成人式

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美容院にいく

昨日、ライトサイクル京都という不思議なイベントに参加してきたのもあり、今日はゆっくり過ごしていた。撮影した写真を現像したり、2週目に入ったロマンシングサガ2をプレイしたりして、まったりまったりの日曜日。

そこに息子からLINE電話が入った。「美容院行きたいんだけど、お金かしてよ」と。

「美容院? 自分でハサミで切っとけ」と冗談交じりに言うと、電話口でケタケタ笑っていた。息子は、どこか憎めない音色をまとっている。だから僕も自然と「わかった、置いとくね」とだけ伝えた。

成人式にいくよ

夜、登山部の友人から「飲みに行くんですが来ませんか?」と誘いがあり、そういえば今日は雪が降っていたのもあり、全く外に出てないなぁと思い、「わかった。行こうか」と返事をした。

いそいそと準備をして家を出たところで、息子と鉢合わせして、「髪、切ってきたよ。ありがとう」と髪を触りながら言う。いつものように韓国アイドルみたいな髪型になっていた息子は、続けて「ラーメン食べにいく?」と聞いてきたが、「すまん、今日は今から飲み会だわ」と返すと、「あ、そうなの」と。

テンポよく短いやりとりが続くのが、息子と僕のいつもの感じだ。

「あ!そうそう。明日、成人式行ってくるわ」と息子が笑い、「友達がしつこく誘ってくるんだよ」と言った。

なるほど、それで美容院に行ったわけだ。

「へぇ。行かないとか言ってたのにな。まぁ行ったほうがいいよ。」と言って、お祝いとして2万円を手渡し、「友達と楽しんでこいよ」と伝えると、「あざーす」と言って、帰っていった。

変化の兆し

別れ際に、思い出したように振り向いて「あ、もうひとつ。あのさ、パパ成人式に来ないでね」と真顔になって僕を見た。「あのさ、ママが来るかもしれないんだよ」と続けた。

成人式に親が行くという発想が僕にはなかったので、もともと行くつもりはなかったけども、「わかった」と答えた。

そうか、時間が合えば会場に来るかもしれないのか。ママと息子が自然にやり取りしている事に、なんだか安心した。

成人式

翌日、成人式の日がやってきた。

もう成人式か。あんなに小さかったのにな。そして立派に成長した息子がこのイベントに参加すると聞いて嬉しかった。一生に一度のイベントだし、懐かしい友達と再会し、写真を撮ったり近況を報告し合ったりできるのは、きっといい思い出になるだろうと思った。

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仕事を終え、残業もほどほどにして、ブログを書いていると、ドアが開いて「おーい」と息子が帰ってきた。

「ん? 早いじゃないか。どうしたんだ?」と聞くと、息子は紺色の細身のジャケットに細いネクタイ、下はジーンズで、そのジーンズの値段を知っていただけに、それもアリだな僕は納得する。そして、成人式にスーツで行かないのは、息子らしいなと思ったが、それよりも、気になったのは同窓会に参加せず、早々と帰ってきたことだった。

「んー、なんか面白くないなーって思って。同窓会に誘われたけど、話の合う奴が行かないっていうからさ。だからつまんないだろうなと思って帰ってきた」と、入ってくるなり、いつものように言葉を詰め込んで、ひょうひょうと言った。

つまらないか・・・。まぁそういう考え方もあるのかなと思ったが、どうなんだろうな・・・。正直、僕も成人式に行って、その後、ボーリングとかに誘われたんだが、気が乗らなかったから帰ってきた過去があった。だから息子の言うそれも少しは気持ちがわかった。

「それより、見てよ。これ。どう?」と誇らしげにファッションを見せる。細身のジャケットは腰回りをすっきり魅せていて、細いネクタイもバランスが取れていた。ジーンズは裾が広がっていて、全体のシルエットを見ると、下に広がっていて、シルエットだけ見ると、まるでドレスのような印象を受けた。ジャケットとジーンズといういでたちなのに、中性的におさまったカタチを成していた。なんというか、僕にはわからなかったが、空間美としては成り立っているように感じた。

