んじるのは大切だけど、社会構造がSNSやAIで個の時代に突入してきている。だから個人の発信力と特殊スキルが、息子の人生を切り開く武器になるのかもしれないと思うんだ。
つぶしが効かないと否定する親たちがいるのも承知で、息子の熱意や尖ったモノの見方は、2年で芽が出なくとも、かならずその経験が肥しとなる。どこかの時点で息子の今の経験として肥やされた土地で大木が育つだろうと・・・
それは僕の祈りに近いものだけどね。
だから服飾専門学校に通わない息子の選択も、相変わらず大学へ行き就職するといった社会構造も、少し脇へ置いている。
寝食忘れて向き合う息子の姿をみて、
今まで生きててこんな熱い奴は会ったことがないよ。
息子も娘もそうだけど
こんな真っすぐな奴を信じてやれるのは
僕しかいないなと思ったんだ。
全部欲張って
息子が黙々とミシンを踏む姿と、
娘が机に向かって静かにペンを走らせていた日の、ふたりの背中が重なる。
そしてふたりの才能を見出し、
小さな芽に水をやり、
太陽の光を与え、
子どもたちを育ててきたのは君だ。
息子の事が好きだ。
娘の事も好きだ。
そして君の事も好きだ。
そんな自分が好きだ。
そして、そう思わせてくれる
君との出逢いにありがとう。
ありがとう。
そして思い出してくれ。
君の身体が覚えている。
傷ついたことも覚えている。
そして、癒されたことも覚えている。
どちらを選ぶかは、君の力を信じたい。
想像が大きくなりすぎる夜がある。
妄想みたいに、胸の中が騒がしくなる夜もある。
でも、君を大切に思っている人は、近くにいる。






