過去お痛みが疼くとき 未来の不安が匂うとき
今を深く呼吸して 生きている事を思い出す
焦るのはどこから来てる
最近、心の動きについて大きな気づきがあった。
それは、「今を生きているつもりでも、過去の痛みを思い出し、未来の不安がふと顔を出し、心が迷ってしまうということだ。
迷っている時って、結構しんどいんだよ。心がざわついて焦る気持ちがでてくる。未来ばかりを気にしてしまって、手の届かないとこばかりにフォーカスしてしまう。
ただただ焦るばかりで今という風を感じる感覚が薄れて、わけもわからぬ霧につつまれ道を見失ってしまったように。
過去の痛みと未来の不安
ある瞬間、過去に感じた痛みがよみがえり、それが未来の不安を連れてきてしまうことがある。
頭では「それは今の現実とは関係がない」と分かっていても、身体のほうが先に反応してしまう。
いつもなら感じる事ができる感覚が薄れて、しびれだけがじんじんと痛み、僕は僕を見失ってゆく。
しかし、今夜息子と食事をしながら話していて気がついた。
それらは「意味を持たせる必要のない反応」だということ。
ただ過去と未来が一瞬騒いでいるだけ。
本当の自分の中心は、常に「今」にある。
過去も未来もない。時間なんて人がつくった生活概念。生きるうえで今という一瞬を刻んで生きている。
この食事をしている時だって、息子は自分の考えを話している。それが目の前にある今だ。

心が揺れる時の癖
心が揺れるとき、無意識に相手の反応や距離を読もうとしてしまう。
期待や不安が入り混じると、気づかないうちに自分が前のめりになることもある。
自分の今を見失った瞬間の癖だ。
けれど、本来、他人との距離は自分で調整するものではなく、相手のリズムと関係の自然な流れの中で動くもの。相手の呼吸があり、それに呼応する形で距離が自然と整ってゆく。
それを自分が握ろうと手を伸ばすから呼吸が乱れる。
大事なのは距離ではなく、自分を整えることだ。
相手を感じるのではなく、自分自身を感じる事だ。
今というこの呼吸に。
息子との会話で思い出す “今”
面白いことに、息子と話していると心がスッと落ち着く。
期待も不安もいらない、ただそのままの関係がそこにある。
無言の中でも互いの風を感じ取る事ができる。
言葉などは薄っぺらいもので、言葉で説明するより感じたほうが早い。
期待や評価はそこになく
ありのままの空気がただそこにある。
その時間は、揺れていた心がニュートラルに戻る入口。
実際のところ、息子が安定をくれるわけではなくて、
彼と話している自分の中で“今に戻る力”が自然に蘇ってくるのだと思う。
そこにいるというだけで確かな存在。
生きているという安心。
不安も恐れも生きているゆらぎみたいなもの。
ゆえに不安も恐れも生きるというゆりかごに横たわっている。
そこには安心しかないだろう。
今、生きているんだからありがとう。
今、生きていてくれるからありがたい。
健康でさえいてくれば、それでいい。
今の自分に立つ
過去が動いても、未来が騒いでも、本当の中心は常に今にある。
揺れることは悪いことじゃない。
揺れたときに戻る場所さえ知っていれば、心は壊れない。
大切なのは、期待や不安に飲まれた自分を責めないこと。
大切なのは、過去があるから今があると自分を認めてやること。
揺れに気づいたら、ただそっと今に戻る。
それだけでいい。
この気づきを忘れないように、ここに残しておく。