「いいね。かっこいいわ。その黒のブーツもちゃんと合ってる」と伝えると、息子は「わかってんじゃん」と言いたげに、にんまり笑った。

どうやら息子にとって、同窓会よりも服の話のほうが大切なようだ。

自分の軸を持つということ

「で、どうだったんだよ成人式。面白い奴はいたか?」と聞くと、「いたよ。5人くらい」と短く返ってきた。

話を聞いていると、驚いたことに、会った友達にはかたっぱしから声をかけていたらしく、部屋にこもって孤立してるんじゃないかと心配していた自分が、なんだか滑稽にみえた。

子どもはほっといても大人になっていくんだな。

息子にとって重要なのは、「他人にどうみられるか?」という視点ではなくて、「この人は自分の感性に応えてくれるか」という視点のようだった。偏差値エリート君は上下関係の物差しでしか人を見られず、そっけない態度を取られたとか、地元ノリの強い人たちの話は、会話の勢いで内容が変わるから、軸がなくて面白くないとも話していた。

自分のファッション美学を理解する人はおらず、「なんでジーンズなの?」と質問攻めにされたらしい。そんな話を、身振り手振り交えて愚痴のように語っている。

息子の熱が上がってきた時は、早口になり、筋がとおり、たぶん相手をことごとく理屈でねじ伏せる大会があれば、まぁ優勝をかっさらうんだろうなと僕は思った。

息子にとって成人式は、よほど刺激になったようで、彼の話は止まらなかった。

黙って聞いていると、ふと「面白い奴がいた」と言った。Instagramを見て「お前と話してみたかっただよ」と声をかけてきた友達がいたらしい。そこからレアアースの話などを交わし、だんだんと息子の想いが確信に変わったらしかった。

「これからだな……。これから波長の合う奴と友達が増えていくわ」と熱く語っていた。

選ばなかった同窓会

同窓会には何度も誘われたらしいけど、結局行かなかったと話す息子は、僕がなぜと問いを立てる前に、「仲が良い友達とは、別に同窓会じゃなくても会えるし、連絡も取ってるから」と息子が言った。

彼はノイズを嫌い、誰とつながるかを意識的に選択していて、周囲の空気や流行ではなく、自分の感覚で関係性を選び取っている。

ということで、地元ノリが強く、マウントの取り合いになるような場には興味が持てないらしい。

「みんなとつながってることがいいこと」みたいな価値観では、息子は動かない。必要なつながりだけを選ぶ。そういう姿勢が少しずつ定まってきているように思えた。

父の視点から見えた「これから」

ハタチそこらで、ここまで自分の軸ができているとは思わなかった。僕のハタチは、酒を覚えて、友達と騒ぐことが楽しかったから、息子みたいに、面白いの質云々はあまり気にしていなかったような気がする。

たぶん、僕が息子と同世代なら、友達にはなっていなかったような気がする。

僕が感心するのは、息子は『誰にどう思われようと、自分の感覚を頼りにして生きている。』っということだった。常識の枠から少し外れていても、本人は気にしていないし、むしろそこに自分らしさを見い出そうとしている。

そんな生き方は僕には出来なかったし、今でこそ、マイペースでやっているが、当時は『みんなと同じ』という事からはみ出す事が、どれだけ勇気のいったことだろうか。

息子の中には、どこか不思議な感性があって、物の形や匂いで世界を捉えるような、言葉になる前の世界を感じ取る力がある。これは君の得意技だけど、息子にもあって、それが彼を面白くしている。

言葉になる前の感覚をそのまま感じる力で、そんな感覚があるんだということに始めて気が付いた。すると君も同じだという事に気がついてきて、君の輪郭が見えだした。

僕にはそもそも感覚はあるけども、感覚をすぐに言葉で拾ってしまうので、空気や間や空間や質感で感じたままを、そのままにしておく事はなくて、やっとというか、僕も身に着けようと練習しているところだけど、ついつい言葉にしてしまう癖はなかなか抜けない。

息子は友達と話すときも、その感覚で「面白い奴かどうか」を探っていて、今回も、知り合いにかたっぱしから話しかけて、面白い奴を探していたようだ。かたっぱしから声を掛けてきたというんだから、その物怖じしない度胸には、本当にすごいなと思った。

息子の友達選びを見ていると、表面的な会話よりも、「なぜその言葉が出てくるのか」に興味があって、他人の軸の置き方を観察して「この人は面白い」と感じる。だから「波長が合うか」が何より大事で、合わない相手とは無理に群れないし、ノリにも迎合しない。

