Ⅰ|メシいく?
今日は呼吸について話をしようと思うよ。
君の呼吸が整うかもしれないから。
伝わるだろうかわからないけど。
それでも話したいのは僕のわがままだと呆れてよ。
昨日の夜だったか、仕事が終わってブログを書いていたんだ。
深く呼吸を整えて、ひとつひとつ丁寧に言葉を置いていた。
その時ふと思い出したんだ。
そういえば息子は登山に行きたいと言っていたなと。
先週は徳島の剣山に向かい
冬山で死にそうになって引き返してきたんだった。
だから仕切り直しといこうか。
息子はついてきてくれるだろうか?
六甲山なら大丈夫だから誘ってみるかな?
君に向けた呼吸をそっと閉じて、息子にlineをしてみたんだ。
すると「明日はしたい事があるから行かない」と返信があった。
がんばっているなとホッと胸が温かくなり
再び君との呼吸に戻ろうとした。
実のところ少し残念ではあったけれど
息子の宇宙のゆくえは息子が決めるんだ。
そんな折にスマホの通知音が仕事場に静かに響いたんだ。
「メシいく?」
息子からの晩御飯の誘いだったんだよ。
こんな時はいつも煮詰まっている時だ・・・
なにかハッキリしないイメージでもあるんだろう。
だから息子との時間を持つことにしたんだ。
Ⅱ|始まりのズレ
車を走らせて馴染みとなったうどん屋へ。
堺のほうなので少し遠いんだけど、僕も息子も気に入った店なんだ。
気に入った空間で、
おいしい食事という頂く時間は
そこにいるだけで話がはずんだりする。
彼のカタチになっていないイメージ
僕との会話で擦り合わせてゆく
僕の言葉が湿度をもつ時間なんだ。
息子に必要とされている・・・
そんな自分の輪郭が強く協調されてゆく
とても危なっかしい時間。
息子が口を開く。
第一声から存在美学の話から始まった会話に、僕はちょっといつもよりも呼吸が浅くなる。
僕は視点は宙をさまよいながら、会話の位置を探す事からはじめるんだ。
彼の言葉の意味するところは何だろう?
彼のイメージはどんな質感をまとっているんだろう?
僕にどう答えたらいいんだろう・・・。
彼の目を見ると、僕の呼吸はさらに浅くなってゆく。
息子の話が見えずに迷路に迷い込んだ野良猫のように声を小さくさせてゆく。
僕のイメージが出来上がる前に、「わかってる?」と口をはさむので、
カタチになりつつあるイメージが雲のように散ってしまう。
だから僕は言うんだ。
「とりあえず続けてくれ。聞いてるから」と促し、
そして彼の言葉は音楽のように流れ始める。
その間に息子に話に沿わすように
とりとめのない宙をかき集めてイメージを作ってゆく。
まとまりが出来るまで・・・
Ⅲ|言葉になる前のもの
古代で生きていいた人は、感性から構造物や壁画を創造した。
言葉がないぶん意味づけがない。
だから美術品としては感性の塊のような息遣いや質感が強い。
息子が熱を帯びて言葉を放つ。
それを聞いてだいたい会話の位置がだいたいわかってきた。
大塚国際美術館で現代美術を見た時の感覚に近いものがあった。
作品の意味を考えると全く沸き上がるものがない。
初めから意味なんてないからだ。
意味はなくとも作品を前にして身体で感じるものに意識を向けていくと、
絵の具の質感や作品からの迫る空間などが感じ取れる。
それが言葉になる前の風景だ。
その風景を感じ取る時は、身体は僕を離れ、意識だけが浮遊する感覚になる。
作品の前に立つ自分が見える。
そこで僕の身体は作品からいろんな情報を受け取っているんだとわかってくる。
自分が作品にどのような情報を受け取っているのか客観視できる。
俯瞰で作品を見ている。
それが僕なりの現代美術の見方になっていて、
その理解があったために、
会話の流れの僕の位置がやっと掴めてきた。
作品のもつ「ゴゴゴォォォォ」といった迫るものがある。
まるでジョジョの奇妙な冒険で表現されるような擬人語が作品から放たれていている。
芸術や美術というものはただ感じればいい。
