※これは、過去を責めるための記録ではなく、
自分を回復させていった道のりを整理するための記録です。
見えなかったものが、見えるようになるまで
かつての僕は、ただ毎日をこなすだけで精一杯でした。
他者の期待に応えようと、仕事を押し付けられ、それをこなす日々。
祭礼団体、育成会、市民協議会、町会、自主防災会、地元市議会議員の選挙活動、福祉委員会――活動の幅をいたずらに広げて、ストレスが溜まり、余裕を失っていました。
笑えない、楽しめない、眠れない。
どこかで自分が壊れていくような感覚がありながらも、それを認めたくない気持ちと、認めざるを得ない現実の狭間で揺れていました。
特に地元で商売をしていると、「人とのつながりが不可欠」だと教えられ、その通りに動いてきたんです。
転機となったのは離婚でした。
頑張ってきた結果がこれかと思うと、すべてがアホらしくなった。
すべては家族の幸せのためだったけれど、それは僕の独りよがりで、結局はコスパの悪い努力だったのだと思います。完全に努力の方向が間違っていたのだと反省しました。
ここで気づいたのが、「僕の人生は他人のためにあるわけではない」ということ。
他人の人生を生きることでもないということ。
自分の人生は、自分が楽しむためにあるということでした。
離婚を機に明確な“うつ症状”が出ました。
当時はそれが何なのかも分からず、ただ心が動かず、体がついてこない毎日。
でも、いろいろ調べて、試して、少しずつ回復の道を見つけました。
結果的にあの経験が、僕にとっての“再構築のスタート”になりました。
心と体に現れた異変
離婚の衝撃は大きく、信じがたいものでした。
ある時、誰もいなくなり、部屋が静まり返った。
不安や焦燥感が胸を締めつけ、時には混乱して胸が痛くなる。
夜は眠れず、一時間ごとに目を覚まし、ビールもやめて、しめ鯖ばかり食べていました。
体重は70キロから55キロまで落ちました。
気分が落ち込むというより、「感情がなくなった」ような感覚。
笑えず、何を見ても心が動かない。
朝起きても何もしたくない。
自分を責め、ミスを恐れ、腸の調子まで崩す。
今思えば、完全に“心が悲鳴を上げていた”のだと思います。
自分で選んだ回復への道
きっかけをくれたのはYouTubeでした。
樺沢紫苑さんの「かばチャンネル」と、メンタリストDaiGoさんの動画。
繰り返し観るうちに、自分の状態を少しずつ理解できるようになりました。
走ること。朝に散歩すること。
強めのダッシュで脳の混乱をリセットすること。
不安を紙に書き出し、見える形にすること。
排他的になった思考を責めず、孤独を受け入れて、自分の時間を大切にすること。
そうして少しずつ、食べられるようになり、眠れるようになり、体重も戻ってきた。
自分を取り戻す感覚がありました。
外の世界へ、もう一度
回復の兆しが見えた頃、自然と外に目を向けるようになりました。
朝のニュース番組でたまたま見かけた、ウインドサーフィンのスクール募集。
勇気を出して応募し、新しい趣味ができた。
無理に孤独を乗り越えたわけじゃない。
孤独を経て、自分の内側と向き合ったからこそ、
自然とつながりを持てるようになった。
そんな感覚でした。
目的論という視点との出会い
うつの経験を通して、「人が感情を閉じるプロセス」を、体で理解できるようになりました。
そしてその理解を深めてくれたのが、アドラー心理学の“目的論”です。
人は過去の出来事に縛られているのではなく、
「こうなりたい」「こうしたい」という目的によって、今の行動を選んでいる。
無気力なのは、「もう傷つきたくない」という目的かもしれない。
怒りっぽいのは、「本当は理解してほしい」という願いがあるのかもしれない。
そう思えるようになってから、
他人の行動を原因で裁くより、理解しようとする気持ちが芽生えてきました。
バカの壁を超えて
茂木健一郎さんのいう「バカの壁」──
自分の理解の限界を超えられない、心のブロックのようなもの。
僕も、ずっとその中にいたと思います。
うつを経験しなければ、たぶんそのままだった。
でも、あの体験を通して、
自分の心がどう動くのか、他人の心がなぜ閉ざされるのか、
その奥にある“意図”を感じられるようになった。
見えなかったものが、見えるようになった。
それは、一朝一夕では手に入らない、大切な気づきでした。
痛みを経て
苦しみを超えて
体で理解して
壁を越えたら
見える景色が変わった。
今、同じように悩んでいる人へ
もし今、あなたが暗いトンネルの中にいるのなら、
無理に光を探さなくてもいい。
まずは、その暗さの中で、
自分の体と心が何を訴えているのかに、耳をすませてみてください。
僕は、走って、朝日を浴びて、日記を書いて、少しずつ前に進みました。
でも、進み方は人それぞれです。
ただ言えるのは、どんなに閉ざされた感情にも、
必ずどこかに「目的」があるということ。
そして、その目的に気づいたとき、人は少しずつ変わっていけるのだと思います。
焦らず、自分のペースで大丈夫です。
いつか見えるようになります。
今は見えなくても、大丈夫です。