自然と向き合う時間
今日(2025/8/17)にウインドサーフィンに行ったんです。
風がある日なら思い切り走れて気持ちいい。でも風がなくても、海に浮かんでいるだけで十分楽しめるんですよね。自然が好きなんで、ただ水面に漂いながら空を見上げる時間とか、潮の匂いや波の音を感じている時間が僕にとってはすごく大事なんです。
動きがなくても、そこに身を置くだけで心が整う。むしろそういう静けさがあるからこそ、風が吹いた瞬間のがむしゃら感が際立って感じられたりします。
視点が変わると景色が変わる
ウインドサーフィンを始めて、少し上手くなりはじめてから、沖のほうへ出る機会があったんですね。そしたら、ビーチから見る景色と、ウインドサーフィンで海の上から見る景色は全く違いました。
同じ場所でも、視点を変えるだけで新しい世界が広がるんですよ。僕はその瞬間、視野が広がるというのはこういうことなんだと実感しました。景色が変わるだけじゃなくて、見える人も変わるし、受ける影響も変わってくるんですよね。
新しい事を始めてみるというのは、ここがポイントなんです。ウインドサーフィンに限らず、各々の世界には、それぞれの世界の見え方があるんですよ。
一歩の勇気を持つこと
僕がウインドサーフィンを始めた時って、離婚して3年ほど経っていました。離婚してDV加害者プログラムに参加して、非暴力の世界を知り、うつ症状や腸過敏性腸症候群を患い心疾患の世界を知り、誰もいない家が怖くてバイクで朝から深夜まで長距離ツーリングに明け暮れていた時期でした。
この間にいろんな世界を知り、自分の中では知らず知らず価値観の変化が起きていたんですよね。ただし、DV加害者更生プログラム以外は、全部受動的な影響でして、なんら新しい事に飛び込むことはしていません。
繰り返しますがDV加害者プログラムだけは別です。あの頃は混乱期真っただ中で、自分を変えようともがいていたんですよね。で、自分自身で変える事に限界を感じて、ネットで探して直接電話したんです。それも今思えば大きな勇気でしたが、藁をもつかむ思いでしたので必死でした。
で、ウインドサーフィンの話に戻るのですが、離婚して3年後に僕は祭礼団体から離脱します。それはとても偶発的に突然やってきたのですが、今思えばそれが大きな転機になっています。
祭礼という枠組みから外れて、時間が出来たわけです。持て余す時間をどう使うか?といった問いに、なんの答えも持ち合わせておらず、自分の空虚さを思い知る事になります。
僕は周囲から与えられた事に取り組むことは得意でも、自らやりたいと願い取り組んだ事なんて一度もなかった。
という事に気づかされるわけです。
なかなかにショッキングな気づきでした。
そんな折に朝のNHKで番組で紹介していたウインドサーフィンのスクールに応募し、ウインドサーフィンを始める事になるわけです。
新しいことを始めるときって、どうしても少し勇気が要ります。でも、その一歩を突破してしまえば、あとは流れに任せればいい。そうすれば自然と新しい友人ができて、新しい世界に入っていけるんです。
その一歩が自分を広げるきっかけになるんです。勇気って大げさなものじゃなくて、小さな行動の積み重ねでいいんですよね。
自分の空虚さを突き付けられて、何かを始めようと焦って電話した小さな行動。それが今に繋がります。
停滞することの危うさ
祭礼団体を辞めて気づく事もありました。
祭礼団体という男社会に所属していると、知らず知らずにジェンダー思考が色濃くでてきます。男らしさという奴です。だんだん言葉は汚くなりオラオラ的な性格を帯びてくるようになるんです。
ただ今回偶発的にでも祭礼団体を離れる事ができ、そしてウインドサーフィンという世界に飛び込み、祭礼団体以外の友人が出来てくるわけです。するとあることに気が付き始めるんです。
外から祭礼団体を観ると、だんじり祭りの友達は地元や仲間を大事にしていて、それは素敵なことなんですが、でも同時に、新しい世界に行くことをどこか拒んでいるようにも見えてきたんです。
- 「お前がいないとダメだな」とおだてたり、
- 「お前ええ加減にせぇよ」と脅したり、
- 「お前戻ってこいと言われるのもこの2年ほどやで」と突き放されたりと、
揺さぶりをかけながら僕を祭礼団体に戻そうとしてきます。

だけど僕は戻らない。
もうあの世界には戻らないんです。なぜなら仕事を押し付けられすぎて余裕を失うからです。余裕を失えばイライラします。イライラすると攻撃的になります。つまり余裕を失うという事は暴力に繋がってしまうという事を、DV加害者更生プログラムで嫌というほど学んできたのです。
