呼吸を整えて自分の道をまっすぐに

相手の反応を気にした時点で
僕は僕でなくなってゆく

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不安に疲弊する自分

最近、自分の中でひとつ腑に落ちたことがある。

それは「相手をコントロールしようとするから不安が生まれる」
という、とてもシンプルな構造だ。

怖さや不安が完全に消えたわけではない。
むしろ、それらは相変わらず心の中に均一に存在している。
でも、その存在を無理に消そうとせず、
ただそこにあるものとして受け入れた瞬間、
なぜか呼吸が軽くなる。

流れに身をまかせようと
腹を括ったとたんに不安は薄まってゆくんだ。

相手の揺れや痛みを「自分のことのように」感じてしまい
それを何とかしようと動いては疲れ果てる。
そんなパターンを何度も繰り返してきた。

手放す事で自分が整ってゆく

だけどふと思った。

相手がどう反応するかなんて、僕にはコントロールできない。
そもそも他人の領域に、僕が入っていく必要もない。

そう気づいたとき、
僕は僕でいれるし、僕という軸を真ん中に置くので
充実感を感じて生活することができる。

不安を消し去ろうとするから、
不安が大きく育つ。

相手をどうにかしようとするから、
自分の軸が外に流れていく。

だったら、その全部を抱えたまま、
自分が選びたい行動を選べばいい。

ブログを書くのも、写真を撮るのも、
誰の反応に合わせず、ただ自分で決めればいい。

自分が良いと思う感性に自信をもてばいい。
誰かの評価を気にするから苦しくなる。

そして誰かの評価を気にすることは
他人の軸に合わす行為で、他人の人生を生きる事になる。

そんな生き方は自分自身を疲弊させる。

自由に生きる

結果、誰かがどう感じるかは、
その人自身の領域のこと。
そこに踏み込む必要はない。

今日、僕はひとつ手放した。

そしてそのかわりに、

ひとつ自由を手に入れた気がする。

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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