厨房という戦場
今日は月曜日で、厨房担当の日になる。メニューを見ると「うどん」だった。
うどんなんて簡単そうに見えるけど、これが大忙しになる。それに他の副食を見ると、たけのこの煮物、ポテトサラダ、かやくごはん、デザートで、手間暇かかるメニューが総ぞろいだった。
後頭部から血が逆流するのを感じて、手順を考えている暇も惜しみ、とにかく手を動かした。じゃがいもを洗った。そして皮をむいてレンジにほり込んだ。たけのこを切って、鍋に調味料を入れて、とにかく煮込んだ。
11:30分には完成にこぎつけないといけない。考えて手が止まる事は致命的だった。だから考えるより先に手が動いた。それぐらい全方向に神経を向けた。火を遊ばせる事は出来なかったし、うどんを煮るための湯も沸騰する時間も計算しなくちゃいけなかった。
バトルフィールドというゲームのようだった。ショットガンを持ち、街中を走り回って、敵を見つけては発砲して、当たるかに関わらず、位置バレしたので次の拠点に向かう。考えている暇なく、動く、動く、動く。厨房はもうそんな状態で、あちこちからグレネードが飛んできて爆発していた。
厨房の残響
今は僕ひとりの厨房だが、昔は別れた妻と一緒に厨房に立っていた。もっぱら僕は手伝いだった。うどんのメニューの時もあった。
「つゆは濃いめで作るんだよ。」と妻が鍋の味見をしてた僕に言った。「なんで?良い味になってるよ。」と僕は妻に味見用の皿を差し出して、味見してみるように伝えた。僕はこれで十分に美味しいと感じていた。妻は、味見をしながら、これじゃダメだという表情で、「うどんを食べるから、つゆは絡めるだけ。だから濃いめじゃないと味を感じないよ。」と言った。
そんな妻との会話を僕は思い出していた。だから出汁パックを全部入れて蓋をした。それでも出汁が薄く感じたので、粉末出汁を更に鍋に入れた。泡を吹きながら20名分のうどんつゆに溶けてゆく。醤油、酒、みりんを多めに入れて、妻に言われた事を忠実に守って作った。
「よし、これは自信作だな。」と僕はひとり鍋に向かって言った。
うどんの乾麺を茹で終わり、そして配膳した。なんとか時間に間に合わせる事が出来て、自信のあるうどんを楽しみに、僕も昼ごはんにした。
が、ひとくち食べてみて、思ったような味ではなかった。あれだけ味見したのに、うどんを入れると、やっぱり薄かった。
これでも薄いのか・・・と愕然とした。あれだけ自信があったうどんなのに、味が薄くて話にならなかった。主食のうどんが失敗であれば、他の副食が旨くてもダメだった。うどんに引っ張られて、すべてが不味く感じてしまう。
主食をしっかり作らなきゃ、全部がダメになる。
痛恨の一撃だった。
みんなは美味しいと言って、完食していたが、僕は納得がいかなかった。妻の言う事を守ったつもりだったが、ぜんぜんダメだった。
大阪名物 肉吸いうどん
食器を洗いながら、何が悪かったんだろうと思い起こしていた。手を動かして走り抜けてはいたが、丁寧さは失っていなかったし、それに妻の言う事もちゃんと思い出して、これで良し、っと手ごたえもあったつもりだった。
なんだか、本当に納得がいかなかった。
多量に余ったうどんつゆを見ながら、ここで終わらせたくなかった。どんな濃さだったら旨いうどんになったんだろうか?と再度チャレンジしたくなった。
だから僕はスマホを取り出し、息子にLINEを送った。晩飯に大阪名物の肉吸いうどんを作るが、食べるか?っと。
するとすぐに既読がついて返信があった。
「おまじ」
「たべる」
短い2送信。息子らしい。
次はめちゃ旨いうどんを作ってやる。多量に余ったうどんつゆに、更に調味料を入れて、牛肉を入れて、最高の肉吸いうどんを作ってやろうと、晩飯が楽しみになった。
これぞ理想の味
仕事終わりに、近くの安売りスーパーに買い物に行った。牛肉の脂のない細切れ肉を探したが、国産しかなくて、値段を見れば900円もした。けども、国産でもかまわなかった。旨いうどんを絶対に作ると決めていたから。
うどん定食は、かやくごはんと相場が決まっている。3合も食えないけど、あとはおにぎりにすればいい。3合用の釜めしの素も買って帰った。
再び、妻の言葉を思い出して、丁寧に、丁寧に、調味料を足していった。まだ薄い、まだ薄いと、味見する舌に意識を集中した。そして牛肉を一気に入れて、灰汁が固まりになって噴き出してくるのを、おたまで次から次へ取っていった。
うどんつゆを味見すると、見事に甘辛くなっていた。これだ!と思った。今度こそ、最高の肉吸いうどんだと思った。息子も食べた瞬間に、舌つづみを打つだろうとにんまりした。
夜の風
が、息子は来なかった。
何通がLINEを送ってみたが、既読がつかなかった。
せっかくこんな旨そうな肉吸いうどんを作ったというのに、まただ。息子にドタキャン食らうのは何度目だろう。時計は20時を回ろうとしていた。僕も時間が惜しかったのもあり、ひとりで食った。旨かった。ホントに旨かった。
洗い物を片付けて、鍋の中に息子の分の肉吸いつゆが残った。そして炊飯器の中に炊き込みご飯も残った。
LINE電話をしても音沙汰がない。
もう一度、僕は時計を見て、ため息をついた。なんだろうな、この切なさは。誰かのために作った料理が、食べられることなくそこにある。
家に戻ったら、僕だけが取り残された、あの時に似た感情が沸き上がってきた。それでも、僕は家族のために良かれと思ってやった事が、そのまま宙に浮いてしまう事になった。
この切なさに良く似ていた。なんだろうな・・・。
まぁ、当時のやつよかマシだと思った。うどんで人生が狂うとかないからな。
家にある蓋付きの鍋に、肉吸いうどんつゆを入れた。電子レンジ炊飯用の耐熱ガラスに、炊き込みごはんを入れた。それにうどん2玉をつけて、息子の部屋に向かった。
昨日の雪もあり、夜の風は冷たかったが、抱えた晩飯は温かかった。
チャイムを鳴らすと、しばらくすると息子が寝ぐせをつけて出てきた。「お、うまそうじゃん。これ絶対うまいよ。」と言った。
僕は黙って手渡して、階段を降りて行った。