それに小さな世界に留まっていると、安心感や居心地の良さはあるけれど、やがて刺激や発見がなくなって停滞してしまう。停滞こそが危ういことだと思います。
妻に見限られたその当時。僕は停滞していたんですよ。妻は変化し続けていたわけです。夫婦の関係も流動的だったわけです。僕は全く気がつかない。手痛い経験があるからこそ、今のこの価値観に繋がります。
世界は外に出ることでしか広がらない。
だからこそ、一歩外に出る勇気が必要なんだと強く感じます。
元妻のバイク免許からの気づき
元妻がバイクの免許を取ったと聞いたとき、僕は「免許があるならバイクに乗って世界を広げたらいい」と思いました。で、バイクを元妻にプレゼントした。だけどそれはもめ事の火種にしかなりませんでした。
これは僕が未だに元妻の事を見誤っていたからにすぎません。
僕はてっきりバイクは乗って違う土地に連れていってくれて、そして経験を広げるための趣味だと思っていました。そして元妻もそうであって欲しかったわけです。
でも彼女はそうじゃなかった。バイクを運転することよりも、後ろに乗るというイメージに夢を抱いていたんです。男性が運転して、女性が後ろに乗る。そういうイメージに価値を見出していたと思うんです。
これはジェンダーに紐解く価値観なんだろうと思います。男性が運転する後ろに女性が乗るというイメージは、男らしさと女らしさの象徴なのかなと思います。
なるほど、元妻にはジェンダーな価値観が備わっているわけだと理解できたのです。彼女にとって大事なのは所有や免許そのものではなく、そのイメージだったという事です。
僕にとっての価値と、彼女にとっての価値はまるで違うという事です。その違いに気づいたとき、元妻のカタチが見え始めて、人とは僕が思っている以上に宇宙があるんだなと思うようになりました。
相手の中の光を拾い集める
大きな枠組みで「この人はこういう人だ」と理解しようとするんじゃなくて、相手の細部に宿る小さな光を見逃さず拾い集める。その積み重ねこそがその人のカタチにつながってゆく。
相手の中にある光を見つけ、それを大事にしていく。それを繰り返すことで、初めて本当の意味で相手を知る事になる。
そして、誰しもが自分の世界をもっていて、世界が違うから、互いの足らずを補完できたりする。自分の正しさにこだわる事に、一遍の価値もないのだと気が付いた瞬間でもありました。
僕の中にも宝物があるし、相手の中にも宝物がある。その事実に気づいてから、人との関わり方が大きく変わりました。人とのつながりを「育てる」という意識が芽生えたのもこの頃です。
息子との関わりに活かす
この考えを今は息子との関わりに活かしています。
息子とはいろんな話をします。
- 何が好きで、何が嫌いなのか?
- 何を大切にしているのか?
- 何を得意としているのか?
- 何が不得意なのか?
話のなかで息子のカタチを見つけてゆきます。
息子は最近、服を作ることに夢中になっています。思い返せば小さい頃からものづくりが得意だったんですよね。今、息子自身が中から、彼に備わった宝物を拾い出して成長しようとしている。
そんな彼の姿を見て、本当にやりたいことを見つけられて良かったなと思っています。
自分が夢中になれることを見つけて、そこに時間を注ぐ。その姿を見るのは親として本当に嬉しいことです。
解像度を上げていく
僕は最近、元妻や娘、息子の「形」が少しずつ見えてきたと感じています。でもまだ輪郭ははっきりしていない。だからもっと解像度を上げていきたいと思っています。
そのためにも僕の価値観をどんどん変えてゆく必要があります。他者との違いを認識する事が会話の本質だと思います。分かり合うというのは違うを認め受け入れる事なんでしょう。
そのためにもいろいろな経験を積み、思慮を押し広げてゆかないといけない。
人を理解する解像度を上げることで、その人の中にある光がもっと見えるようになる。そうすればもっと豊かな関わり方ができるはずです。
行動こそが近道
自分を変化させ続けるためには、行動することが一番の近道だと思っています。違った土地に行き、違う考えに触れる。それを繰り返すことで、変化し続けられるんです。
変化し続ける事で、人とのつながりを成長させる解像度が上がってゆく。
だから僕は自分とは異なる土地や文化、他者の世界に触れるために行動しまくっています。
今日はウインドサーフィンに行って、そのあと万博へ。朝7時から動き始めて、帰ってきたのは23時。
さすがに今夜はくたくたです。でも、この疲れは悪い気はしませんでした。行動したからこそ得られる充実感。
今はまだ準備期間。いつか飛躍の年がくると信じて今日も積み重ねます。