急いでいる朝ほど、
見落としているものがある気がした。
風景のなかの生活
時計の針は7:45分を指していた。布団の温もりと夢うつつのなか意識がまどろんでいたが、時計の針が、温かい布団の中に、氷のような冷たい風をつれてきて身体がこわばる。
やばい寝坊した!
急いで起きて、呼吸で無理やり身体を整えて、浴室のシャワーを44℃で出す。勢いよくほとばしる湯気が鼻腔をなぞる。乾いた空気が朝の部屋に張り詰めていたが、湯気の湿度が一気に塗り替えてゆく。熱いシャワーを頭から浴びて、体のすみずみを起こしてまわる。
起きろ 起きろ 朝だぞ
最近はとても忙しい。パートのスタッフが退勤すれば、リーダーの女性と僕は倒れ込む。なんともいえない無力感。たとえるなら掃いても掃いても後から後から落ち葉が落ちてくるような、そんな終わりのない業務に追われている。
次第に心身に疲労がたまり、自分でも気がつかないままに、かろうじて前を向いて毎日をこなしている。疲れの抜けない体は、ときおり輪郭を失い、絡まった糸が更にもつれてゆくように思考がぐるぐるまわってゆく。
何をしたかったんだっけ?
さっきまで覚えていたのに、なのをしたかったのか迷路にはまり込み、リーダーと顔を見合わせる。ふたりでそれあるあるだよねと笑えてくる。この情景の共有がホッとする。
忙しいのは僕だけじゃないと思えるから。
正解と批判のあいだで
クリスマス音楽会があったけど、それ以外にもデイではクリスマス会が開催される。準備を音楽会と平行でやってきているので、リーダーはプライベートな時間も買い出しに時間を割いていた。
音楽会のときは、スタッフに休憩をとらせ自分の休憩は取れていない。僕はそれを見ていたので、当日の勤務時間を1時間はやく切り上げるようにリーダーにlineで入れておいた。
1時間早く帰れると思えば、それだけで気が楽になるし、その時間を逆算して段取りよく仕事をこなせる。情報というのも早く渡す事で、リーダーの呼吸は整うだろう。
ただそれでも仕事にミスは出てくる。彼女も僕も石ころだらけの道を、とにかく急いで走っているようなものだから、つまずくこともあるんだ。
他人は石ころだけを見て「なぜこの石を見ないの?つまずくに決まってるじゃない。」と正論を言う人がいるが、それは確かに正しいのだろう。しかし、、急いで走っているという情景を見ていない。だからそんな言葉が出てくる。
急いで走っている事を知っていれば、それは仕方がないよね。大丈夫。まだ走れる?と相手に余白を残した言葉掛けになってくるんだろう。
ただ、他人にはわからない情景だろうから、わかってほしいと願えば願うほど、虚しくなる。まるで正月に風邪ひいて寝込むほど、どうしようもない気持ちに沈んでゆく。
だからだんだん余裕がなくなっていくんだけど、その時こそ自分に優しくありたい。
精一杯やってるよ。
肺一杯に空気を吸い込んで走ってる。
だから少しぐらいつまづいた所で大丈夫。
むしろこれ以上スピードを上げると転んでしまうよ。
運転中の景色から
寝坊して気が急いていたのもあり、車の運転も少し落ち着きがなかった。車内の温度も温かくなり始めた頃、信号を曲がると朝日が差し込んできた。
いっきに景色がシルエットになり、対向車も家も電信柱も色も質感も失った。単純な情報しか受け取れず、太陽の温かさより存在が一気に浮かび上がって来た。強烈な光に真正面から受けて、シルエットだけのシンプルな世界が通り過ぎてゆく。そして遠くのほうで鳥の群れが飛び立つのが見えた。それは空へ向かいその軌跡を目で追うと、空の青さ色を取り戻し、流れゆく白い雲が空間を飾る。そして情景の質感までもが感じられた。
気持ちいい朝だな・・・
赤信号で車を停車させる。そして呼吸が深く、整ってゆく。するとせわしなく運転している自分の輪郭が感じられてきた。車の中に流れているBGMは柔らかかな空気をつくり、目の前で横断歩道を子犬をつれて散歩する老人が渡り終えた。
僕はしばらくその老人を眺めていた。
俯瞰で見るということ
風景が流れていくのを眺めながら、呼吸が浅くなっていたのを自覚した。
そうか、疲れているんだな・・・
そう自分を理解した瞬間から、見える景色が変わってきた。
体の隅々まで感覚が戻ってきて、太陽の温かさが体をほぐしていった。対比するように自分の身体が訴えはじめる。少し休ませろと。
そういや、思うようにひとりの時間が持てていない。
自分のメンテナンスをする時間さえなかったんだなと、改めて深く呼吸をついた。
静かに言葉を脇に置く
俯瞰で感じられる自分と景色で流れてゆく点と点。そんな視点で世界を見た時・・・。
よくよく考えてみれば、点と点は線で結ばれていて、その線となる流れは自分でしかわからない。仕事やプライベートなどで思いがけずその点を指摘されたり注意されたりする時があるけど、そこにいちいち耳を貸していれば窮屈な思いをする。そして冷静に考えてみれば、今に至る点を、線で捉えなおせば指摘されるような事でもないという気づきがある。
精一杯やってきた。
そして傷ついてもきた。
失敗もあったり成功もあったり、
喜びも苦しみもそこにはあった。
そして今がある。
例え、今の点が苦しくても、寂しくて悲観するような点であったとしても、僕はそこから次の点を打ってゆく。変化してゆく点と点を結ぶ線は、これからも続いてゆくだろうし、僕の物語だ。折れ線グラフのように状況が変わってゆく様は、僕の物語なんだ。
だから余裕がない時は思いだす。
今はこの点しか打てないけど、点で見ずに線で見ろと。
僕の物語はこの一瞬の点で判断できるものではないと。
君の物語は君もそうだ。
君の物語も過去も今も、そして未来も含めて君の物語になる。
だからこの今を集中しろ。
誰かを恨むために君の物語はあるわけじゃないだろう?
君の物語は誰に縛られるものでもないだろう?
だから今の自分を大切に。
今の丁寧な点が、君の物語を紡いでゆくのだから。
