今日はなにする?
少し胸や背中の痛みがなくなってきて、どうやら疲れが取れてきたようだとホッとする。年末からの生気がない身体も、なんとか血が通い始めてきた。
朝も9:00に起床。いつもの時間に追われるように目覚める感じじゃなく、ひさしぶりにまどろみを楽しんだ。布団にくるまり朝の太陽を顔いっぱりに浴びて、それでもウツラウツラとしてた。
やっと僕の身体に戻って来た。
さてと、朝ごはんだけおばあちゃんに作りにいってから、何をしようか考えよう。
息子は韓国の友達が日本に遊びにきたと大喜び。最近はモンゴル人とか韓国人とかアジア系の友達が多い。高校からの友達は物足りないのだそうだ。
ちゃんと成人の集いに行くんだろうか?コロコロと変わるからなぁ。
偉大な橋のハズなのに
もう時間は午後14:00をまわろうかという頃合いになっていた。冬の日の陰りは早い。なんだか夕方のような感じだ。
昨日も京都だったが、今日も京都だ。交通費の安さを知り、再び訪れたわけだが、主旨は昨日とは違って街歩きと山歩きだ。歴史をめぐるハイキングにしようと考えた。

目の前に石の親柱が立っている。それも目立たないところにひっそりと。そして何気なくわたってきたコンクリートの橋。幅は1メートルぐらいだろうか。この石の親柱に刻まれている言葉は、鉄筋コンクリート製の橋11号という事らしい。
つまり今、僕が渡ってきた橋は、日本初の鉄筋コンクリートの橋だということだ。それも当時としてはコンクリートは新素材なので、強度を上げるために鉄道のレールを中に入れているんだそうだ。
これが日本で最初に試されたとされる鉄筋コンクリート。
試験的な位置づけだな。

強度実験をした橋という事で、よくよく見ると橋の柱に大きなヒビが入っていて、それを補強するように鉄骨で支えている。明治時代に作られた日本初の鉄筋コンクリート製の橋だから、まぁ劣化が激しいのもうなずける。

しかし、目立つことなく、ひっそりと存在しているというのが、なんとも切ない感じがした。この実験的な橋が、現在の橋の強度に繋がってゆくのに、こんな扱いなんだな。
そんなものなのかもしれない。
違和感の理由はある
京都を歩くと整頓された川が流れているのだけど、意識しないと違和感だけが通り過ぎる。川というと土手あがあり曲がりくねるが、真っすぐに流れて直角に流れる川って見たことあるだろうか?


京都を歩けば、そんな川に出くわすんだけど、意識していないから素通りするんだよね。すぐに答えを探さず違和感だけがモヤモヤしていていたんだけど、昨日の初詣の途中にひとつの掲示板を発見して、ああなるほどと合点がいった。
そして調べてみると面白い事がわかってきた。そして今日は京都でハイキングをしようと思ったんだ。
違和感だけ募ってゆく時は、自分の中でどんな変化が起きているのか自分でもわからない。別の角度から見た時に、初めて気が付く事があったりする。
思い込みとか、一度そう考えたから今更変えられないとか、理由はつまらないものなんだけど、物事の見え方が変わる時って、ほんとに些細なキッカケから始まる。
それが昨日の初詣だったんだ。
そすいさんぽ
昨日の初詣の時にみつけた看板というのがこれ。

「そすいさんぽ」と書いてある。
疎水について少し触れておくけど、京都に琵琶湖の水を呼び込むために作られた人工的な水路。あの南禅寺にかかっていた赤レンガの橋も、琵琶湖の水を運ぶ水路なんだけど、今日はあの水路を辿って琵琶湖まで行こうという計画。
それがあの看板に書かれてあった「そすいさんぽ」の概要だ。

明治のはじめ、都が京都から東京へ移って、天皇も東京へお引越し。そこから京都はどんどん衰退してゆくことになる。人口も減ってゆき、20歳ぐらいの設計士を中心に、京都を立て直そうとこの疎水が作られということだ。
だから京都に流れる川が直角に曲がっているのは、人工的な川だったからで、直角に曲げる事で水の流れを落としていたんだ。だから豪雨の時でも川の流れは一定で、他の水路に水を逃がす事で洪水を防いだという事で、しかもこの疎水から水力発電を作り、京都を近代化の街に押し上げたという歴史をもつ。
疎水は単なる水路じゃない。京都が近代へ踏み出すために、人の手で流れを引き直した痕跡だ。


鉄筋コンクリートという実験
僕の目の前にある、日本で最初の鉄筋コンクリート橋は、強度の実験で作られた。しかも鉄道のレールを鉄骨代わりにしている。
壊れてもどうってことがない。強度だけを調べたいから。失敗もデーターとしてみれば、次の成功へと続く。だからいっかいやってみようと作られて、今も現存している。補強されているけどね。
国家プロジェクトだったので、国家のお金で実験できるなんて最高じゃないか。それで京都を復活させようとした物語に繋がっているわけだから。
今が未来へと繋がってゆく
この試された技術は、当時は革新的なものだったんだろうけど、時代を重ねるたびにどんどん古くなってゆく。そして特別でもなんでもなくなってしまって、今こうやって目立たないところで石碑だけが残っている。
小さな橋として残ってはいるが、そんなにおごそかに保存されたわけでもない。後から鉄骨で補強されているだけで、誰も観に来ない。
目新しい事だけがスポットライトを浴びて注目されているけども、それさえも時がすぎればただの技術だ。そうやって時は流れてゆく。
京都の近代化のための琵琶湖疎水という物語も、役割を終えて観光として再整備されたけど、誰も来ない。娘や息子をみていて僕も役割を終えて、あとは邪魔しないようにそっと道をあけてゆく。
娘が初めて遊園地のアトラクションにひとりで乗ると言った時の事を思い出す。あれは、長嶋スパーランドだったか、それとも鈴鹿サーキットのとこだったか。場所は忘れてしまったけども、あの時の気持ちだけはしみじみ残っている。
時がすすみどんどん離れてゆく。
この疎水を辿って歩くと、そんな事を想って・・・
寂しくなってくるよ。
