向き合う夜に

仕事終わり、息子がふらりとやってきて

息子

「メシ行こう」

と声をかけてくる。

こういう時は、何か話したいことがあるのか、ただ一緒にいたいだけなのか、僕には分からない。
でも、それはどちらでもよくて、誘ってくれることが、ただうれしかった。

ライカー副長

「近くのうどん屋でも行くか?」

と聞くと、

息子

「魚が食べたい」

魚か。じゃあ寿司屋は?と提案してみるも、どうも気乗りしない様子。
ならばと、「地魚や」に行くことにした。

たぶん今の彼には、少しやさしい味が必要だったのかもしれない。
刺身の鮮度、焼き魚の香ばしさ、煮付けのやわらかさ。
そういう食事が、心をほぐしてくれることもある。

留学を経験している息子は、日本の食事の繊細さをよく知っている。

息子

「メシが旨い日本はすばらしい国なんだ」

と笑っていた。

「地魚や」は少し変わった店だ。
仕入れたばかりの魚を木箱に並べて、そのまま席まで持ってきてくれる。
「これがサワラで、こっちはブリ。今日のブリは北海道産です。」と、
店員が一匹ずつ丁寧に説明してくれる。
天ぷら、刺身、煮物、焼き物、ワラ焼き──どれにするかは客の自由。
その場で選び、希望の調理方法で出してくれる。

息子は目を輝かせながら魚を選んでいた。
「これ、刺身いけますか?」と聞く声に、少し大人びた響きが混じる。
店員さんとのやり取りも自然で、
いつの間にこんなふうに会話ができるようになったのかと、
その成長をしみじみ感じた。

僕はブリをワラ焼きにしてもらった。
香ばしい匂いが秋の夜の空気に混ざって、ほっとする。

おいしい食事に、楽しい会話。
そんな理想的な時間は、そう簡単に訪れるものではない。
けれど、この夜は少しだけ近かった。

息子は今、服を作っている。
ひとりで、部屋にこもって、黙々とアイデアを形にしている。
だからこそ、こうして「メシ行こう」と誘ってくる夜は、
何かを吐き出したい気分なのだろう。

機関銃のように話が飛び出してくる。
デザインのこと、素材のこと、見せたいイメージ。
アメリカの話、日本の経済、国際情勢まで。
話題はどこまでも広がっていく。
その熱量に押されながら、僕はうなずき、聞き続ける。

料理の味は、正直あまり覚えていない。
静かな晩ごはんになると思っていたら、
むしろ、息子の勢いに巻き込まれてクタクタになった。

でも、思う。
彼はただ、誰かに聞いてほしかったのだ。
その思いが伝わるから、途中で遮ることもできない。
僕はただ、静かに聞き届ける。
そして、自分の言葉もやわらかく返す。

今日の息子は、服づくりがうまくいっているらしく、
妙にテンションが高かった。

息子

「これ、マジでいける」

と言いながら、どこか無敵モードのような明るさをまとっていた。

息子

でも、もう作られてた(笑)

ライカー副長

という事は、アイデアの方向は正しかったって証明されたんだろ

その姿を見て、ふとタロットの「愚者」を思い出した。
上を向いて進んでいくが、その足元は崖のふち。
それでも本人は、まだ気づかない。
希望と危うさが入り混じったその光景が、
今の息子そのもののように思えた。

声をかけたくなるけれど、それは彼の旅路だ。
つまずいても、自分で立ち上がる力を持っている。
だから、僕はひとつだけ伝えた。

「夢を現実に変えるには、現実の力が要る」

プレゼントした本にもあった。
“金が尽きれば、夢も尽きる”。
夢を追うだけでは生地も買えず、服も仕上がらない。
現実を支える力があってこそ、夢は形になる。

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どう受け取ったかは分からない。
でも、目の奥に、かすかに火が灯ったように見えた。

アドバイスが届いたかは、正直わからない。
それでも僕は、労働というものを信じている。
働くことは、金を稼ぐだけじゃなく、社会とつながること。
会話や失敗や、小さな信頼の積み重ねが、
人を世界に結びつけてくれる。

ずっと部屋にこもって縫い続けているだけでは、
その接点が持てない。

若いうちにそのバランスを覚えておくことが、
きっと後の力になる。
僕はそれを、自分の経験から知っている。

だから、「まずは働け」と言った。
夢を追うのはいい。
けれど、夢だけでは立てない。
現実を土台にしてこそ、夢は息づく。

ただ、否定だけはしたくなかった。
僕は息子の生き方を受け入れているつもりだ。
「お前はそれでいい」とも伝えた。

息子は、同調圧力に屈しない。
みんなと同じであることに安心を求めない。
たとえ孤独でも、自分の頭で考え、選び、進んでいく。
それが彼らしいと思う。

昔、「パパの会社で働こうかな」と言っていたことがある。
「そのとおりに働いてたら、今ごろ死んだ目してたぞ」と言ったら、
息子は笑った。
その笑いの奥に、
自分で選ぶ覚悟のようなものを感じた。

親にできることは多くない。
手を差し伸べることと、転んだときに受け止める準備をしておくことくらいだ。

今は信じて、見守るだけ。
必要なときには助ける。
それが、僕の選び方だと思っている。

迷走も、力になる。
今の彼の歩みも、いつか振り返れば意味を持つ。
そう信じて、今日の夜をそっと閉じた。

食事を終えるころには、
僕の中にも静かな疲れが残っていた。
それは、誰かと本気で向き合ったあとの、
少し心地よい疲れだ。

息子と僕は、たぶん真逆の性格だ。
僕は静けさの中に安心を求め、
彼は熱量の中で生きている。
違うからこそ、学べることがある。

仕事終わりの体に、その会話は少し重かったけれど、
不思議と、心は軽くなっていた。

今日も、よく向き合えた。
それだけで、十分だと思う。

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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