言葉になる前の風景

誰かの呼吸に似た気配が、
ふっと息子の中に見えた日。

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もつ鍋をつつきながら

息子と話していると、
言葉になる前の“気配みたいなもの”が
ふっとこちらに届く事が多々あります。

それが何なのか、はっきりとはわからないまま、
空気だけが静かに動くような感じがして掴みきれない。

どうやら彼の世界は、
意味よりも「感じるほう」がいつも少し先にあるらしい…
そんな小さな手がかりが、
会話の合間にそっと落ちていました。

僕はどちらかといえば、
なにかを言葉に包んでおかないと輪郭がつかみにくいところがあるので、
その違いがどこか懐かしく感じながらも、そして不思議な感触。

気配が残っているうちに、つい言葉でまとめてしまうクセ。
それが落ち着くというだけの話で、
たぶんそれが「考える」という作業。

写真を撮るときも、
どこか似たようなところがあって例えばこの一枚。

無機質な街の奥の静けさを探すように、
影の冷たさや、重なって見える柱のリズムや、
人の気配が遠近的に圧縮される感じを
そっとキリトリました。

たしかに僕のこの写真には、
コンクリートや影や構図といった
「説明できる部分」がどこか軸としてあって、
それで写真を成立させています。

でも息子の服の話や、
言葉にならない感覚の話を聞いていると、
世界のほとんどが
そんな説明では触れられない場所でできているんだな…
と、ふと気づかされたりするんです。

そういう瞬間に、
昔どこかで似たような感じ方を
そばで見ていた記憶が
かすかに浮かぶことがあります。

誰のものかは言葉にしないけれど、
あの静かな呼吸が、
今も息子の奥にそっと根づいているような…
話していてそんな淡い気配だけが残るんです。

彼らは気配そのものを受け取り、
僕はどこかで形にしてしまう。
どちらが正しいわけでもなく、
ただ生き方のリズムが少し違うだけなのかもしれません。

「わからない」を埋めに行かずに、
そっと置いておくこと。

そこに触れようと急がずに、
ただ「そう感じているんだね」と
静かに受け取ること。

それだけで十分なときが
あるような気がしました。

言葉にしようとすると消えてしまうものがあって、
消えないままでそばにあるものもあって。
息子らの世界は、きっとそういう風景で
できているんだろうな…と
ほんの少し思っただけの話です。

大きな結論や答えではなく、
すれ違う影のようなものに
そっと気づけた気がしただけ。

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この記事を書いた人

福祉事業の経営をしてます。①小規模多機能のケアマネ②現場の介助③厨房で料理作り④体操教室など地域ボランティアをしています。
「やってみる」を軸に人生の幅を広げます。ウインドサーフィン・登山・カメラ・バイクはSV650・競馬・FX・株式投資・投資信託などなど。体験を記事にしています。

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