人生はシンプルに

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マインドフルネス

今日は少し早く目が覚めた。外は少し風があり、ジャンパーを着なきゃと思ったが、戻るのが面倒で、そのまま事務所の鍵を開けた。

温かい日だったら、デイルームのほうがひんやりしているのだけど、こう寒くちゃどこも一緒だった。僕はエアコンのスイッチを26℃まで上げて、ガスストーブをつけて、床に膝をつき背中から温風を浴びた。

デイルームから見える庭は、眩しくて、太陽に向けてビオラの茎が伸びていた。僕は深く深呼吸をして、誰もいない自由な空間で背伸びをした。iPadを操作して10分シンキングボウルの動画を流して、静かに朝の瞑想をした。

2回目の瞑想をしはじめて、しばらくたつと、中山(仮名)さんが出勤してきて、「また、こんなの聞いてるんですか?」と入ってくるなり言った。

「落ち着くんだよ。」と僕は返したが、続いて入ってきた立川(仮名)さんが、「なにしてんの?」と笑った。「この寺みたいな辛気臭い音、歯が疼くわ」と中山さんが、耳の近くで人差し指をクルクルしながら、立川さんに合図を送り、それを見た立川さんがさらに笑うものだから、とたんにデイルームは賑やかになった。

次に出勤してきた外居(仮名)さんが入ってきて、なにやら話し始めたが、この外居さんは話し始めたら人の話なんて聞かない性格で、マイペースで話し始めるんだけど、はっと気がついたのか、「あ、この音楽かけてるって事は、瞑想中だから私に黙れと遠回しに伝えているんですか」と笑いに変えてぶち込んできた。

そこで中山さんも立川さんも大いにウケて、デイルームは、笑いで騒がしくなった。そこに追撃とばかり外居さんが「瞑想しながら、あの人の事を考えてるんですか?」というので、さらに笑いは激しくなった。

今日も仕事がはじまった。

最近は、年度更新と確定申告が迫ってきているので、書類仕事に追われていた。昨日も市役所から連絡が入り、書類の催促され、あれもこれもしなきゃいけないプレッシャーから、眉間にシワが寄っていて、ため息ばかりついている。

今日は火曜日だけど、先週の日曜日なんて、外で廃品回収している子どもたちが、台車をガラガラ押しながら、デイルームの前の道を通っていった。その時、僕はデイルームでパソコンを打ち、書類の作成だ。

天気の良い日曜日も、働かないと間に合わなかった。ホントに余裕がない。


体操写真の依頼

「頼んでいた写真、今日、撮れるかな?」と笠口(仮名)さんが、たどたどしい足取りで僕に近づいてきた。昔からお世話になっている人だけど、というかお世話もしたけど、いつも元気はつらつの老人会会長だった彼は、朝夕と見守り隊で、黄色の旗を横断歩道でもって活動しているが、最近ではめっきり足腰が弱ってしまっていた。

「集合写真だけでいいですか?」と一枚だけを撮影しようと考えていたんだけど、「ひとりひとりも写してほしい。」と頑なに言うので、面倒だなと思いながらも「ひとりひとり撮るのね。」っと諦めた。

この忙しい時に、体操教室に参加している20名以上を撮影しないといけないわけだ。時間がないなか気が焦るが、仕方がない。

余計な仕事を引き受けてしまったなと後悔した。

ただ、依頼を受けるメリットはあった。体操の参加者が、将来のお客さんになるかもしれなかったからだ。

「どうせ撮るなら喜ばしてやろう」とシャッターを切り始めた。


他人の視点で

「来週ぐらい出来上がるか?」とか笠口さんが言うので、「絶対に無理」と即答した。

「何枚撮影したと思ってるのよ。100枚近くは撮影してるからね。これを選別して現像するから、時間かかるよ。」と僕は笠口さんの目を見て言った。

ちゃんと伝えておかないと、何度も同じ事を聞かれる。「わっしょれー、100枚も。わっしゃー。」と笠口さんは謎の擬音を使って驚いてみせたが、表情はニコニコしていた。

この表情は満足してくれたんだろうっと安堵しながらも、納期は余裕をもってとっておいたほうが無難だ。ちゃんとわかってくれたのかなと不安だけがまとわりつく。

20名ほどの参加者に、個別の写真と集合写真を渡したところで、たぶんどこかにやってしまうだろう。それに自分の写真を見たところで、誰が嬉しがるんだろうとも思う。

参加者は高齢で、昔のような美男美女ではなく、年齢を物語るシワや、曲がった背中や、真っ白になった髪の毛や、そもそも髪なんて無かったりするわけだ。そんな自分が写る写真をもらって誰が喜ぶんだろうと思う。

だから僕は写真を物語にして渡そうと考えている。写真を選別して、ちゃんと映画のポスターのような現像を施して、さらに文庫本サイズで写真集にすれば、もらったほうも喜ぶだろう。

本になるんだ。しかもその本に私が載っている。自慢の想い出の一冊になるだろう。それをするには少々時間がかかる。それまで誰も死なないでおくれよ・・・。

それが先週の水曜日の事だった。


だんじり写真の依頼

LINE通知が入った。登山部のさっくんからだ。さっくんは3つほど下で頭の回転が速い。思った事がもう言葉になっている。考えるを省くから、話し続けて場を動かす性質を持っているし、自分の考えを押し付ける傾向が強かった。

さっくん

「だんじりの写真を撮ってほしいので、みーちゃんに電話してあげて下さい」

という内容だった。そういえば、以前にだんじりの修理をしているから、入魂式をする前に、写真を撮って欲しいとか言ってたのを思い出した。

頭に浮かんだ答えはNOだった。余裕のない中で、余計な仕事は請け負わない。自分の仕事を犠牲にしたくなかったし、余裕を失うような環境を作りたくなかったし、なによりも面白そうと感じなかった。

