「買い物行くけど、いくか?」から始まる夕暮れ
毎日毎日、夕暮れ時にいつものように息子にLINEを送った。

「買い物行くけど、いくか?」
既読は、つかない。あぁ、寝てるんだろう。まったく。
仕方なく一人でスーパーへ向かう。
最近は、既読がつかない時点で「たぶん、いらないんだろうな」と判断するようになった。以前は違った。鍋を用意したり、弁当を二つ買って帰ったりしていた。
もしかしたら食べるかもしれないと思って。
だけど、何度も空振りが続けば、さすがにこちらの気持ちも折れてくる。少しずつ、期待はたたまれていくわけですよ。
それでも、ごくたまに返事がくることがある。
昨日はめずらしく、息子から先にLINEが来た。



「今日、なんか買ってきて」
それを見て、僕は返信した。



「今からスーパー行くけど、いくか?」
返ってきたのは



「作業中だから無理。買ってきて」
イラっとするわけですよ・・・。
いいように使われるわけです。



わしゃ召使じゃねぇぞ・・・
それでも結局、スーパーに行って、好きそうな弁当を探している自分がいる。ついでにアイスも買ってしまう。
職場のスタッフとつらつらと愚痴を話していれば、



私も主任も本人のためにならないと思いつつ、手を焼いてしまうんですよ。その気持ちわかります。
手を焼いてしまうか。そうかもしれないな。
ミシンの件と、引き際の覚悟
先日ミシンのことで息子を専門店まで連れて行った。
こだわりがあり良く話すけど信頼できそうな、職人気質の店主と顔を合わせて、あとは息子が電話一本入れて購入するだけ、というところまで準備した。
晩飯をいろは満月でトン玉を買って、届けるついでに聞いてみた。



「ミシン、どうなった?」



「まだ電話してない」
またイラっとした。
お前の夢に対してわざわざ時間をとって調べて行動しているのに
のんびりしていて、そのうちミシンを買う軍資金も消え失せる将来が予想できた。
なんだろう・・・がっかりした。
こちらの気持ちが空回りしていることが悲しかったのか——
その時の気持ちを正しく言葉で表現できない。
ただ、叱ることはしなかった。
叱っても仕方がないことを、僕もようやく学びはじめている。
要は本人の課題であり、僕の課題ではない。



本質は課題の分離だよ。
元妻の気持ちに思いを馳せる
そんなふうに息子と距離を取ろうとする今、
ふと元妻のことを思い出すことがある。
息子はかつて「ママは晩御飯作ってくれない」と言っていた。
だけど、急に作らなくなるなんてこと、そうそうないと思う。
たぶん、いろいろ積もり積もったものがあって、
次第に、少しずつ、作らなくなっていったんだと思う。
結婚生活でも同じで、僕に対して思う事は山ほどあったろう。
報われない思いや、伝わらない想い。
それでも毎日食事を用意し続けることが、どれだけしんどかったか。
今の僕には、少しだけ分かる気がしている。
そして、それを理解できるようになった今、
あの頃の元妻の沈黙にも、優しさがあったのかもしれないと、
静かに想像出来るようになった。
見守ることの難しさ
息子は今、何を思っているのか、
僕には全部はわからない。
でも、わからないなりに、
これ以上は手を出さず、見守るしかないと思っています。
それが正しいかはわからない。
でも、正しさよりも、信じることの方が、
今の僕には必要な気がするんですよ。