眠りに入る前の身体
眠くて布団に入る幸せって最高だなと思う。ただ最近は布団に入りウトウトとしたと思ったら、ふっと体が浮く感じがして、まるでジェットコースターで急に落ちる感覚に襲われる。
呼吸が乱れてなかなか寝付けない。
朝起きたら錆びた鉄のように動かせず、右肩から首にかけて痛みが走ったり、背骨をどこかで打撲したのかと思うぐらいの痛みを感じて動けない事もある。
身体がなにかを訴えている。
仕事が終わりスタッフが全員帰った後に、誰もいないデイルームで、息苦しさを感じて呼吸に意識を向けていたり、ゆっくり深呼吸をして身体を整えていたりするが、身体の毛穴から血が噴き出すような疲れがどっとあふれてくる。
1時間ぐらいボーッとしていて、ただただ呼吸だけしている。
エアコンのゴォォォとした低音だけがどんどん大きくなってくる。時間が一瞬で進む。肩で息をして椅子にもたれかかり、失われた生気を感じられるまでボーっとしている。
今も動く気力が沸いてこない。
睡眠の質の変化と目覚め
昨日はさすがに疲れたので、少し早く寝ようと思って22:00には布団に入ったけど、動悸がドクドクと振動して、大きく深呼吸して呼吸を整えるが、何かがおかしい。
姿勢を何度か変えながら、楽な姿勢を探して、動悸を少しづつ収めてゆくが、なかなか思うようにならない。ウツラウツラとしてやっと睡魔で輪郭がぼやけ、気持ち良くなってきたところに、例のジェットコースターで落下させられて、ビックリして起こされる。
そんな事を何度か繰り返しながら、僕は夢の中へと落ちてゆく。
眠りが浅く何度も何度もレム睡眠を泳ぎ、そのたびに夢を見る。どこかの温泉宿で赤いじゅうたんが敷かれた廊下が伸びている。ところどころ1段か2段の階段があり、新館と旧館だろうか増築したような作りになっていて、照明は薄暗く、両側はすべてフスマですべてが閉まっている。
真っすぐに進むと露天温泉があり、のれんを分けて入ると、そこはまるでジャングルのようにヤシの木が生い茂っていて、その下に温泉があった。硫黄の香りが懐かしさをくすぐり、以前僕はここを訪れたような感覚になるが、いつ訪れたのかは思い出せない。まるで大きな池のような温泉にちらほらと人がいて、立ち込める湯気で気配だけは感じるが、それだけのこと。
そんな夢を見る。それも同じ夢を何度も何度も。
そして夢から覚める。
時計をみると1時間も寝ていない。
「分かってしまう」感覚
何度も浅い夢を見て、何度も起きて、それを繰り返す睡眠が続いていた。
朝になると妙に頭が覚醒している。目覚めから頭がクリアで、眠いなんて感覚が全くない。身体の痛みはあるけれど、2度寝するようなウツラ感がないので、そのまま起きてシャワーの蛇口をひねった。
この感覚は見覚えがある。以前、精神的なバランスを大きく崩し、天地が逆転したようになったことがあった。その時も1時間ぐらいで目が覚めた。目が覚めたら脳が覚醒している。寝た気がしない。そして残酷な世界を思い出し、理由もなく急に不安が込み上げてきた。
妻が戻ってきて、僕は「戻ってきてくれたん」ってホッと安堵するが、それも夢だった事に覚醒した脳は、僕に思い出させて、不安が襲い掛かってきて胸がきゅうと痛む。
不安に潰されそうな時は、机の上に置かれたノートに文章にせず断片的でもいいので不安を書き、カタチのないモヤのような不安に言葉でカタチにして、身体の外へ出した。それだけで一時的に呼吸が戻ってきた。
呼吸が戻ってくるとやさしい睡魔が僕を包み込み、そのまま倒れるように寝た。
今回は、以前ほどではないが、なにかがおかしい。
これはうつ症状の始まりじゃないかと僕は僕に警笛を鳴らしている。
予測と対処
僕は、以前の経験からうつ症状がどんなプロセスをたどってやってくるかを覚えていた。だから今回の自分の身体が警笛を鳴らし始めているのに気がつき、また奴がやってきたなと感じた。
鳥のような上空からの視点で、僕を俯瞰でみつめることができたので、不穏な風が吹き始めている今がハッキリ見えてきている。このままいけばまた再発かもしれないので、すぐにこの流れをここで塞き止めようと思った。
意志の力でどうこうできる問題ではなく、環境だけが癒しをくれる。だから自分をラクな環境へ自分をひっぱらないといけないと思った。そう苦しむとか耐えるとか、頑張るとかは、今は最優先じゃない。
心と体を休めることが大切だ。
人には交感神経と、副交感神経がある。ふたつは互いに手をつないでバランスをとっているが、僕の身体は交感神経だけが働いている。まるでブレーキの壊れた自転車のように、どんどん走ってゆく。
