朝の空気
夜勤明けの朝、地面が凍っているのかと思うほど、足元から這うような冷気がまとわりついた。空を見上げると水彩画のように輪郭がぼやけた深いグレーの雲が広がっている。今にも風に乗って雪が落ちてきそうだった。
晴れた日には、太陽からの眩しい光がカーテンのように降り注ぐのに、輪郭がぼやけた深いグレーの雲に隠されて、黄色く、白く太陽が拡散している。時折、雲の切れ目から太陽の光が帯になって照り付け、街に影を落とし、輪郭を形づくっていた。
朝なのか夕方なのかぼやけている空間で、僕は送迎を終えて事業所へ帰ってきて、そこからバタバタと動いていた。昨日の日勤、夜勤、そして朝を迎えた日勤の始まりのなかで、僕はほとんど寝ていなかったので、頭がぼやけていた。
息子がご帰還
11:00am。
僕は積み重なった仕事をこなしていて、ある程度の午前中の目途が見え始めた頃合いだった。前から黒いバイクと一体になった、黒い服に身を包んだ息子が、こちらに向かってきた。
ボボボボと低速で細い道を入ってきて、僕の横を通り過ぎる間際に、右手を挙げて互いに挨拶をする。
そのまま駐車場の倉庫へ消えていき、息子が出てくるであろう、その動線の上に僕は立っていて、息子とひとことふたこと話す事になるだろうと思った。
僕はため息をついて、ぼやけた空を見上げた。
ため息の理由
思った通り、息子が倉庫から出てきた時に、太陽の光が街を明るくして、まぶしい朝日を浴びた息子は、影を後ろに細く伸ばしながら、いつものようにふわふわと僕に近づいてきた。
彼は自由に生きている。自由な選択には、現実を受け入れる責任がつきまとう。働かない自由を選ぶと、金がない現実にぶちあたる。すると、遊べないし、食えないし、住めない、という現実を受け入れないといけない。
そんな息子の現実の半分以上を僕が引き受けている。
境界線
僕はまだ息子に掛ける言葉は見つかっていない。何が出てくるのかは自分でもわからない。
僕は息子に対して、好きな事が見つかって、熱中出来ている事には安心を感じるけども、働いていない事に憤りを感じていた。
住むところは無償で提供して、養育費の年齢延長で毎週土曜日に1万円わたしていて、衣食住には問題ない。後は遊ぶお金ぐらいはバイトで稼げよっと思っているけど、僕の思い通りにはいっていない。
少し俯瞰で見れば、金がないから遊べない、生地が変えない、作品作りが出来ないというのは、息子の課題であって、僕が入っちゃいけない領域。
なのだけど、なのだが・・・
クレジットカードの支払い延滞というバカな話が舞い込んできて、そのうち携帯が止められるだろう。携帯が止められると、ママや姉との通信も途絶えることになる。今や、lineなどの通信手段があるから、遠く離れていても繋がっていられる。
かけがえのない大切な人との繋がりを、お金の問題だけで断ち切ってしまうのかと思うと、延滞金を渡してしまう僕がいた。
ここは立ち止まらないといけないとこだなと思う。
ヒット&アウェイ
そんな感じだから、なかなかに息子に対して歯がゆさが立ち上っていた。
どう声を掛けようか迷ったが、出たところは「おう!どこいってきてん?」だった。
「んー ちょっとー」と息子は曖昧な返答をした。まぁ、どこに行こうと息子の自由だから、僕が詮索するのもおかしな話だ。だけど詮索するための「おう!どこいってきてん?」じゃなくて、掛ける言葉が見つからなかった「おう!どこいってきてん?」なのだ。
続けて、僕は「いってきたんか?面接?」と言った。こんな朝から面接なんて無いのはわかっていたが、僕の云いたい事は、遊ぶ金ぐらいは自分で稼げよ、っという含みがあった。
息子は、足を止めて僕に向き「んー、難波にあるアパレル関係の業者で、面接を・・・」
僕は息子を覗き込みながら、話の続きに耳を傾けると、「面接を・・・しようと思う」とか言ったので、僕は眉をひそめて「思う?」と語尾を上げて息子に問いかける。
息子は僕の表情を見て、なにを言いたいのか察したようで、「そう。まだ行動していない。思うって頭で考えているだけ」とにやりと笑った。
僕は人差し指を息子へ向けて「行動しろ!」と伝えると、息子は「今は服を作ってるんだよ。静から動だ。今は動なんだよ」と言った。
僕は言いたい事は山ほどあったが、今はそれ以上は踏み込まないという選択をして、「結果を出せよ」とだけ伝えて、息子から視線を外して次の仕事へ向き直った。
息子はスキップしながら部屋へ帰っていった。
正しさは必要か?