やってみたいと衝動が走れば、カメラを持って撮影するだろうが、全く興味がなかった。友達だからといって、無理に時間を割いて、やりたくない事をやるという選択は、今の僕には無かった。

だからお断りのLINEを入れる。ただ断りだけじゃ冷たかろうと、代替案を提案もした。スマホで撮影して、それをChatGPTで編集すればプロ並みの写真が出来上がるよと。

すると返信は

さっくん

「3/22まで工務店にあるから、とにかくみーちゃんに電話して。」

と来た。相変わらずのさっくんだなと呆れた。僕は断りのLINEを入れたハズだったが、まるで届いていないみたいだった。

仕方なく、もう一通LINEを送る。

ライカー副長

「タイミングが悪いわ。仕事とが暇ならまだしも、年度更新やら、確定申告やら、いろいろ仕事が重なっている。」

すると、次のさっくんの返答に、僕は心底、呆れ果ててしまった。

さっくん

「日曜日は?」

先週の日曜日は、僕は仕事をしていたし、日曜日に仕事をしないと、書類が間に合わなかったし、仕事を抱えすぎてヘロヘロになっていたんだけど、それよりも、そんな事よりもだ。

なぜ、面白くもないものに、僕の休暇を割ける?なぜ、日曜日という大切な休暇の過ごし方を、他人が決める?という疑問が沸き上がってきた。

僕は疲れていたし、余裕がなかったのもあり、このLINEには正直イラついた。

ライカー副長

「だから、日曜日も仕事しないとまわらないの。わかるかな?というか、聞く耳がないな・・・」

さっくん

有るよ!僕は確定申告終わったので!(笑)3/22ならいけるんじゃないですか?

と、ここで僕は深く呼吸をした。少し考えて、なにが食い違うんだろうかと、相手の土俵から降りた。

距離をとる視点で

この短いやり取りのなかで、僕は何度か断っているけども、さっくんは断りを受け取らない態度だ。さっくんからしたら、自分と他人の間にあるハズの境界線が引かれていない。

この依頼は、僕の時間を奪う前提に話が進んでいて、「使える人は使う文化」が根付いている。

4年ほど前まで僕は祭礼団体に所属していた。

思い出せばいくつもある。パソコンが使えると「エクセルで会計つくって」とか、絵が描けると「デザイン考えて」とか、地元に住んでいると「寄合のビール買って冷蔵庫に冷やしといて」とか、まぁホントに仕事がまわってくる。

つまり出来る人がやって、出来ない人は何もしないという構図が生まれる。

2017年に育成会長をしてから、2022年コロナ最中での祭りを終えるまでが執行部の立場だった。なんとかやり切って、やっと解放されたと思ったところに、「次は安全委員長しろよ。」と言われて、僕は「は?なんで?」と言った。

今まで、やってきて、隣を見ればやっていない人がいて、「執行部やっていない人に頼めばいいじゃん」って正直に言ったら、いきなりキレられて、胸ぐらを掴んできて乱闘になり、「やってられるか!」と僕はついに祭礼団体を辞めた。

その後も、呼び出されては辞めるのを引き留められたが、これ以上は役割に縛られたくはなかった。もう役割で生きるのはおしまい。

出来る人に仕事が集中し、
見えない貢献を強いられて、
共同体圧力で断れば文句を言われ、
境界線が崩壊されて自己が薄まる。

こんな文化とは徹底的に距離をとる生き方が、この瞬間に始まった。



人生はシンプルに

さっくんとのLINEは、まだ先があるんだけど、あとは僕にとっては言葉遊びでしかなかった。僕は断る前提で送信し、さっくんは僕の断りを許さない前提で送信される。何度往復しようと交わる事はない。見ているものが違うのだから。

断る理由はいたってシンプル。

やりたい事じゃないから。好きな事をして、楽しく生きる。他人の期待に応える選択ではなく、自分らしさを大切にした選択で生きる。それで相手が怒ろうと、それは相手の問題であって、それ以上は関わらない。

自分らしさを軸にして、シンプルに生きていきたいという願い。

相手にどう思われたところで、別にかまわないと、承認欲求を手放したとたんに、自由の風がやってくる。


妻の生き方

「役割で生きていきたいの?ふたりの将来どう考えてるの?」と妻は交換日記に書いていた。

当時の僕は、まだ今のような僕ではないから、意味がわからない。

妻との関係は、2019年8月19日に突然に終わった。なんの脈略も無かった。だから僕には理解する時間も無かった。離婚の話が出て、そこから考えて、納得せずとも話は平行線でも、ひとつの終わりの形をつくれていたならば、そこで物語は終わっていただろうと思う。

だけど妻にとっては、事前の準備があったのかもしれないが、たぶん、きっと周到に準備された8月19日だったろうが、ただ僕からすれば、突然の出来事だった。だから物語が終わらない。7年間、ずっと理由を探し続けてきた。

なぜ、あれは起こったんだろうか?っと。今なお続いていた。

あの夜、ひとつの手紙が置かれていて、その手紙には「限界です。今までお世話になりました。」と書かれてあった。そして何が限界だったんだろうと、ずっと答えを探してきた。

そして、今日、すっと心に落ちてきた。そうか、そういう事だったのか。っとわかった。

もっとはやくに役割を捨てていればなと思う。余計なものを背負わず、大切な人を大切にする。それだけのシンプルな生き方が、たぶん幸せにつながっていたんだろうと思った。

Snow White

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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