昨日(2025/8/13)、友達から飲みの誘いが来た。
選択肢は、行きつけの居酒屋か焼肉か。結果、焼肉。
これは正解だった。脂が舌で溶けて、口の中が「ありがとう」で満たされる。
さて、問題は2次会だ。

「家飲みする? それとも、いつもの居酒屋?」
僕は予約の電話を入れた。するとマスターが教えてくれた。



「今、ご町内のあの難儀な人が来てるよ。絡まれるかも」
ありがたい情報だ。
こういう時、人は二種類に分かれる。
- 1つは、「お、それならルート変更しよう」という回避型。
- もう1つは、「なんで逃げなきゃいけない」と燃え上がる対決型。
僕は迷わず回避型だ。情報は使ってナンボ。
飛び込み営業じゃないんだから、危険予測はした方がいい。
でも友達は、映画の主人公みたいな顔で言う。



「堂々と行けばいいやん。逃げたらダメだ」
ジェンダー思考という亡霊
いやいや、それ、“正々堂々”ってやつでしょ。
昔から男に押しつけられる、意味のない鎧。
僕は思う。
この“正々堂々”って、だいたいの場合ジェンダーに紐づく価値観だ。
特に男性に向けられやすい、「引くな」「弱みを見せるな」という無意味な呪い。
それは勝負の場や、守るべきものがある時なら意味があるかもしれない。
でも、ただ酒を楽しみたいだけの夜には、まったくいらない。
僕はそんな不味い酒は飲みたくない。
その場で戦うことより、戦いそのものを避ける方がはるかに賢い。
「逃げる」のではなく、「選ばない」のだ。
だから僕は言った。



「不味い酒は飲まない。今日は家飲みにしよう」
友達は渋々折れてくれた。
平和なハイボールは最高
そして家飲み。
ハイボールを作って、「ラーゲリーより愛を込めて」を観た。
シベリア抑留の過酷さと、そこにある人間の優しさに泣きながら、グラスを傾ける。
この涙はアルコールのせいじゃない。
暴力のない空間で、心を自由にしてくれる物語に触れたからだ。
昨日の夜、僕は改めて思った。
「逃げる」は負けじゃない。
選んだのは、非暴力の、そして自分の心を守る選択肢だった。
そしてそれは、正々堂々よりもずっと美味い酒を連れてきてくれる。