世界観
夜の風は、思ったより暖かかった。もう12月だというのにどうなっているんだろう。
息子に「メシ、行かへん?」と誘われたのは昨晩のこと。
その流れは昨日も書いたけれど、食事中に彼がぽつりぽつりと語ってくれたのは、自分なりの美についてだった。
彼は空間の捉え方に独特の感覚を持っている。構造の理解が鋭く、どうやら「空間をまとう服」や「空間そのものを生み出す建築」に惹かれているようだった。
- 感覚で感じ取ったものを、
- 構造に落とし込み、
- 自分の世界観にして創造する。
この最後の世界観について話してくれたわけです。
擬人語変換作業
直線とシルエットがが彼にとっての「美しいもの」の基本らしい。
息子「黒がいいんよ」
と言う。理由を聞くと、「ノイズがないし、存在感があるから」と返ってきた。
曲線はまだ分からないという。理解が追いついていないので、直線でモノづくりを考えているというのだ。彼の世界はうにょうにょっとなって生まれ、そこから更にうにょうにょっとなってまた生まれる・・・らしい。
彼と会話は擬人語「うにょうにょ」というのを
感覚的につかみ取る事が大切だ。
感覚を培って自分の世界観をつくる。そして更に感覚を培い構造理解してからさらに世界を拡張する。という意味で、うにょうにょ言われて、ぽかーんとなっていたら



「聞いてる?わかる?」
と言われる。だから



「わかってるよ。だいたいな」
といって、わかっているような雰囲気を醸し出しながら、想像力を働かせながらうにょうにょの意味をつかみとって「あぁこれか」と腑に落ちるわけだ。
そんなわけで、なるほど、今は直線をベースに服をつくっている理由が少し見えた気がした。
写真で確かめる息子の世界観
僕自身も最近、モノクロの写真を撮る事が多くなった。
息子が言っていた「シルエットの美しさ」は、確かに腑に落ちる部分があった。でも、ひとつだけ少し不思議に感じたのが、「空間そのものを、ありのままに切り取る」という考え方だった。
カメラでいえばF値10くらいで撮れば全体にピントが合う。つまり、画面のすべてにピントを合わせるというやり方。
そのままで完結。不完全でもそれを「美しい」とする。茶の湯に似た美意識とでもいうのか。足らない事が美しいわびさびの価値観だ。
一方で、僕の写真はF値1.4で撮影することが多い。これは被写界深度を利用して主題だけに鋭くピントを当て、背景を思い切りぼかす。主題をぼかしを使って際立たせていく。ぼかしスタイルが、僕の中では美の形だった。



「空間をそのまま撮って、それが芸術になるの?」
と言うと、



「それがいいんだよ」
でも、そこで会話を終えず、僕はスマホを開いた。自分がフォローしている写真家たちの作品を見せながら、「これはどう?」「これは好き?」と聞いてみた。彼の美意識を、もっと知りたくて。
A Slice of Life..❉❉ pic.twitter.com/aLVEHtrzix
— lida (@lida1xs) December 1, 2025
Fan Ho
— Murat_add (@Murat_add2) December 2, 2025
Sun Rays, Hong Kong, 1959#fanho #photography pic.twitter.com/VmVM19oci3
すると、少しずつ輪郭が見えてきた。
キーワードは「存在感」。
光と影のコントラストが強くて、立体感のある写真。
人の顔が映らず、シルエットだけが残るような写真。
主題が明確でなくても、じわっと何かが伝わってくる写真。
church of Moscavide
— L'uomo degli abissi (@Fanrizio21) November 22, 2025
Portugal 1968
Eduardo Gageiro pic.twitter.com/bKHg6c9a5b
彼の“美”は、そういうところにあるんだと思った。
息子に影響をうける
そこから僕も、息子の感性を少し借りるようにして、現像を試してみた。
今までは、被写体にピントを合わせて、背景をぼかして主題を引き立たせる手法で撮影していたが、今回は逆。
「存在そのもの」を意識して、空間全体をそのまま切り取ってみた。
(以下3枚の写真は僕の美意識で撮影)


電話ボックスのガラス反射と、背後の光の散らばり。
僕の好きな“主題と副題”のクセが残りながら背景をぼかして
空間全体に意識を広げようとした写真。




何枚か仕上げていくうちに、息子が求めている世界観のようなものが、少しずつ輪郭を帯びてきた。
やっぱり、触れてみないと分からない。
自分とはちがう美意識に寄り添いながら、試して、迷って、でもどこかでつながっていく。その過程に、少しわくわくしていた。
(以下4枚の写真は息子に影響されて撮影)


街の大きな光のまとまりと、人の流れが一枚に詰まって全体にピントを合わせた。
これが息子のいう“空間をそのまま切り取る美”なのか?


街灯の光に浮かぶ人影。
明暗の差が強く、シルエットと存在感が確かに際立っている。
これは息子のいう「直線/存在感」の方向にかなり寄って撮影した写真。




たぶん、こうやって僕らは、それぞれの感覚を少しずつ重ねていくのだと思う。
正解があるわけじゃない。
けれど、確かにそこに「らしさ」が生まれてくる。
それが、きっと美なんじゃないかと、そんなふうに感じた夜だった。