息子が「静」ではなく「動」だと言ったのは、アイデアを服というカタチにしているという意味で、「生産活動をしている」っと僕に言いたいのだろう。だけどそれが結果に繋がるには時間がかかる。それは息子もわかっているのだと思う。
息子も焦ってはいる。成人式で波長の合う友達が5人みつかり、そこから交流が始まっている。そこで友達の動きも知るだろう。周囲の友達が小銭を稼ぐなかで、自分は金が無い、遊びになかなかいけない。
そこで不自由を感じる。金が無いと遊びにも行けない。
そして「金が絶望的にない」と息子がいうのだ。
そして愚痴のように、「ママは養育費をくれなかった」といつだったか僕に車の中で愚痴った事があった。その時だけは、少し僕も熱くなって息子に話した。
「あのさ、くれなかった事を怒ってるんじゃなくて、説明してほしかったんだろ?」
あれは夜に飯を食いに行こうと車を走らせていた時だった。そうそう。土曜日の夜に養育費1万を渡した時に出た言葉だ。
「水道代とかさ、電気代とかさ、やっぱ高くなってるし、物価も高くなってるじゃないの。ママもやりくりに必死だったんだと思うよ。」
息子は黙ってきいていた。
「でさ、余裕のない時にさ、お前に養育費は?と言われたらさ、しんどい仕事をしてきて帰ってきて、夜にお前にわーわー言われたらイラつくと思うよ。」
「これはパパの想像でしかないけどさ、パパがそうだったんだよ。めちゃ働いて疲れて帰ってきてグチグチ言われると、めちゃ疲れるんだよ。うるせぇ!ってなったりもしたよ。だからママがそうだったんじゃないかなって想像するわけ。」
「でさ、これもパパの想像でしかないけどさ、お前は金が欲しかったんじゃなくて、説明が欲しかったんだろ?光熱費にいくら、家賃にいくら、食費にいくら、学費にいくら、貯金にいくら。で、私の収入はこれ。だから、ごめんね。と説明が欲しかったんだろ?」
「そう説明してくれてたら、お前は納得できたんだろ?」
というと、やっぱり黙っていた。けども小さく頷いた。
僕は勢いで会話を強引にもっていったけども、なんだかとてもやり切れなかった。話し終わった後、もうこの話題はしたくなかった。だからこの短い会話で、この話題は終えた。
お金で家族が揉めるって、身内の財産分与で醜い争いに関わった僕としては、トラウマ級の出来事で、これが僕の大切な家族に起きているとは思いたくなかった。
正しいとか、間違っているとか、どうだっていい。時に正しさへのこだわりは大切な人を傷つける。だから、そんなものはとうに捨てたし、正しさにこだわる息子の価値観だけは、時間をかけて寛解させようと思っている。
じゃないと僕と同じ轍を踏ませてしまう。
夢と金
夢と金という本を僕は息子にプレゼントした。世間では夢で生きるのか、金を儲けるのか?という選択になっていて、夢を追い求めていつまでも貧乏暮らしをするのか、夢を諦めて金を稼ぐ生き方を選ぶのかという事が言われ続けているけども、この本はこれに真正面から反論している。
息子はすでにこの本に書かれた構造はわかっている。わかっていて自分に金を稼ぐ力が足らないと知っている。
「夢と金って本おもしろいね。」と僕に言ったのはグァム行きの飛行機に乗っていた時だった。彼はほんの3時間ぐらいのフライトのなかでこの本を読み終えてしまった。
「だろ。日本社会で金というのは汚いもの、卑しいものと教えられるけども、まともに受け取ると後で痛い目を見る。だからさ、夢を追い求めるのと、金を生み出すのは、同時に考えておいたほうがいいよ。」
「確かに」と息子は頷いた。
僕が言えるのは、ここまで。これ以上は踏み込まない。服作りの想いに寄り添う事は出来る。金の大切さを話す事も出来る。ただこの先に、息子はどう動くのか、選択するのか、それは息子の領域だから、僕は踏み込まない。
これが去年の祭りの時期、9月だったので、あれから4か月は経つが、まだ行動していない。ため息も出る。
干渉しない
結論を急ぐと、だいたい、ろくな事がなかったので、待つことも大切だと学んでいた。
人は、葛藤することや、否定することや、涙することや、でもわかってしまった事や、それでも認めたくないことや、でも認めないとスタートラインにさえ立てないことや、他人を変えることは出来ないことや、今の自分には限界があるという事を、受け入れて、今出来る事を選びとってゆく。
自分で考え、行動することは、不安だけども自由であって、生きる感覚を養える。依存で生きながらえるよりはよっぽど良い選択だと思う。たとえ、それが大きな回り道であったとしても。
その歩みは人それぞれのペースがあって、周りのペースに合わせようとしたり、他人の答えを押し付けられたり、答えを急かされたり、納得できないままに、今を歩んでいても、心に熱を入れる術がないから、次第に迷ってしまう。
息子は、心に熱を入れる事が出来たんだから、それを持続して燃やし続けてゆくために、どうしたらいいのか、息子なりに納得しながら、今を選びとってゆくほうがいい。息子のペースで、っと僕は思う。
だから、喉元まで出てくる言葉を、僕は飲み込み、境界線を越えないように、ぐっと腹に力を入れ踏みとどまる。
これの繰り返しだ。

