アダムとエヴァ

人は誰でも自分の輪郭が曖昧なとき、
相手を感じることができないのだと思うよ。

目次

大塚国際美術館で過ごした一日——「輪郭を取り戻す旅」

今日の話は昨日の続きね。

淡路島から徳島へ。そこに海を見下ろす坂道の上に、美術館があるんだけど覚えてるかな?

一度、一緒に行ってるんだけどね。
また子どもたちも小さかったかな。

そこに大塚国際美術館という陶器に焼き付けたレプリカ美術館がある。

昨日は登山を中止で、息子と一緒に大塚国際美術館へ。

今回は昨日も話したけども「鑑賞」というより、
「感じる」一日にしたよっていう話で終わったと思う。

言葉になる前の感性で、
自分の内側と向き合うという難しい話だけど
たぶん僕だけが難しいのであって、
感性で物事を見る君は息をするがごとくにできちゃうんだろうね。

昨日は現代美術だったけど
今日はルネサンス時代からの宗教画と近代の絵について話すよ。


受胎告知——マリアの「驚き」に心が引っかかった

まずは受胎告知。
この絵は天使ガブリエルが
マリア様にイエスを身ごもった事を知らせに来たという絵。

黄金の背景、堂々たる天使——
なのに、マリアの顔が

「え、ちょっと待って?」って言ってるように聞こえるんだよ。

その戸惑いが、僕はリアルで好きでね。
もちろん受胎告知は他にもいろいろな人が描いているので
祝福されて幸せそうな表情の絵もあるんだよ。

なのに僕はこれが好きなんだ。
神の計画と、人の混乱が、同じ空間に描かれている。

神聖なものより、フォーカスされているのは人間臭さ。
人は誰だって理解不能なものに拒否感を抱く。

処女なのに赤ちゃんを身ごもったって天使が告げにくる。
「そんなの、誰だって驚くし、迷う」と思えるんだよね。


アダムとエヴァ——知恵の前にある、あの心の空白

次はアダムとイブ。絵の題名はアダムとエヴァ。

この絵の前で立ち止まって魅入ってしまったのは、
ふたりとも焦点の定まらない目をしてたから。

まるで、自分がまだどこにも属していないような表情。

神様に禁じられた知恵の実。
これを食べる前の風景なんだ。

知恵の実のりんごにはかじった跡がないだろ。
それに知恵をつけたふたりは裸なのを恥ずかしくおもって
いちじくの葉っぱで服を作るんだよ。
裸なのはまだ知恵がない証拠なんだ。

だから知恵の実を食べる前の風景なんだよ。

知恵の実を食べる前、彼らには“自分”という感覚すらなかったのかもしれない。
僕も以前は知恵がなかったようなもんだ。

自分の輪郭さえわからなかったんだから。
この6年で自分と向き合い
やっと自分の輪郭を感じられるようになってきたけど。

この絵に僕自身を重ねていたから魅入ってしまったんだよ。

「輪郭がないと、世界の見え方も曖昧になる」

この感覚が、ふと胸にストンと落ちたんだ。


ハルスの老女たち——手の形に、すべてがにじむ

この絵はハルス・フランスが描いた絵。
「養老院の女理事たち」という題なんだ。

人柄の違いを手で表現している絵なんだ。
で、これは僕の感性で読み取った予想なんだけど

左端の老女の手。
柔らかく、それでいて芯の強さを宿しているようだよ。

隣の女性の握りこぶしには、頑固さがにじんでいるように感じる・・・。

中央の女性は「中立」なのかな?
なにか持っているけど、その手はまるで、誰の味方でも敵でもないような。

この女性を見て
「情もあって、厳しさもあって、矛盾を受け入れてる」

左手が軸をもった感じに見えるし、
右手は少し下から手を開いて受容しているように見える。

そう感じないかい?

感じ方を強要しているんじゃないよ。
君には君の感じ方があるしね。

ただ僕がそう感じた理由は・・・
僕がそういう在り方になりつつあるから強く反応するのかもしれないね。

この女性の表情って、
優しさだけでも、厳格さだけでもなくて、
「人間ってそう単純じゃないよね」っていう
静かな理解が滲んでる。

僕はその“矛盾ごと包む感じ”に安心を感じたんだ。

完璧でも強いわけでもなくて、
柔らかさと硬さの両方を持っている存在。

僕はそうありたいな。


サトゥルヌス——暴力に飲み込まれ怯えた怪物

この絵には、暴力が描かれているよね。
でも、それ以上に目が引かれたのは“怯え”なんだよね。

力を使う者の強さではなく、
力に呑まれる者の弱さが、そこにはあると思ったんだ。

僕も、かつて衝動に支配されていたことがある。
この怪物みたいなもんさ。

もう、繰り返したくない。

だから僕は自分を整えているんだよ。

僕は本当は何が好きて、何が嫌いなんだろう。
僕はどのように生き方がしたいんだろう。

自分の輪郭をなぞる様に自問を繰り返す。

自分を大切にしていたら
相手の大切な想いもわかってくる。

そう感じているんだ。


第九の波濤——試練の中にある人生の波

大波に呑まれそうなくらい大変でも、
その向こうに光があるから人は漕ぐ。

波から逃げるんじゃなく、
波の中で“どう在るか”を選ぶ。

人は誰しも人生の浮き沈みを経験する。

沈んでいる時が悪い時じゃなくて、
浮いている時が良い時じゃないなってわかってきたんだ。

本当に大切なのは

どのようにこの波のある人生をわたっていくのか

まさにこの絵の本質はここだと思ったんだ。

「試練は壊すもの」ではなく
「試練は人生の形をつくるもの」 だと思うよ。


エデンの園——再会の微笑みと、やっとあなたが見えた

さぁ、この美術館で一番好きな絵だよ。
女性の表情が幸せそうだろ?

アダムとエヴァが再会したんだよ。

「罪を背負ったアダムとエヴァ」ではなくてね、
痛みを抱えたまま、再び同じ場所に立てたふたり。

楽園ではないけれど、
苦しみをくぐったからこそ、
こんな冬の公園での小さな幸福がエデンになる。

この女性の表情はさ
「あなたとなら、もう一度歩ける」
みたいな 静かな確信 があると思わないかい?

無邪気でもないし、盲目的でもない。

痛みを知ってなお、
その人の手を握ることを選んだ人の表情に見えるよ。

惹かれる理由は他にもあるんだよ。
喜びよりも再会の深さに心が温かくなるんだ。

「自分の輪郭ができたから、相手の輪郭も感じられるんだ」

だから・・・もうイブもエヴァも迷わないよ。


静かに在るということ

人は誰でも自分の輪郭が曖昧なとき、
相手を正しく感じることができないのだと思うよ。

・相手が近づくと圧に感じる
・少し離れると不安になる
・相手の言動を自分への評価として受け取ってしまう

単に輪郭の違いで見え方が違うだけなのに
自分が批難されたと感じてしまう。

輪郭が弱いと、世界が全部ノイズになる。
だからノイズから身を守ろうとする。

だから、わかりあえない・・・

いや・・・違うな・・・

分かり合えないんじゃない。
ありのままの君が見えない。

そうまっすぐに君をそのまま見たら、きっと君が見えたんだ。

今はそう感じるよ。

さて、今夜はもう寝るよ。おやすみなさい。

Eva Cassidy – Songbird

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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