息子の割り切りがわからない人は、息子の事が全くわからない。わからない存在に、人は怖さを覚えるので、群れる事で安心感を抱く人には異端者に見える。だから排除の対象になることもある。そして、好きな事を軸に自分の世界をつくり突き進む姿がまぶしく見える。自分には到底出来ない生き方をしている息子に対して、やっかみを抱いたりする。そんな構造だろう。

ファッションも同じで、流行に流されるのではなく、自分の世界観を表現する方法として使っている。ジャケットにジーンズを合わせるのも、彼の中ではしっかり美学や感性が働いているのだろうし、わかる人だけに刺さればいいといった態度で、いつもひょうひょうとしているので、なにを考えているのかわからない。

「なんだあいつ」と指をさすけど、刺した指を離せない。なにか気になる。意識に残る。なにかわからないけど輝いている。「なんだあいつ」と再び云う時には、もう息子の世界に魅了されているといった話で、だいたいこんな事が起こっているんだろうなと想像しては、僕はとても痛快に感じてニヤニヤしてしまう。

成人式を通じて、そうした息子の感覚に共鳴する人がいると確信できた出来事があった。それは息子のInstagramを見て、「お前と話したかった」と向こうから近づいて話しかけてきたという出来事。これが息子には大きかった。自分の軸を持ち世界観をつくり発信をしていると、同じように自分軸を持った奴が興味をもってやってくる。だから『これからが波長の合う奴と出会える』と息子は確信したそうだ。

誘いに乗らない、会わない、話さない。そういう行動は、息子にとって拒絶ではなく【選択】でしかなくて、好き嫌いという感情で判断していないというのも大きいと思う。自分軸を持っている人は、相手の軸を大切にできる。この構造理解があるからこそ、自分の軸をもっていない人は、流されたり、ノリだけでの動いていて、自分も相手も大切に出来ないという構造理解。だから距離をとるという選択をしている。

「誰とつながるか」「何に時間を使うか」を、構造で理解して選択をする。同窓会に行かなかったのも、「会いたい人とは別で会える」というシンプルな合理性があるのだと思う。

不思議なもので、なんども書くけど、息子はそもそも感情で判断しておらず、「こうなれば、こうなる、そして、だから僕はこうする。」と、対象を構造化して理解して選択する。感情の揺らぎはホントに小さくて、もしかしたら無いのかもしれい。そんなことがあるのかは、僕にはわからない領域だけど。

親に対しても、きっとその場の空気や関係性の配置を感じ取っていたんだろう。誰かを悪者にするわけでもなく、「どうすれば波風が立たないか」を先読みしていたのだと思う。

感情に巻き込まれるのを嫌がる節があるので、だから僕に「来ないでね」と言ったのだろう。そう考えれば、誰にどう思われようと関係ないとか、面白い人に会いにいくとか、同調圧力なんてどうでもいいとか、群れないとか、誰と会うかは自分で選ぶとか、いろいろと繋がってくる。

そして、息子は親に対しては、たぶん、「見守ってくれている」と感じながらも、「そっとしておいてくれる人」が、いまの息子にとって一番ありがたい存在なのかもしれない。依存や、過干渉には距離をとるという選択をするから。

君へ

どうですかね。こんな感じで。ちゃんとみれてます?

僕なりの息子を見てきた、ひとつの視点として、つらつらと書いてみました。

確か越前クラゲが大量発生という時に、明け方に生まれたと記憶してまして、そして病室に帰ってきた君に、水を飲ませようとして看護師さんにめちゃ怒られたのを覚えています。「殺す気か!」と君にも怒られる始末で、よかれと思った事で、周りをふりまわしてしまう僕がいる。

そして、テレビでみのもんたがニュースをしていて、相変わらず濃いなぁ・・・とつぶやき、君を笑わせてしまって、痛みで悶絶させてしまった説はすみません。「はよ帰れ」と怒られたのも覚えております。

本当に、子どもたちを出産してもらってありがとうございます。娘も息子もすくすくと育ったようで、育ててもらってありがとうございます。僕は何もしていませんが、本当に役立たずですみません。

今回、息子がどう成長して、どう未来へと進むのかを書いてきましたが、
どう受け取るかは、それぞれのタイミングと気持ち次第、なのかな?

ただ僕は君と食事でもしながら
娘や息子のことを話したかったなぁとしみじみ思いました。

まぁ、機会があれば。

おやすみ。良い夢を。

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あいしているよ

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風と行く道

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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