息子とステーキを食べながら
ステーキを選んだ理由
夕飯どうするかという話になったとき、僕は何気なく「一蘭にでも行くか」と口にしました。でも息子は、ラーメンじゃ物足りないとでも言うように「今日はがっつり食べたい気分なんだよ」と返してきました
話を聞くと、服を一着仕上げたばかりで、頭がすっからかんになるほど脳を使い果たしているとのこと。そんなときは、やっぱり肉なんでしょうね。創作って、心の芯が削られていくような感覚があって、空腹もただの栄養補給じゃ済まないんです。心からカラカラに乾いてしまうんですよね。
だから僕は本当は歯が痛くて肉がやばいなぁと思っていたのですが、息子の心情が理解できたので、自然とステーキに向かいました。肉の匂いが漂う店内に入り、向かい合って席についた瞬間、ようやく今日という一日がひと区切りついたような気がしました。
ものづくりの芽と誇り
ステーキ店に向かう前、彼の部屋で完成した服を見せてもらったんです。
素人ながらも絵を描いて、パターンに起こして、生地に写し取って、裁断し、縫い合わせる。工程としてはごく基本的な流れかもしれませんが、その中に息子の意思と時間がぎっしり詰まっているのが伝わってきました。
なぜならIKEAで買ったテーブルの後ろには、失敗作が大量に廃棄されていたからです。かなりの努力の残骸が伺えました。

結構がんばったんだな(笑)
彼は鏡の前でゆっくりとその一着を身にまとい、僕の方を見てニッと笑いました。その表情には、たしかな達成感と、少しの照れと、そしてほんの少しの誇らしさが混ざっていました。
僕はその姿に、小学生のころ、欲しいおもちゃを買ってもらえなかった時に、段ボールで妖怪ウォッチのグッズを自作していた彼の姿を思い出しました。
そうか、あの頃から芽は出ていたんだなと。誰かが作ったものをただ手に入れるのではなく、自分の手で形にしてしまうという行動力と創意工夫。あの頃の延長に、今の彼がいるんだと改めて感じました。
カオスから集中へ



「創作してるときって、頭の中がぐちゃぐちゃになるんだよ」
ステーキをひと口食べながら、息子がぽつりとこぼしました。
「泡みたいなアイデアが浮かんでは消えて、全然まとまらない。でも、ある瞬間に方向性がパチンと決まって、そこから一気に集中モードに入っていくんだよね」
僕も動画の編集をしているので、その感覚はよく分かります。最初はただの断片でしかなかったものが、ある瞬間、一本の筋道に変わる。そこから先は、体が勝手に動くように作業が進んでいく。
時計の針の音も聞こえなくなるほどの没入状態に入って、気づけば何時間も経っていた、なんてことは日常茶飯事。彼が話すその一言一言に、僕は深くうなずきながら耳を傾けていました。



Youtubeの動画一本作るのにどれだけ精力を使うか・・・
生活と創作の距離



「でもね、彼女からLINEが来ると集中が切れてしまうんだ」
そんなふうに苦々し表情で言う彼に、僕はちょっと真面目に返しました。



「でもさ、彼女がいるからこそ、新しい経験があるだろ?それって創作にとって、すごく大事なことだと思うよ」
生活の雑音って、一見すると邪魔に見えるけど、そこからしか拾えない感情や気づきもあるんですよね。創作だけに閉じこもっていたら見えない世界が、人との関わりでぐっと開けてくることもある。
彼女のLINEの通知ひとつが、イライラの種にもなれば、あとで作品のヒントにもなる。だから僕は、彼女の存在を無視するんじゃなく、創作の一部として抱えてみたらどうかと伝えました。
すると彼は、しばらく考えたあとで「確かに」と小さくうなずきました。その一言が出る時って、僕の言葉が彼の中にちゃんと届いているんです。だから少し安心しました。



だって大切な人を失う事ほど悲しい事はないから・・・
自分を広げる三つの方法
食事をしながら、僕は話を続けました。
「人が成長するにはね、三つの方法があると思ってる。ひとつは旅をすること。地元から離れて、見知らぬ土地の空気に触れるだけで、自分の中に新しい視点が生まれる。ふたつ目は人に会うこと。自分とは違う考えを持つ人の話を聞くと、自分の考えが広がる。で、三つ目は本を読むこと。本は体系化された思考が詰まってるから、ネットの断片とは違って深く刺さることが多い」
息子は話すのをやめて、じっと僕の方を見て聞いていました。いつもは自分のことを語るのが好きな彼が、何も言わずに僕の言葉を受け止めようとしている姿に、息子は真剣に僕の話を聞いているんだと、僕もさらに熱くならざる得ませんでした。
リベラルアーツという足場
だからそこ、この話の流れから、僕はリベラルアーツのことも伝えました。
「世の中にはいろんな見方があるよね。たとえば哲学は『なぜ?』と問い続ける力、美学は『どうしてこれが美しいのか』って感性を磨く力、数学は構造や比率を読み取る力、宗教学は文化や価値観の源を探る力だと思う。そういうのを横断的に身につけておくと、ひとつの問題に対して、いろんな角度から見られるようになるんだよ」
特に哲学については、僕の中で強く思っていることがあって。
「人に流されず、自分の道を切り開くためには、自分自身に問いを立てる力が必要なんだ。それが哲学なんだと思う。服作りもそうだよね。“なぜこの形にしたのか”“なぜこの色を選んだのか”って、自分に問いかけることで、作品が深くなる。だから、リベラルアーツを学ぶっていうのは、創作にも人生にも直結すると思うよ」
彼は少し目を細めて考えているようでした。でもその顔には、ちゃんと伝わってる実感がありました。
父としての再構築
この日の会話を通して、僕は自分の過去とも向き合っていました。離婚して、子どもたちと別れて暮らすようになって、自分の中を何度も見直してきた日々。あのときの苦しみや後悔は、決してキレイなものじゃなかったけれど、無駄ではなかったと今は思えたんです。
その失敗の中から得たものを、こうして息子に話せるようになったこと。それ自体が、僕にとっては再構築の証なんだと思います。立派な父ではなかったかもしれないけど、自分なりに今を生きて、言葉を持ち寄っている。それだけでもいいじゃないかって、自分を少しだけ許せる夜でした。
そして何より、今の息子の姿があるのは、母親が誠実に愛情を注いで育ててくれたからにほかなりません。僕が今日語ったことのほとんどは、その土台のうえに成り立っているということを、忘れてはいけないと思っています。
ありがとう
食事も終わりに近づき、湯気が立ちのぼる鉄板の温度もゆっくり下がっていく頃。ふと胸の奥から湧き上がってきたのは、ただただ「ありがとう」という気持ちでした。
娘も息子も、この世に生まれてきてくれてありがとう。そして、そんなふたりを産んでくれた元妻にも、心からありがとう。
彼女が母としてかけてくれた時間と、積み重ねてきた日々の努力が、いまの子どもたちをつくってくれたこと。それは何ひとつ、僕には真似できない大きなことです。
過去は変えられないけれど、こうして今を積み重ねてゆくことで、見え方は少しずつ変わっていく。そう思えるようになったのも、今も家族が生きていてくれるからだと思います。彼女ら彼の存在が僕を変えてくれる。
今夜のステーキの香りは、これからも僕の記憶にしっかりと残ってゆくと思います。