暴走を始めた交感神経は活動の中心で働く神経であり、副交感神経はリラックスするときに中心にいる神経。暴走している。コントロールすることが出来ない。ただただ僕の身体はバランスを失ってきているようだ。
こんな時は心と体を休めて副交感神経が働ける環境にもっていかないと。
そう感じた僕は、意識して体をいたわり始めた。
体と心はつながっている。
身体を休めれば、心も呼応してくれるはずだ。
非対称なふたり
朝起きて、熱いシャワーを浴びながら、湯気の中で深呼吸をする。足元から溜まってくるお湯が肩までくるまでゆっくりと熱いシャワーを浴びた。
大丈夫。時間はたっぷりある。
身体が十分ぬくもってから、アロマを炊き朝の柑橘系のゆずの香りでリラックスを促す。ドライヤーの風にのってゆずの香りが鼻腔を刺激する。
大丈夫。空気は良い香りだ。
ストーブをつけてゆっくり着替えてから、早めに出勤した。誰もいないデイルームでマインドフルネスをしたかった。YOUTUBEの検索で「シンキングボウル」と検索をしてBGMを流す。
内耳を振るわすような空気の振動を感じながら、ストーブの前で座り、背中から温風を浴びながら、静かに静かに今に集中してゆく。腕を前で組み両ひざを床につけて座り、深く息を吸い、そしてゆっくり吐いてゆく。息を吐くときに副交感神経は働いてくれる。だから意識して長く長く息を吐く。少しづつ少しづつ吐く事によって、身体の力が抜けてゆくのがわかる。
肩の力が抜け、肺が生きているのを感じ、身体の痛みが流れてゆき、脳が緩んでゆく。鼓膜に温かさを感じ、筋肉の緊張がとれてゆく。時間がスローモーションになり、あらゆる音がリアルに聴こえだす。
何度も何度も呼吸をしながら意識を空気に溶かしていった。
すると、デイルームのドアがガチャガチャと鳴った。このドアの開け方はうちのリーダーだ。他のスタッフはこういうドアの開け方はしない。
ガチャガチャとドアを開けて入ってくるなり、僕を見て「ぎゃはははは」と笑いだした。背中で感じるあの笑い声が、僕の予想を確信に変えた。あの笑い方はリーダーの彼女しかいない。
朝のデイルームに張り詰めたシンとした静けさは、見事に違う色に染まっていった。同じ空間に僕と彼女という非対称が存在していた。例えるなら静かに灯る線香の煙に、新聞紙が燃えてもくもく白い煙が充満しているといった感じ。
リーダーの中山(仮名)さんのご出勤だ。
違和感の残像
この中山さんは、起きたらもうこのテンションだという。起きている間は、このテンションのままで、寝る時はぷしゅぅ~とロボットの電源が落ちるように寝るのだそうだ。
だから彼女の夫に「〇〇ちゃん、ベットに行きや。寝てるで。」と起こされるんだそうだ。たぶん中山さんは全速力で走る車のようなもので、ガス欠になるまで走り続ける人なんだ。ずっとテンションが高くて、あっちこっち動き回って、ずっと交感神経がビンビンなんだろう。
彼女と話す時、僕の血圧はぐんぐん上がってゆく。勢いが僕に伝染するからだ。彼女がうちで勤め始めてもう2年は経つと思うが、その間にだいぶ僕も彼女に影響を受けた。
他のスタッフからは「主任は明るくなった」と言われているらしい。実際に僕は自分の事はわからないが、他のスタッフが言うのだから多少は明るくなったんだろう。それぐらい中山さんの勢いに押されているが、心地良いノイズとなっているんだろう。
瞑想を邪魔されて、僕は中山さんのほうを向き「おはよう」と言った。
ライカー副長「今日は早いんだね。」



「えぇ、今日は仕事納めですから、少し早く出勤したんです。」
彼女らしい理由だなと思いつつ、僕は組んでいた手をほどき、瞑想を諦めた。



「よくこんな音を聴いてられますね。私だったら頭がクラクラしますよ。大丈夫ですか?」
と彼女は僕を笑うのを我慢せず大笑いしながら僕に言った。
ぜんぜん大丈夫じゃないねと僕は心の中で思ったが、たぶん説明しても伝わらないだろうから、僕は「さぁ仕事にかかるか・・・」と言って、今年最後の仕事をスタートさせた。



さぁ、今日がラスト。無事に終えましょう!
と彼女は気合いっぱいに僕に向かって拳を握ってみせた。



いや、6割でいい。軽く流そう・・・
と言ったら、彼女は目をむき出して僕を見上げて、「なんですか?その気合のなさは?」と続けてきたので、あぁ面倒臭いパターンに入ったと後悔して、



いや。何でもないガンバロう
僕はひとりの時間を迎える17:30まで、深い呼吸は出来ないなと諦めた。