音楽のような会話は、ここで胸にストンと落ちて、
僕の呼吸は深くなり、息子に向き直って静かに頷いた。
やっと息子と呼吸が重なってきた
Ⅳ|呼吸が重なるとき
店主が麻で出来た蒼い着物を身にまとい、黙々と料理という創作をしている。
L字型のカウンター席だけで、お店も暗い道にポツンとある看板があるだけだ。うっかり通りすぎる店だし、まるで明日になると消えてしまうような怪しい雰囲気をもっている店だった。
その空間で息子と話していると、包丁が野菜を切る「ザクザク」といった質感であったり、「コトコト」と鍋が揺れる香りであったり、店内に薄く流れる埃っぽく乾いた音楽であったりが妙に感覚を鋭くさせてゆく。
僕と息子の世界だけが立ち上がってきて、無駄なノイズが消えてゆく。
仕事のざわつきであったり、他者とのノイズであったり、
日々の暮らしの中で耳の奥に残る雑音が限りなく薄くなる。
そして僕の世界の輪郭が整ってゆく。
そして息子の宇宙の輪郭がハッキリ見えるようになる。
もう言葉は僕の感性にストンと落ちてくる。
感覚で理解して、自分の中で言葉に乗せて息子に返す。
ただそれだけの時間が出来上がる。
Ⅴ|成熟のかたち
この時の息子と僕の共有する自然の摂理は、
それぞれの宇宙があるということ。
お互いが自分を丁寧に扱っている。
自分の中心に軸を置き、他人の評価で生きてはいない。
それを知っているからこそ、僕は息子の宇宙を尊重しする。
息子は僕の宇宙を尊重してくれる。
そこには言葉にならない信頼があり、
だからこそ互いの意見を正しさだけで取り合わない。
人は誰しも自分が正しいと思って行動している。
だから意見が食い違った時は、相手が間違っている前提で話をはじめる。
そこに摩擦が生まれ呼吸が浅くなり、空気がピリッと張り詰める。
緊張の糸が張りつめて、一気に不安の濃霧が立ち込める。
僕と息子の間には不安の濃霧はなく、つねに空気の純度は透明だったりする。
互いの意見が違ったとしても別にかまわない。
考えが違うのが当たり前だからだ。
それには対等に価値があると思うし、平行宇宙のように、当たり前の現象だからだ。
Ⅵ|静かな確信
僕が見る限りでは、ほとんどの人は競いあっていると感じる。
例えば、そうだな。居酒屋で大きな声で話している人は、誰かに勝とうとしているように見えないかい?
自分が正しいと思っているから、相手が間違っている批難する。
自分のほうが強いと思うから、相手にマウントを取ろうとする。
勝たないと価値がないと思い込んでいる。
手がかじかんだら痛みがでるだろう?
痛みが出る前にポケットに手を入れて温めればいいのに。
浅い知識と軸のない人がワイワイと論争しているのは、意味のない単なるノイズに聞こえてしまう。
どっちが正解なんて、そこが本質じゃないんだけどな。
昇ってくる太陽はひとつだろう?
宇宙がふたつあれば太陽もふたつあるのが必然なんじゃないのかい?
あるがままを単に認めればいいことなのに・・・
誰もが自分が正しい相手が間違っていると言い張る。
そして問題はややこしくなってゆく。
|そして、もうひとつ大切な事がある。
僕はこういった写真が好きで、シルエットとモノクロの美学が僕の宇宙。それだけでいい。他と比較すると宇宙が歪む。だから世界を見る目はいつも自分。それでいい。
Past lives
— Ama_r (@Paraguscolors) December 14, 2025
Zoli Márton pic.twitter.com/tAHB1XuvB5
僕は、ただ息子の宇宙を感じて、 僕の呼吸を重ねてゆく。
違いをそのまま感じて、手を加えない。
それでいいと思っている。
息子の人生は、息子のものだ。
僕の人生は、僕のものだ。
そして君の人生は、君のものなんだ。
それでも、 今日ここまで辿ってきた君との呼吸が、
僕の中で時の流れの中で風化することはない。
それが僕の宇宙なんだよ。
