父は京都の山、息子は大阪の山
それぞれの秋の一日。
【登山部活動記録|2025年11月23日(日)】
朝の嵐山は、少しひんやりした空気が流れていました。
渡月橋のあたりは、9時前だというのにたくさんの人で賑わっていて、
紅葉の時期の京都らしい“観光客だらけの大混雑”でした。

この時間だというのに渡月橋周辺の駐車場はのきなみ満車。
少し離れた材木置き場の一角に、ぽつんと空いた駐車スペースを見つけました。
3台だけ車が止まっていて、まわりは不思議なくらい静かで、
1日2000円の看板が決め手で、吸い込まれるように駐車完了。
今回の山歩きは、昔からの仲間たちと5人で。
先輩だ後輩だと言うほどの距離ももうなくて、
ただ“山が好きな人たち”として並んで歩いている感覚が、どこか心地が良いわけです。
嵐山から清滝を抜け、高雄の神護寺へ向かう7.6km。
清滝川に沿う道は、せせらぎと紅葉の色が静かに混ざりあっていて、
歩きながら、何度も足を止めてはシャッターを切りました。










途中の旧道にある、下向きのカーブミラー。
地元では「パラレルワールドの入り口」と呼ばれているそうで、
誰かが見上げるたびに空気が少し変わるような、そんな不思議な場所でした。
ただ、今回少し気にしていたのは“熊”。
最近は京都でも目撃情報が増えているので、
ドリンクホルダーに熊スプレーを下げながら「どうか出会いませんように」と。
登山客も多かったのでそんなに心配しなくても良かったわけですが。

それでも道中は驚くほど穏やかで、
落ち葉が舞うたびに、胸の奥の緊張が少しずつ溶けていくようでした。
川沿いに歩くコースなので水が流れるBGMも心地が良く
熊避けの鈴の音も良い雰囲気を醸し出してくれていました。

神護寺に着くと、ひんやりした風が境内を抜けていました。
名物の「かわらけ投げ」では、手のひらから離れた皿が
思ったより遠くまで飛んでいって、風が連れていってくれたようでした。



この場所には、昔の記憶も少し重なっていて、
笑いあっていた頃がこだまのように蘇ってきて
ふと胸の奥があたたかくなるような、少し切ないような時間が流れました。
一方そのころ――息子は金剛山へ
休憩中に届いたLINEを開くと、
そこには金剛山の山頂で撮った写真と、
「外国人の友達ができた!」という、明るいメッセージ。
金剛山は、僕が最初に登山を始めた山でした。
“大阪で一番高い山”という検索ワードから始まった、昔の僕の第一歩。
そんな場所を、息子も選んでいたということが、なんだか静かに胸に響きました。
駐車場の横からの登山口。
急な舗装された坂から外れて険しい山道が続くのですが
そこで半そで短パンのイギリス人と出会ったそうです。
息子Aren’t you cold in that outfit?
(そんな服装で寒くないのかい?)



It’s cold. I guess I failed. But why can you speak English?
(寒いよ。だけど君は英語なんで話せるの?)
から始まる会話で、山頂を一緒に目指したそうです。
それにしても、登山中に出会った人とそのまま友達になるところは、素晴らしいなと感心します。
英語がどうこうよりも、
「つながろうとする気持ち」が自然に前に出るところが、
今の彼らしい強さなのかもしれません。
父と息子が、それぞれの場所で、それぞれの空を見上げていた一日。
歩いている道は違っても、
空はつながっているんだなと、
そんな当たり前のことが静かに心に残った秋の山でした。








